先週、銀座松屋の「ゲゲゲ展」に行って来た。
NHKのドラマの反響で、会場はオープンするなり混んでいた。
水木さんが語っている映像が流れていたが、
何だか、岡本太郎に似てきた感じ。
皮肉にも、片腕が無い事が、
妖怪漫画家としての神秘性を、際立たせている気がする。
本人も、「半分妖怪で半分人間。」って、トーク番組で言ってたし。(笑)
水木さんて、片腕が無くても、
本当に、それを意識させない、
(肉体的悲愴感も、戦争時の苦労も感じさせない)
ヒョウヒョウとした人なのだよね。
私が学生の頃、直に会った事あるんだけど、
講義の内容は、覚えてない。
「こんな小さな学校に、あの鬼太郎の作者が来るなんて!」と驚いたけど。
私が、「ぬりかべに会ったって、本当ですか?」って質問したら、
困ってたような気がする。(笑)
(戦争中、壁のような物に行く手を阻まれたって本人談)
終わった後、サインもらった記憶があるなぁ。
確か、ねずみ男を描いてくれた。(笑)
今度、探してみよう。
「ゲゲゲの鬼太郎」は、子供の頃、本放送を見ていたけど、
鬼太郎、カッコ良かったよね。
他の妖怪も、個性がハッキリしていて、
今にしてみれば、「X-MEN」みたいだなって思った。
それぞれの能力を生かして、戦うところなんか。
ゲゲゲ展のフロアには、深大寺の「鬼太郎茶屋」が出店していて、
目玉オヤジ入りの、あんみつを食べた。
店員のシマシマのサロンは、腰から下のギャルソンタイプなので、
チャンチャンコのイメージというより、みつばちハッチみたいだった。
グッズ売り場には、思っていた以上の種類の商品があり、
購買意欲を、そそられた。
一反もめんのマグカップや、鬼太郎Tシャツを買った。
敗走記
翡翠さんのブログで、紹介されていた自叙伝、
「ねぼけ人生」を、図書館で借りて読んだ。
大きな文字の上下巻。
戦時中の話は、興味深い。
水木さんの話は、壮絶の中にも面白さがあるが、
本当に、よく生きて戻れたと思う。
最前線から、中隊に逃げる時がすごい。
どうして、逃げる方向が分かるのか。
銀座でも迷う私は、まず方向音痴で死ぬだろう。(笑)
しかも、体力がある。
長時間泳いだり、夜間に移動したり。
この時に、腕を失っていたら、死んでいただろうが。
しかし、ここでも、片腕である事が、
水木さんにとって、マイナスに働いていないのだ。
片腕を失った事が、傷病兵としての帰国につながり、
楽園の土人達は、この腹を空かせた、片腕の日本兵が、
自分達の食べ物を、全部食べてしまっても、
何だか、放っておけなかったのではないか。
水木さんだって、病気や空腹で死にそうな時に、
パパイヤやバナナを持って来てくれた土人達の事は、
一生、忘れられないだろう。
「7年後に又来る。」と言って別れたが、
実際、再び訪れたのは、26年後だった。
楽園も近代化され、恩人のトペトロも忙しくなってしまった。
上巻で、「気の利く土人の美女」として書かれていたエプペが、
下巻では、「強欲ババア」になってしまうのが、おかしかった。
本音に愕然とする
中には、ハッとさせられる文があった。
「人間が生きているということには、
自分の力以外に、どんなものの力が作用しているか知れない。」
「とにかく長年の貧乏は、
あの半死半生の目にあった戦争よりも苦しいほどで…。」
「なにしろ四十すぎまで、ごらんの通りのドキドキ人生だったから、
外面は平気そうにみえても、内心生きた心地がしなかった。」
水木さんでさえ、これが本音なのだ。
戦争体験者は皆、現代には「恐いものなど無い。」と言うし、
私も、「そうだろうなぁ。」と、思い込んでいた。
だから、水木さんにとっては、
「貧乏なんて何でもない。」のかと思っていた。
しかし、現実を生きるという事は、
いつだって本当に大変なんだと、改めて思う。
それでも、「よく寝て、よく食べて、無為に過ごす」のが、
水木さんの、長寿の秘訣なんだろうな。