まるで、ファーストラブみたいな物言いだが、
とうとう来た、親の介護。
母のボケの方ではなく、
父の高熱がキッカケだった。
弟に着信があり、
2人して、職場から実家へ直行。
人に頼るのが嫌いな父が、
初めて「来てほしい。」と言ってきたのだ。
脚が立たなくなり、朦朧としているので、
掛かり付けのクリニックに電話したら、
「風邪のような症状や熱は無いですか?」と聞かれ、
父に確認したら、「少しある。」と言うので、
測ったら、39度。
しんどいはずだ。
なぜ、先に言わない?
父は、黒のパッチのまま、タクシーに乗り、
車イスで出迎え。
別室で、点滴。
しかしその後も、
父は、以前のようには歩けなかった。
布団からトイレに行くまでに、お漏らししてしまう。
その部分の病気の影響もあってか、
コントロールできなくなっていた。
私はその日、実家に泊まり、
次の日もう一度、
父を、クリニックに連れて行くはずだったが、
出発前に、父が転倒して頭を打ち、
よけい動けなくなってしまった。
クリニックに相談したら、
「頭のCTは、ウチではできないので、
救急病院で調べてもらってほしい。」と言われ、
別の病院へ搬送。
CTの結果、頭は異常無し。
同病院で、点滴もやってくれた。
少々ボケの母は、家事はできるが、
だんだん省略するようになっている。
母は、父が、いつまでも元気でいると信じていたいのか、
「頑張れ。甘えるな。」と、
前日も、高熱の父に、ひどい事を言っていた。(笑)
ルーティーンが決まっていて、プライドもある父は、
弟が、「オムツを。」と言うと、否。
私が、女性用生理用品の残りを持って行き、
「とりあえず、これをパンツにはさんでみたら?」と提案すると、
やってくれたが、位置が違うので、パンツが濡れてしまった。
そこで、以前から、買い置きしてあった紙パンツを、
「オシッコは、トイレですればいいから、
これをはいてみたら?」と促したら、
あっさり承諾。
年寄りを納得させるには、順番があるのだ。
私は今まで、苦労知らずで育った。
両親には、感謝しかない。
だから、介護も嫌ではない。
父が倒れた後、帰宅途中、
夜風を浴びながら、清々しい気持ちになった。
悲しくはない。
これで、やっと恩返しができる。
介護で頭が一杯で、
自分の、普段のイライラが無くなった。
次に、実家に行った時は、
オシッコ臭くなった父を、スポンジで丸洗いした。
「三助」になった気分で、面白かった。
今はまだ、この程度だから言えるのかもしれない。
しかし、むしろ私には、両親への執着があるのだ。
他人に、両親の気持ちなど分かるまい。
私が、2人を守りたい。
弟とも、介護について、意見がぶつかるだろう。
私は、両親を頑張らせない。(できる事はやってもらう。)
私も、頑張り過ぎない。(やれる事をする。)
少し落ち着いてから、秋のばら苑にも行ったし、
温泉施設で、マッサージも受けた。
先日、実家に行ってみたら、
父は、以前より歩けるようになっていた。
クリニックの医師の言葉を思い出した。
「治るには、時間がかかるんです。」
一気に、介護と決めつけていた、
弟も私も、あせり過ぎていた。
しかし、紙パンツは常用となったし、
2人のボケも、少しずつ進んでいる。
予定は、カレンダーに記入してあるのに、
日にちや曜日を、何度も聞いてくる。
粗大ゴミの申し込み方法が、
年寄りには複雑過ぎる。
防災用のペットボトルは、用意してあっても、
母は力が無く、キャップが開けられない。
そういう事からして、簡単にはいかない事を、
世間や行政は、分かっているのだろうか。
全てが、これからなのだ。
この年で、何もかも初めてだが、
この年だからこそ、惑わず。
体力も気力も、衰えた私だが、
両親への想いがある。
今はそれだけが、私のエネルギーだ。