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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

消えたボス猫。その2

2016年03月21日 07時14分49秒 | 動物

続きです。

私の店はバス通りとは言え、猫が暮らすには向いている場所と言えます。寝場所に適した隠れる場所が多いし、私以外に餌を与える人もいるみたいです。

でも近隣には猫が入らない様に、柵の下にプラスチックパネルを置いたり、、猫の通路に2リットルのペットボトルに水を入れて置いたりしていますから、猫に餌を与えてたりしたら色々注意を受けるのは確実です。判らない場所に食べきれる分だけ置くしかありません。

それでも猫に知られるようになり、しまいには私の姿を見たら猫なで声で寄って来る様にもなりました。

でも、やはり近所の方々は猫を嫌っている。追っ払ったりしている。だから猫も最初は私に中々慣れませんでした。それは当然です。野良猫なんですから。誰にでも懐いたら保健所に連れて行かれます。野良猫達もその点の事は判っている様です。

現在では私の姿を見つけると猫が寄って来て餌やり場まで猫が先導。そして餌を与えてそのままにしていました。その方が良いと思って。

浦安に住んでいた時、仲の良かった野良猫がいたのですが痛恨の出来事がありました。それから野良猫とは情を通じない方が猫の為にも良いと考えています。飼えないのであるならばね。

このように猫に餌やりを初めて判った事があります。猫は猫同士でかなりの内容まで会話できると言う事。そして自分より子供の事を考えている事です。

これまで代々の猫を見てきましたが、子供を連れて来ると親となった猫との別れの時期が来た事を意味します。子供に餌場を与えて親はいなくなるのです。これまで何度も見送ってきました。これは切ないです。人間より猫の方が子供に対する愛情を感じます。私、親である野良猫を尊敬する様になりましたわ。

そして見た事も無い猫が私を見て寄って来る。そして餌場に先導する。これは他の猫に「あの馬鹿面の人間は餌をくれるよ」と猫同士で会話しているとしか思えません。野良猫同士で助け合って生きている証拠だと思います。これも一部の人間よりは立派だと思いますね。

現在も猫は来ます。震災後店舗での商売は止めていますが、私の姿を見つけると猫撫で声でやって来るのです。ニャー(どこ行っていたの?)、ニャー(お腹すいた)、ニャー(餌頂戴)と言って。白と茶虎色の猫で尻尾が折れているヤツです。私はオレオ(折れ尾)と呼んでいます。

このオレオの前に来ていた猫は白地に灰虎色の猫でした。やっぱり尾は折れています。私はオレ(折れ)と呼んでいましたが、このオレから私が触っても逃げなくなりました。これで良いのか判りませんが、私も猫もお互いに慰め合う者同士になっていたのです。微妙な気持ちではありましたが・・・・・・・。

オレオもオレも多分雌だと思います。代々子供を連れて来て親は去って行きましたので、親猫は母親だと思います。

オレが最後に来た時、餌が切れていたので与える事が出来ませんでした。その後居なくなったので悪い事をした、失敗したと今でも思っています。

オレオはこれまで「子供なのか」と思える猫を三度程連れて来て、そろそろ別れの時期かと何度か思ったりしたのですが、何時の間にか子猫と思われる猫が来なくなる。まさか子猫を追っ払っているのか。そうだとしたらこれも微妙な気持ちになります。

多くの猫が来ても近所の手前困るし、だからと言って子猫が早死にさせるのは可哀想です。餌なんて2.7キロで500円程度の安いのですから餌代で困る程でもない。数匹で来るならそれにあわせて餌を与えます。成長するまで与えたいと思っていたのです。

うーん、子猫はどうなったのか。誰かに拾われて来なくなったら良いのですが、野良の子猫は中々生きられないから辛いものがありますね。切ないですね。

 

続く。

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消えたボス猫。その1

2016年03月20日 08時43分55秒 | 動物

今から35年以上前の話ですが、元下宿屋だった家を買いました。勿論、私の親父が。

その下宿屋だった家はバス通りに面してますが、それほど繁華街と言う訳ではないです。しかも道幅の拡張に合いまして、向かい側の家や店は全部立ち退きに。皆、相場の倍以上の立ち退き料を貰い、嬉々として引越しして行きました。

買った時点ではどちらが側が立ち退く事になるのか判りませんでしたが、向かい側が立ち退く事になってうちの親父は結構ガッカリしてましたわ。立ち退き料は高額ですから。

現に立ち退きが決まったのに新築した家や喫茶店を開業した店もあったのです。勿論、立ち退き料を跳ね上げる為です。まぁー仙台ですからそんなもんです。私の親父も賭けに出て買った節が見れますが・・・・・・・・・。

下宿屋はかなり老朽化してました。家屋の資産価値はゼロ。そして長く住んでいなかったみたいで可也痛んでいました。酷いもんでした。ガラス戸は数箇所割れてましたし・・・・・。

私はその下宿屋を見に行き、割れたガラス戸開けます。「うっ、何かがいる」と思った瞬間、うわぁっー。

何と数匹の猫が血相を変えて二階の階段を登っていったのです。多分、7匹程だったと思います。ビックリしましたわ。

でも犬好き猫好きの私です。「どれどれいるのかなぁー」と心で呟き階段を登っていったら、猫も逃げ場が無いのが判っていた様で、またまた血相を変えてパニック状態で私の脇を落ちる様に階段を下り、そのまま下宿屋から逃げて行きました。

こんなボロ下宿屋でも野良猫たちにとってはパラダイスだったと思います。猫は自分の住まいでは糞とか尿はしません。綺麗に住んでいたのです。それを私が分捕ってしまった。大切な野良猫の住みかを。結構罪悪感を覚えましたよ。しょうがないですけど。

その後、その下宿屋は少々リホームして二つの部屋を店舗に改装。家業だった新聞販売店の支店兼従業員の宿舎にしました。

私も証券会社を辞めてから暫く住んでいた事もあります。大量の本を貯蔵して。その大量の本は私が東京に出た時に親父に捨てられてしまいました。ガッカリしましたわ。今だったら可也貴重な本もあったので。今更悔やんでもしょうがないですけど・・・・・・・・・(大泣き)。

その後、新聞店を廃業。下宿屋だった支店は取り壊して駐車場に。そして私が東京からUターンして来て店舗付きのアパートを建築。そこで秘密の商売を開始しました。震災前まで。

商売は15年程続きましたが、店の周りには結構野良猫がたむろしてました。多分、下宿屋だった頃に住んでいた野良猫の子孫だったと思います。私はこそっと餌をやるようになりました。大切な住処を奪った罪悪感から。

ご近所さんに怒られちゃいますから本当にこそっと隠れてです。この程度しか罪滅ぼしは出来ませんからね。申し訳ないと思いながら・・・・・・・・・。

 

続く。

 

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「蛇に睨まれた蛙」を考察する。 その2

2014年05月06日 14時26分43秒 | 動物
さて、蛇に戻ります。

よくよく考えたら爬虫類なのに蛇だけ瞼が無いのは不思議です。何で瞼が無いのか。瞼は目を守ります。目を疲れさせない役目も果たします。瞼が無いと目を怪我します。どんな動物だって瞼は必要な筈です。

変だなぁーと思い調べたら蛇も瞼を持っていました。でも蛇が目をパチクリパチクリしているの見た事無いですよね。それもその筈、蛇は瞼があっても瞬きはしません。瞬きが出来ないのです。

っと言うより瞼が開きません。何を言っているのか分らないでしょう。私もシドロモドロになっていますが、蛇は何時も目を瞑ったままなんです。蛇の瞼は硬質な透明の膜です。目を瞑ったままでも目は見えると言う事です。或る意味、爬虫類の中でも一番進化しているのが蛇なんです。

元々蛇は手足を持っていました。蛇の腹の部分を見てみますと棘の様な突起があります。それは手足があった時の名残です。

究極の運動性能を得るために手足が退化した訳です。穴の中に入れる様になる為にね。
しかも蛇は水陸両用。蛙以上の性能です。蛙は水面でしか泳げませんが、蛇は水中も泳げますからね。だから瞼が邪魔になったとは言いませんが、瞼を瞑ったまま目が見えるのって究極の性能だと思いますね。

さて宗教の話に戻します。

蛇を撫でてやりたいほど好きな人もいるでしようが、大抵の人は蛇は苦手だと思います。何故なんでしょ。

その答えは人間も元々は爬虫類だったと言う事です。

まっ賛否両論あると思いますが、この世で一番進化した存在は人間です。そして人間の脳には、進化途中にあった生物の段階の部位が存在しています。

先ず脳の外側は新皮質と言われ、霊長類としての人間の心理・理性がインプットされている。

脳の中間の部位・大脳縁辺系は初期の哺乳類との共有が見られる。

そして一番中核にあるR複合体は爬虫類、更には恐竜だった時の脳の働きをしていると言われてます。

つまり人間は爬虫類だった時の記憶を有しているのです。

そして爬虫類の最大の敵は爬虫類です。同類です。その記憶が残っているからこそ蛇を恐れる、若しくは嫌う感情が存在するのだと思います。

人間が爬虫類だったと言うことは、人間の先祖は爬虫類、蛇であった事にもなります。

中国では人頭蛇尾の女禍(本来は女偏)が人間の始祖とされています。キリスト教ではアダムとイブに性交の仕方を教えたのが蛇です。つまり蛇により人間が栄えた事になります。これも人間の始祖が蛇でもあるとする考えに繋がると思います。

日本の神道も蛇に繋がります。「神=蛇」であるとさえ言えます。蛇を神として祀り上げているのです。それは人間が蛇を畏怖する事から生じているとも言えます。

それとは逆にキリスト教は蛇を悪魔としています。全ての災いは蛇であるとし、蛇を踏みつけるべき存在としています。

これらは「蛇=畏怖」、「蛇=嫌悪」との考えに分かれたから違う思想の宗教になったと私は推測していますが、根本は同じではないかと考える次第で有ります。元々は蛇だったのですから。


ではでは。


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「蛇に睨まれた蛙」を考察する。 その1

2014年05月03日 01時34分45秒 | 動物
今回もたまたま蛇の話題です。

私、蛇が怖いです。嫌いと言う訳では有りません。道端でクルマに轢かれた小さな山案山子を草叢に除けてやった事がありますし、蛇を摑んだ鳶を二羽のカラスが攻撃している光景を見たときは、カラスを応援し何とか蛇が助かりますようにと心の中でお祈りしたりしもています。蛇には親近感があるとまでは言いませんが、嫌悪は感じません。畏怖のみです。

何故に蛇に対して畏怖を感じるのか。チョット考えてみました。そして気が付きました。蛇の目だと。蛇の目が怖いのだと。

言われてみないと気が付かないと思うのですが、蛇って瞼が無いですよね。これ不思議じゃないですか。だって同じ爬虫類の亀や蜥蜴、鰐は瞼があって瞬きするんですよ。しかも生物学的に劣っている両生類の蛙やヤモリだって瞼があるのに、何で蛇には瞼が無いんでしょ。

蛇は瞼が無いから目は見開いたまま。だから睨まれたら動けなくなる。隙がないから。動いた瞬間、飛びかかる可能性があるから。それが異様さを感じる。だから蛙なんかも動けなくなる。人間も恐怖と嫌悪を感じるのもそれではないでしょうか。

実は私、瞬きしない人物と争った事があります。今から5年前、うちの馬鹿親父がスポーツクラブで知り合った男です。当時51歳だったと思います。この男が私の家の下の階の部屋に入ったんです。

そして事件を起こしました。両隣の部屋に木刀を持って喧嘩を売りに行ったんです。壁から通り抜けするなと言って・・・・・・。

つまりその男、アルツハイマー&パーキンソン病だったんです。幻覚を見ているのです。これらの病気、脳へ影響を及ぼします。幻覚・幻聴を見聞きするだけではなく、運動能力も低下します。それで歩幅が短かったり、瞬きが出来なかったりするんです。

その男、それら全部が影響を受けていました。特に尋常でなかったのか表情です。全然瞬きしないんですから、直ぐまともでない事が分ります。分らないのは私の馬鹿親父くらいなもんです。まっ、ボケているからしょうがないんですけど・・・・・・。

話は変な方に行っちゃいましたが、目を見開いたままと言うのは蛙だけでなく、人間にも十分恐怖を与えます。それ故、神霊的なものを感じてしまうのだと思います。

神道においては、蛇は元々は「カ」と呼ばれていました。神社の御神体のケースが多い、丸い鏡(カガミ)で説明すると「鏡=蛇蛇身」です。または「蛇=蛇蛇目」です。つまり鏡は蛇の目でもあるのです。

そうなると鏡餅もお分かりになりますよね。鏡餅はとぐろを巻いている蛇を表しています。そして持ちの上に乗っている蜜柑は蛇の目を現しています。

それだけじゃ有りません。神だって「蛇身」となりますし、神威(カムイ)の発音で言うならば「神(カム)=蛇産む」となります。つまり神は女体の蛇。蛇女と言う意味になります。

それだけ日本の神道にとっては蛇は重要な生物であると言えますね。


つづく。





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「のんのさん」とショウリョウバッタ。

2014年04月19日 22時47分40秒 | 動物

今はどうなのか知りませんが、私の故郷・福島県いわき市では神様・仏様の事を「のんのさん」と呼んでいます。

薄っすらとした私の記憶では、神様・仏様に対する念仏や祝詞が「のんのんのんのん」っと聞えるから「のんのさん」と言うのだと思います。

仙台に移り住んでから盆と正月には必ずいわき市に里帰りをする慣例でしたが、現在は母方・父方の祖父・祖母が全員亡くなっていますんで、里帰りする機会が無くなったのは寂しい限りです。

そう言えば子供の頃、盆に里帰りして、イチジクの木に集る悪魔の様なルックスのゴマダラカミキリや蝉、バッタをよく捕まえました。時にはシマヘビも。

そのなかに神様のバッタ、「のんのさんバッタ」がいました。まっ、何のことは無い「ショウリョウバッタ」を「のんのさんバッタ」と呼んでいたんです。

ショウリョウバッタはバッタの仲間でも最大級の大きさです。何と言うか「オンブバッタ」の大型版のルックスです。おんぶはせず、何時も一匹でいます。

体も顔も足も細長く動作も鈍い。お世辞にもカッコの良いバッタでは無かったですね。足も簡単に取れちゃうので、あんまり捕まえたいとは思いませんでした。

このショウリョウバッタが、何故神様のバッタ「のんのさんバッタ」なのか。

私は「神様って烏帽子みたいな長い帽子をかぶっていて、このバッタのように長い顔しているからなんだろうな」と思っておりました。昨日まで。

そして昨日、急に疑問を持ちましてショウリョウバッタを検索。そしたら何とショウリョウバッタを漢字で書くと「精霊蝗虫」と書くんですね。

その理由は精霊流しの精霊船に似ているからだそうです。そう言えば確かに似てます。あの長い三日月型の胴体は姿はカヌーの様な船そのものです。

お盆に精霊船に乗ってくる仏様・ご先祖様。つまり「のんのさん」。その「のんのさん」が乗る精霊船に似ているから「のんのさんバッタ」と言っていたのですね。

うーん、40年以来の疑問が今解けました。

呆れるほど時間がかかりましたけど・・・・・・。


ではでは。

コメント (4)
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