ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

等伯

2020-07-14 12:39:44 | 文学
みなさま、こんにちは(^ω^)

いつ開けるともわからない梅雨の雨が続いておりますが、
お変わりなくお過ごしでしょうか。

歌人岡井隆さんが亡くなられてもう4日たつのですね。
前衛短歌の旗手の92歳という年齢に驚きました。
こんな時期ですので、すわ新型コロナ感染症かと思いましたが、
天寿を全うされたのですね。
鮮やかな一生、お弟子さんもたくさん残されて
今は安らかにいらっしゃることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。

東京都新型コロナウイルス感染者、200人超えが4日続き、
昨日は100人台となりましたが、どうなるのでしょう。
ノイバラの外出自粛は続いております。
Go Toキャンベーンは魅力的だけれど、
不安なまま旅行してもあまり楽しくないかと今はまだ我慢。
雨で公園散策もままならず、ついに読書を始めました。

 
2012年出版されてすぐに買って以来、
忙しさのあまりツンドクであった小説、
安倍龍太郎の『等伯』上下巻読み終えました。

すごいボリュームでしたが、面白くて2日で読み終えました。
ストーリーは戦国時代が中心なので、
(苦手な武将の勢力関係、戦乱のシーンは多少読み飛ばしましたが)
長谷川等伯の魅力にひかれて、息もつかずに読みました。
直木賞を受賞されたのはさもありなん。

資料が少なく、想像するしかない部分も多かったと思いますが、
絵師等伯が確かに息づいていました。
2010年東京国立博物館「長谷川等伯展」の
「松林図屏風」を安倍龍太郎さんもご覧になって、
この大作をものされた由。
私も感銘を受けて歌を作ったことを思い出しました。

小説を読むのは何年ぶりでしょう。
久しぶりに楽しかったです。
仕事をしている時は読んでもノンフィクションが多かったし、
歌関係のものを読むだけで精一杯だったのですが、
私にとってはコロナの外出自粛の恩恵の一つです。




遠藤周作没後20年座談会「父を語る」、町田市立国際版画美術館

2016-12-18 22:22:24 | 文学
みなさん、こんばん(*^_^*)

穏やかな1日でしたね。

今日は矢代朝子さんが出演なさるイベントに
行ってまいりました。

町田市民文学館開館10周年記念
遠藤周作没後20年座談会「父を語る」


<出演者>

遠藤龍之介(フジテレビ専務取締役、小説家・遠藤周作長男)、
阿川佐和子(エッセイスト・タレント、小説家・阿川弘之長女)、
矢代朝子(女優、劇作家・矢代静一長女)、
斎藤由香(エッセイスト、小説家・北杜夫長女)

何しろ、出演者がこの豪華版ですので、
80名定員のところ1000名以上の応募があり、
抽選があるという狭き門でしたが、
何とかノイバラはすべりこませていただきました。

町田は初めて下りますので、
ついでにずっと行ってみたかった
町田市立国際版画美術館に寄りました。


道がよくわからなかったのでタクシーで。

 
入り口。

 


入り口入るとエントランスホール右手に版画工房があります。


たくさんプレス機がおいてあって、利用者がたくさん。
一般の方も申し込むと工房利用ができるようです。


1階には他にハイビジョンギャラリーもあります。


ルオー「流れる星のサーカス」を選ぶと・・。

 
こんな感じで半日楽しめそうです。

 
すてきな建物です。


2階は「第41回全国大学版画展」と「松本旻(あきら)展」


松本旻は町田ゆかりの版画作家。


「植物図鑑 桃-B」


「風景から」


「塔」シリーズは真ん中を境にして左右
トレーシングペーパーの裏表に刷っているのだそうです。


全国大学版画展。

 
1番目と2番目に好きな作品。
鑑賞者は人気投票ができるのです。

  
駒井哲郎のプレス機が展示してあります。

 
特注品でとても気に入ってたようです。


芹ヶ谷公園の中に版画美術館はあるのです。

 
お天気がいいらしいので、お弁当を持ってきたの。


お弁当が広げられるところはあるかな?

   
今は水が出ていないですが、ゆっくり動く不思議な噴水。


広いです~。トンネルの向こうも公園のようです。

 
小さい子供たちを連れた家族がいっぱい。

 
ああ、そういえば今日は日曜日。

 
広々したところで走り回ったら気持ちがいいですよね。

  
ここのベンチに決めました。


チャーハンです。

 
聞こえるのは水のせせらぎと・・。


ばらばらと落ちてくる枯葉の音だけです。

 
そろそろ文学館に移動しなくては。

  


あ、さっきの噴水に水が。

  
下まで行くと水しぶきがかかります。

  
楽しかったですにゃ~。


市民文学館までは5分ほどでしょうか。

 
いただいた地図に書いてあっ健脚向きのコース、
一番近道というのでものすごい坂を上りました(・ω・;A ぜーはー


マンホールの蓋の模様は町田市の市の花、サルビア。

 
版画美術館入り口の交差点で坂は終わりです。

 
到着~。


「八木重吉展」も見ました。
八木重吉は人生初めてであった詩人です。
中学校で先生が板書してくださって、覚えてしまい、
今でもそらんじることができます。

重吉が29歳で亡くなっていたことも知らず、
どんな人だったかも知らず
言葉だけが私の中で輝く詩人てす。

生まれが私の今すんでいる処に近いということ、
彼の最後に赴任した学校は、
引っ越さなければ私が行くはずだった高校であったこと。

詩の前に短歌を作っていたこと。

ああ知らないことばかりです。

 
座談会は1時間半にわたって行われ、
昔の軽井沢などでの写真を見ながら
4家の交流の様子、
また文士の家庭はどういうものであるかを
ユーモアを交えて語られて、たくさん笑いました。

矢代朝子さんの少女の頃のお写真も初めて拝見し、
あまりのハイソぶりとかわいらしさに圧倒されたのでした。

座談会の内容は新潮社の雑誌「波」に掲載されるそうです。
聞き逃したところなど、また確かめてみたいです。

とても楽しい会でした。



竹箆太郎(しっぺいたろう)

2016-03-16 22:09:39 | 文学
「国文学研究資料館」展示室では
「和書のさまざま」という通常展示
をしています。

以前にも見たことがありますが、
少しずつ展示がかわっています。

これは初めて見ました!


ちりめん本『しっぺいたろう』明治21年。
外国人向けのお土産として作られたそうです。

ノイバラは文字だけのものではなく、
絵画が一緒のものに惹きつけられるみたいです。


にゃんこが踊っているところ。
かわいいなぁと思ったのですが、
どうもストーリー上は
いたいけない村の娘を生贄として要求する
「化け猫」らしいです。

「竹箆太郎」という犬と旅の侍が
この化け猫をやっつけるのです。

日本昔話、竹箆太郎のストーリーは
他にもあるらしいですが、
初めて知りました。

化け猫なんて~(´;ω;‘)
踊ってるにゃんこ、かわいいですにゃ。

明治の日本にこんなリアルに描かれた
にゃんこがいたなんて。

リアルなウサギ、ピーターラビットの本が
出版されたのは1902年(明治35年)。

明治21年の竹箆太郎が先ですね❤



星を賣る店--クラフト・エヴィング商會のおかしな展覧会@世田谷文学館

2014-02-27 19:44:22 | 文学

世田谷文学館「星を賣る店」

クラフト・エヴィング商會って何だろう?
S藤さんの第2歌集の装丁をしたところですので、
装丁を仕事としていることは分かりますが・・。
謎めいています。


万葉集の講座が終わって、
少し遅い昼食、蘆花庵で腹ごしらえ。


確か「肉汁そば」850円、だったと思います。
おいしかったです。

入店したら誰もいなくて少しびびりましたが、
私のあと次々にお客が5人も入り、
安心しました。


世田谷文学館。

クラフト・エヴィング商會とは・・
吉田浩美と吉田篤弘によるユニット名。
著作の執筆と、装幀を中心としたデザイン・ワークを
主として活動しているそうです。

展示されているモノたちのその世界は好きで、
アイデアの奇抜さやノスタルジックな雰囲気を楽しみましたが、
見終わってからもやもやが残りました。

何か「違う」という感覚です。
もちろんセンスはいいのですが、
物足りないのです。

商業デザインだけに、
表面的な感じがするのかもしれません。
デザインとしてはすぐれているのでしょう。

付属の図書館で
鴎外の「手作り教科書」という
電子ブックを見ました。

画面に触れるとページがめくれていきます。
地理と歴史のノートでした。

子供のために作ったのか、
自身のために作ったのか・・。
わらないまま、急いでいましたので
確かめることもなく帰りました。

[後日談]
この展覧会をお勧め下さった
鴎外縁のМ・S子さんによりますと、
「手作り教科書」とはおそらく鴎外が
子供のために作ったものだろうということでした。

室生犀星のにゃんこ

2013-07-29 22:04:00 | 文学
こんばんは(*^_^*)

このカテゴリーは「文学」でいいのでしょうか。
「猫」でなくていいのでしょうか。

かわいい絵葉書を発見したのです~
・・というより、
かわいいにゃんこの写真を
教えていただいたのです~❤

室生犀星記念館からお借りしました。

 
火鉢猫ジイノ。


カメチョロと遊ぶ犀星。

室生犀星記念館のオリジナルグッズがかわいいんです。

4枚の絵葉書、にゃんこの写真と
詩の組み合わせですにゃ❤

カメチョロ、ジイノ、ミュン子っていう
お名前もしぐさもかわいいです❤

しかし、室生犀星記念館は
石川県金沢市・・(´;ω;‘)
どなたか、いらした方買ってきてにゃん・・

・・と思ったら、
にゃにゃんとっ。
メールでも注文できるみたい~❤

尽きせぬ思い

2013-06-12 07:26:06 | 文学
おはようございます。

やっと降りましたね。
静かな雨が渇いた土を潤しています。

さて、いよいよ『佐佐木信綱研究』第ゼロ号、
校正も終わりました。
編集長Y綱さん、F島さんの獅子奮迅の働きで、
(ノイバラもちょこっとお手伝い)
今月末にはお手元に届くと思います。

次の12月発行の第1号に向けて
猫研究隊の研究は着々と進んでいますが、
昨日は行き戻りつつあまり進みませんでした。

今までやったところから、
疑問点がでて、また見直しを
余儀なくされたのです。

問題は「す」です。

・悲しき哉わがわざすさみ身は病みていえせぬきずぞ胸にのこれる

第4句「いえせぬ」は「癒えせぬ」だと思うのですが、
「癒ゆ」+「す」(使役の助動詞)+「ず」(打ち消しの助動詞)
と品詞分解していました。

しかし、意味的に「す」を
使役の助動詞とすると何かおかしい。
尊敬の助動詞でもないし・・
動詞の可能性も?

3人で頭をかかえました。

その時くたびれ果てたノイバラに
フランク永井「君恋し」の
歌が降ってきました。

この歌詞に「尽きせぬ思い」が
あったように思ったのです。

「癒えせぬ」って「尽きせぬ」と
同じ成り立ちですよね。

デジタル大辞泉によりますと、
「尽きせぬ」は[連語]、
「尽きることがない、いつまでも変わらない」の意とあり、
「尽きす」を見よとあります。
尽きす

「す」はサ変動詞、強調の働きがあるようです。

「癒えせぬ」とは「癒えることがない、いつまでも癒えない」。
こうするとすっきりと意味が通ります。

「す」を使役の助動詞にしなくてよかった・・(´;ω;‘)


しかし、家に帰って「君恋し」の歌詞を調べてみたところ、
「尽きせぬ思い」なんていうフレーズはないのです。

宵闇せまれば 悩みは涯なし
みだるる心に うつるは誰が影
君恋し 唇あせねど
涙はあふれて 今宵も更け行く

唄声すぎゆき 足音ひびけど
いずこにたずねん こころの面影
君恋し おもいはみだれて
苦しき幾夜を 誰がため忍ばん

去りゆくあの影 消えゆくあの影
誰がためささえん つかれし心よ
君恋し ともしびうすれて
えんじの紅帯 ゆるむもさびしや


???(・ω・;A ???

まあ、結果的に分かったので何でもいいですが、
ノイバラの頭の回路は
一体どうなっているのでしょう。

歌詞がやたらクラシックだと思ったら、
大正2年にできた曲で、
フランク永井のリバイバルなのですね。

彼の低音が何ともいえず好きなのです。
「君恋し」お楽しみください。

鼠草子(ねずみのそうし)――「お伽草子」展@サントリー美術館

2012-10-30 21:41:11 | 文学
お伽草子というのをご存じですか?
「浦島太郎」「一寸法師」などの
物語に絵をつけたものです。

「お伽草子―この国は物語にあふれている―」展@サントリー美術館

地味な内容なので
空いてるかと思ったのですが、
平日にもかかわらず、文学関係と
おぼしき方々もいらして、
(拡大鏡で変体仮名を読んでいる)
意外とたくさんの鑑賞者がいました。


絵画として面白かったのは
付喪神
都大路を練り歩く「百鬼夜行絵巻」。
異形のものが楽しそうに
生き生きとしているのです。

以前に何度か見たことがあるのですが、
サントリー美術館所蔵の
「鼠草子(ねずみのそうし)絵巻」という
16世紀に描かれた絵巻物も
展示されていました。

ねずみの権頭(ごんのかみ)の
人間の姫との悲しい恋のお話なのです。

なにぶん、絵巻物ですので、
全部を観たことはないのですが、
おもしろそうだなあと思っていました。

今回かなりの部分が観られて、
そのおもしろさに驚きました。

裃をつけたねずみの絵もユーモラスで、
まるで絵本『ぐりとぐら』のような
味わいのある絵です。

家来の名前も
「穴掘の左近尉(さこんのじょう)」
「穴惑のひょんの助」など、
思わず噴き出してしまいます。

漫画の吹き出しのように
絵の中に会話が
書き込まれているところがあって、
その大人なおもしろさ!


今度、現代語訳の絵本が会場で売られているのを
発見したので買ってみました。


権頭は清水寺で出会った姫にひとめぼれし、
首尾よく姫と祝言をあげました。


婚礼の宴会のための準備でいそがしい厨での
下女などの会話が大人な味わいなのです。


姫は夫の正体を知り、
逃げ出してしまいます。


権頭の嘆きといったら。
ただくうくうと泣き
姫の調度をながめて
姫をしのぶ歌を詠んだりします。


これが源氏物語などの
古典をふまえた立派な歌なのです。


結局、ほかのおとぎ草子と同じように
権頭は出家してしまうのですが・・。

こんな歌を詠むねずみさんだったら、
私なら気付いてもそのまま
一緒にいると思います。

姫のように罠で捕まえようなんてしません。


琴の糸の罠にかかり瀕死のねずみさん。
そんなひどい仕打ちを受けても
権頭は姫が大好きで仕方がないのです。

なんていじらしい。

とても500年前に描かれたものとは思えない
リアルな手触りがあります。

こんな物語を持っている日本ってすごいですね。

国会図書館と「方丈記」講演

2012-09-15 22:49:49 | 文学
こんばんは。

ちよっと季節が違いますけれど。
花水木、秋は紅葉と赤い実がきれいですね。

辻井信行「花水木の咲く頃」

夜の講演「方丈記」を聞きに行くついでに
調べ物をしました。

国会図書館は何カ月ぶり?
5月のフランス旅行の前に行ったかな?


国会の見学者がたくさんいました。

  
みんみんみんみん・・。

ノイバラは初めて「憲政資料室」へ行きました。
以前、調査途中でここへ来れば
わかるかもしれないと言われたのです。

急いでいたのでその時には
来れませんでしたが、
秋になって少し余裕ができたので、
初体験です。

利用申し込みを書かされたり、
退出時はカードを見せて
申し出たりしなれければならず
警戒厳重な感じでした。

成果は少しありました!
全く出てこないと思っていたので、
すごくうれしい!

猫研究隊がそろそろ再始動しますので、
前哨戦といったところです。


ノイバラ、よくやった!!
ご褒美です。


有楽町「神戸屋ダイニング」でアフタヌーンティーセット。

しかし、私には甘すぎました・・(´;ω;`)←根が辛党

真ん中の段のパンまでがすごく甘くて。
胸やけしましたにゃ(・ω・;A

こんなに甘いのに
なぜジャムがついているのか・・。
ミルクティーにジャムは入れないし・・。

ちゃんとしたお食事をすべきだったかと
がっかりしましたが、
気を取り直して
よみうりホールへ。

ビックカメラの7階ですが、
何やらビックカメラの前に長い行列が!

どうやら新しいアイフォンの予約に
並んでいるようなのです。

ひゃー(・ω・;A

JR東海生涯学習財団 講演
第60回『方丈記』に聞く―時代の境目をどう生き抜くか


講師は中世文学がご専門の
浅見和彦(あさみ・かずひこ 成蹊大学教授)さんと  
五味文彦(ごみ・ふみひこ 東京大学名誉教授)さん。

鴨長明の青年時代、
京都に起こった天変地異。

「方丈記」といえば
冒頭の「ゆく川の流れは絶えずして・・」しか
知らなかったのですが、
その天変地異の様子を長明は
リアルに描写しています。

実際に歩いて、
死体の数までを数えています。
(数えたのは彼ではない
という説もあるようですが)

災害をリアルに描写する、
これが他にはない特徴です。
今まで知りませんでした。

また、長明は定家と同じ時代に生き、
新古今和歌集の編纂にも関わっていた、
というのも初めて知ったことです。

五味さんのお話の中で、
「吾妻鏡」など歴史書は
他のものを切り貼りしていることが多く、
写し間違いがあるので
注意しなくてはならないというのが
新鮮でした。

「吾妻鏡」に合わせると
長明の父の年齢、
「方丈記」の長明の年齢が
おかしなことになり、
成立年代を無理して
合わせることになってしまうそうです。

今までのやり方を
見つめなおすところから
新しい事実がわかる。

新しい研究がないところは
硬直化してしまい
小さな「何か変だな?」を放っておくと
積み重なって誤解になってしまうのだ
ということ、なんだか今の私に
言われているような気持ちになりました。

他にも示唆に富むご指摘があり、
今までで一番おもしろい講演でした。

「方丈記」を読んでみたくなりました。


帰りはいつも有楽町から
東京駅まで歩きます。


国際フォーラムの横を通ります。
この雰囲気が好き。

 
東京駅前も好き。
郵便局が素敵です。


今日は見本の招き猫を作りました。
乾燥中。2週間くらい乾かしてから
素焼き→本焼き。


大猫は白、子猫は黒にする予定ですにゃ。



市川は文学の香り--真間の手児奈と「井上ひさしと安野光雅」展

2012-06-19 09:00:06 | 文学
庭には夏のお花が咲き始めました。


ホタルブクロや。


ヤマボウシ。


旅から帰った私を迎えてくれた玄関のヒマワリ。

五月晴れで最高に暑かった日、
万葉講座のあと市川へ。

芳澤ガーデンギャラリーの
「井上ひさしと安野光雅」展を
観に行ったのですけれど、
「近くなので」とKさんのお宅に招かれたのです。

市川は文人が多く住んだ
文学の香り漂う街。

時間がないので、おもに手児奈関係の史跡を
案内していただきました。

真間の手児奈
さまざまな伝説に語り継がれているようですが、
万葉集にも詠われた悲劇の美女。
高橋虫麻呂や山部赤人たちのうたが残されており、
あちらこちらに歌碑がありました。


広重「真間の紅葉手児奈の社つぎ橋」
江戸時代このあたりは紅葉の名所だったのですね。

まずは手児奈霊神堂。


疲れていたので写真を撮るガッツがなかったのですが、
このカメちゃんを見たとたんにスイッチが入りました。
のそのそのと境内を歩いていたヤツです。


ここには「片葉の芦」が生えている池があります。
市川は海岸だったそうで、名残の池です。
片葉の芦とはこれのこと?


現在は普通の芦が茂っています。

    
池にはスイレンがたくさん。

 


向かいの亀井院の真間の井。
ここで手児奈が水を汲んでいたとか。


湧水の池。


弘法寺(ぐほうじ)の石段。
奈良時代、手児奈を祀るために建立されました。
樹齢400年「伏姫桜」と呼ばれる見事な枝垂桜があるそうです。


「井上ひさしと安野光雅」展。
安野光正の絵本はたくさんもっていますが、
原画を見ることにあまり魅力は感じていませんでした。

しかし、『絵本平家物語』の原画は素晴らかったです。
7年かけて79枚描かれたそうです。


私が買ったのはカジュアル版です。
絹に顔彩で描かれた原画の色は
再現できないと思います。

絵を見る楽しみは、こういうところにありますよね。
印刷されたものが原画を越えられないものなら、
観る価値があります。

モジリアニの背景の赤紫色は
印刷物では再現できないように。

安野さんは津和野生まれ。
津和野に「安野光雅美術館」があるのを知りました。
訪れるチャンスがあれば!


Kさんの手料理。
おいしかったです!!

『ねこのチャッピー』ささめやゆき

2012-04-22 18:10:02 | 文学

いつもの二子玉川「45R」で
ささめやゆきさんの絵本『ねこのチャッピー』を買いました。

海辺のりょうしさんのお家で生まれて
画描きさんの家にもらわれてきた
チャッピー。

木に上ったら下りられなくなったり。
とうもろこしが好きだったり。
ヘッドホンで音楽聞いたり。
いろんな生き物を捕えては見せに来たり。

猫を飼ったことがある人なら、
かならず「うんうん」とうなずくエピソード。

一ヶ月ぶりに帰国した画描きさんに
「どこいってたんだよオ」と
二階からころがるように下りてきたり。

子猫を産んでお母さんになったり。
そうして、年をとって・・。

最後、チャッピーがなくなるところでは、
泣けて泣けて。

私もこうして飼い猫を見送ったのでした。

今一緒にいる子もいつかいなくなると思うと、
それだけで泣けてきます。
いっぱいいっぱい抱きしめてやろう。


あんまり悲しいので
買わないで帰ろうとしたのだけれど、
本を包んでくださる風呂敷が
きなりのふんわりした布だったので、
つい欲しくて買ってしまいました。






ぐるぐるちゃん

2011-12-13 10:02:23 | 文学
二子玉川のお気に入りのお店「45R」で買いました。


絵本『ぐるぐるちゃん』 長江青(ながえ あおい) 文・絵

大好きなリスのお話なのです。
まず表紙に惹かれました。

子リスのぐるぐるちゃんがおかあさんと森に行って
どんぐりを食べるのです。


どんぐりをほおばってほっぺがふくらんだところ!
このページが一番好きです。
なんて絵が上手なんでしょう!
頬ずりしたくなるくらいかわいいです。

このあと、ぐるぐる尻尾にどんぐりをはさんでおうちへ帰る、
それだけのお話なのですが、
なんども読みたくなります。

早速うちに帰って大人しかいない家族に
紙芝居のように読んで聞かせました。


息子が1歳位から10歳になるまで、
毎晩欠かさずベッドの中で読み聞かせをしました。

子育ての世界では「読み聞かせ」という言葉を使うのですが、
なんだか教育的で好きではないです。

好きな絵本を子供と一緒に楽しみました。
私が好きな本を選ぶこともありましたが、
大きくなってからは図書館で「これ」という本を
リクエストされることもありました。

読みながら息子は寝てしまったり、
私まで一緒に寝てしまったり。
1日子の後を追い、家事をすれば
9時には眠くなってしまうのです。

今から思い返すとなんと贅沢な時間を
与えてもらったのだろうと思います。

子育ての時期には、
自分の自由な時間がないことが苦痛で、
苛々して子供にあたってしまったこともあります。

毎日毎日子供の世話で、
テレビも見ない、活字も読まないので
馬鹿になるのではないかと思いました。
社会からとり残されて、離れ小島にいる気分でした。

たがだか数年ですが、
30代の数年は永遠のように感じられます。

「子育ては立派な社会参加なのよ」と
先輩に言われた言葉がどれほど支えになったことか。

今のようにベビーカーで電車に乗ることもできず、
車での遠出も子供を人ごみにつれていくのが負担で
行動半径は公園とファミレス、図書館くらいでした。

そのおかげで近所の公園では
子育ての仲間ができて、
情報交換をして孤立せずにすんだのは
有難いことでした。

若かったからこそ子育てできたのですが
若さゆえに自分の価値観を押し付けてしまった部分もあります。
「おかあさんは怖かった」と息子は言うのです。

ごめんね、そしてありがとう。


講座 歴史の歩き方「土佐日記」

2011-12-08 20:13:09 | 文学

こんばんは。


眠いです・・。


ここが現在のお気に入り。
ほとんどここで寝ています。
エアコンのすぐ下なのですもの。

外出が続きヨロヨロ気味ですが、
「土佐日記」の講座を聴きに行くついでに
国会図書館にも行ってしまえ!
ということで、またもお出かけです。

師走なのに家の片づけはどうするんだっ。
年賀状はどうするんだっ。

・・なんとかなるだろう・・(・ω・;A

「なまけものの主婦」という烙印に
甘んじることができれば死ぬわけではありません。


国会議事堂裏。黄葉がきれいですねー。


おや、今日のこの国旗、見たことがありません。
どこの国のお客様なのでしょう?


ここから国会図書館まで銀杏並木。 







  


銀杏黄葉を堪能しました。

国会図書館、入口が工事中で、
本館入口しか使えず、
ロッカー、受付大混雑です。

しかし、なんと、ノイバラが調べていた
100年ほど前の古い雑誌が
すべてデジタル化され、
パソコン画面での閲覧となりました。

以前は貸出に時間はかかるし、冊数制限もあり、
さらにコピーに時間がかかっていたのが、
画面でページを指定して、申し込むと
5分とかからずコピーができてきます。

うまく指定できない部分があって、
字が小さくなったり画面が暗くなったり
慣れないととんでもないことになりますが、
時間が短縮されました。

便利で助かりますが、
別室でぼろぼろの紙をめくって
歌を探していたひそかな喜びはなくなりました。

紙が好きなんだと思います。
古くなった匂いがなんとも言えません。

ぎりぎりで切り上げて、有楽町に移動。
神戸屋レストランでお夕食を食べます。


ラ・フランスのジュースがさいこーにおいしかったです!
あ、これは息子のね。


ハンバーガーなのは、
朝昼たっぷり食べたせいです。

よみうりホールで6時から9時まで
JR東海生涯学習財団「講座 歴史の歩き方」
第57回「土佐日記」。

講師は神田龍身(たつみ)さん、石川九楊(きゅうよう)さん。
どちらも珍しいお名前ですね。

さきほどのビールが効いて眠くてたまらず、
睡眠に墜落しては這い上がり、
なんとか話の筋だけ聞いた状態でしたので、
間違って解釈しているかもしれません<m(__)m>


神田さんは土佐日記のテーマを
子を失った喪失感であるとされ、
哀傷歌の得意な貫之の目的は
人を失った悲しみそのものの
探求なのだとされました。

また水を軸として読み進め、
海面に貫之が映し出す死んだ子、花、雪、星、
水平線から現れる海賊、
すべてが幻影であり、
最後はイマジネーションの源泉である
水の枯渇で終わるとされました。


石川さんは書家でありまた日本語の研究家であり、
土佐物語の特異性(男性が女性になりかわり仮名文字で書いた)は
100年後の源氏物語で結実したとされました。

今まで、短歌を書かれた色紙を見て
?と思うことがあったのですが、
それは掛字、掛筆というのだと知りました。

たとえば「とめたら はるの」は
「とめたらば はるの」と読むのだとか。
「は」が掛字になっているのですね。

掛筆というのは、たとえばどう見ても
「ると」にしか読めない部分、
「る」の下にちょっと伸びたのが「こ」の上部分で
「こ」の下部分が「と」と共有になっていて、
「ること」と読むのです。

繰り返しを避ける法則なのですね。

また貫之は改行をいっさい行わずに書いたらしいのですが、
定家の土佐日記の写本は読みやすく
歌を改行してあるのだそうです。

内容だけでなく文字から見ていくというのは
私にとって新鮮な切り口でした。

次回は琳派。
是非参加したいです。

軽井沢塩沢湖畔朗読の夕べーーヘッセとマンボウ

2011-12-06 14:10:06 | 文学
こんにちは(*^_^*)

カテゴリーを選ぶのに、いつも苦慮するのです。

行く先々で食い倒れているし、
自然の風景を写してもいるし、
猫がいれば猫も写し、
旅なのかお散歩なのかともかくも歩き、
常に短歌を作ることを考え、
目に映ずるものに美を求めて・・

雑多なものを抱え込んでうろうろしている、
整理のできない私です。

先日、わが短歌結社の女優Y代さんの朗読会のために
軽井沢まで日帰りするという、
今まででは考えられない距離の移動をしてきました。

<軽井沢>万平ホテル別館たん熊(ランチ)→
軽井沢タリアセン 
①軽井沢高原文庫(秋季特別展「本の虫・虫の本~
ヘルマン・ヘッセ&どくとるマンボウ昆虫展」)
②堀辰雄別荘③野上弥生子書斎→
④有島武郎別荘「浄月庵」⑤ライブラリーカフェ「一房の葡萄」→
⑥旧朝吹山荘「睡鳩荘」(朗読会「ヘッセ&マンボウ
俳優3人で朗読とおしゃべり―『少年の日の思い出』」)


毎日新聞の記事にもなっていた・・。

しかし、軽井沢がこんなに近いとは・・。
新幹線のおかげで、
家から東京駅往復の時間でついてしまいます。


軽井沢は東京から上野、大宮、軽井沢と
3っつ目の駅なんですね。 


花の4K組のK澤さんがとってくださったチケット。
今回、急遽お休みとなった彼女の代わりに
K谷さんのお友達の19子さんが参加されました。


今回、うさリュックがお供です。


おしゃべりしてたらあっと言う間に軽井沢。

 
わー、空気が違います!


寒いっ。


あの山の白いのはスキ―場?

 

 

 



 


駅からタクシーで5分ほど。
万平ホテルで昼食です。


ここはホテル本館。


私たちは別館の「たん熊」です。


なにやらレトロな建物。


明治中期に造られ、
茶室などとして利用されたようです。

 


玄関前のイチイの木には赤い実がなっています。
食べられると19子さんがおっしやるので食べてみました。
やわらかくてほんのり甘くておいしいです!

 



 


急な階段です。


2階は椅子席。


古いガラスがそのまま使われているのでしょうか。
うるうるしています。

 


鳥獣戯画のうさぎさんのお茶碗です。
昆布茶でした。


障子の桟もいいなあ。 


素敵な箱です。


鳳凰と龍と桃が描いてあります。


Kさんの生ビール、ノイバラのこけももワイン、
19子さんの日本酒。 


なんといっても19さんのが
コストパフォーマンス最高。 


こけももワインはお味がいまいち・・。


お品書き。

 

 

 

 




本館も見学します。

 


軽井沢には赤い筒型ポストがよく似合う。

 

  
ロビーです。


こちらに資料室があるというので行ってみます。


このドレッサーは軽井沢彫りでつくられているそうです。


資料室。


ぶあつい金庫です。

 


昔使われていた食器。

 



ジョン・レノンが来ています。


彼が触れたピアノ。


こちらは客室です。


壁に飾られた昔の設計図。


ロビーのステンドグラス。


ロビーから喫茶室を見ました。
お茶を飲みたかったのですが、
先を急ぐので次回の楽しみにとっておきます。

 


ロビー受付横の階段。


レストランです。

 
レストラン前のお花とメニュー。

 


レストラン横のステンドグラス。
名残惜しいですけれど、
オフシーズンはお安く泊まれることを確認して
万平ホテルを後にしました。


タクシーで5分ほどです。軽井沢高原文庫。
Y代さんが理事をつとめられているのです。
ここは塩沢湖畔、
軽井沢高原文庫をはじめとする9つの文化施設があり、
「軽井沢タリアセン」と名付けられています。

 


木立の中の素敵な建物です。

 


途中、立原道造の詩碑があります。


秋季展示の「本の虫・虫の本」を観ました。
朗読会と連動した展示で、
ヘッセのエッセイ『少年の日の思い出』を中心とした
蝶の標本の展示が面白かったです。
エッセイの中心となるクジャクヤママユ、初めて見ました。

やはり昆虫を愛するどくとるマンボウこと北杜夫は
トーマス・マンとヘッセから多大な影響を受けたそうです。

ヘッセは絵も上手く、
水彩画の明るい色調で風景などが描かれていました。

 


文庫裏手の木立。



 


堀辰雄の別荘があるそうなので、行ってみます。


1412番山荘。


暖炉を中心としたこじんまりした造りです。

 

 



 
中村真一郎文学碑。
私にはなじみのない方ですが、
碑がすきとおっていて面白いです。

 


文庫正面玄関横の移築された野上弥生子書斎。

 



 


もどって文庫前。




道路隔てて浄月庵。


1階がカフェ「一房の葡萄」、
2階が資料室になっています。

 





 

 


エントランス。


まずは2階に上がって。
この階段でY代さんとばったりおあいしました。
ここが朗読のリハーサル室になっているそうなのです。


資料室からの眺め。


有島武郎の短歌。
わが結社にご家族が出詠なさっていたそうです。 


絵がプロ並みなので仰天。
弟さんは画家ですけれど。

 


心中を伝える信濃毎日新聞 大正12,7,9。
微に入り細に入り、今の週刊誌のような取材です。 


別荘はもとは別のところにありました。


「一房の葡萄」でお茶にします。 

 
この洋梨のロールケーキが絶品でした。
まだお腹いっぱいだったのだけれど、
K谷さんのお裾わけをいたたいたの。


ドアの葡萄が素敵です。


テーブルの上には本がたくさん。
読みながら待ちます。

 

 


一つのケーキを全員でわけられるように
フォークをつけて下さるサービスも暖かく、
落ち着いた雰囲気のお店でした。


橋を渡ります。

 

 




ここから有料区間。中央ゲートを通ります。

 

 

 


塩沢湖。

 




あれがきっと。

 
朗読の行われる「睡鳩荘」に違いありません!

 


皆さんがショップでお買い物の間、
ノイバラは写真撮影に走り回ります。


あれ。


カモさんいぱーい。 

 




皆さんがいらっしゃるショップです。お―い(^ω^)/

 


暗くなってきました。急ぎます。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 




ああ、きれい。

 

 

 


撮っても撮っても 目に映ずるのにはかないませんけれど。



 

 




睡鳩荘も闇の中です。


17:30~19:30

 

 


くつを脱いで上がります。
暖炉の前にY代さんたち3人の俳優さんが座り、
70名ほどの観客です。
私たちは一番前で観賞しました。

  北杜夫『どくとるマンボウ昆虫記』より3編、
  ヘッセ『少年の日の思い出』

暖炉の火がぱちぱち爆ぜてBGMとなり、
くべられた太い薪が熾となるまで、
眼前を舞う蝶や人のドラマを楽しみました。 

タクシーで軽井沢駅、
急いでおそばをいただいて、ぎりぎりセーフ。

軽井沢20:56→東京22:12


おみやげです。
帰りの新幹線で食べたサンドウィッチも(笑)。

企画のK谷さん、
今回はご一緒できなかったけれど切符手配&ランチ予約のK澤さん、
万平ホテルご紹介のKさん、
博学&会計の19子さん、
どうもお世話になりました!
すごくたのしい1日でした。


萩原朔太郎展ーーソライロノハナ

2011-11-28 13:55:16 | 文学
こんにちは(*^_^*)
寒くなりましたね。

先日、世田谷文学館企画展萩原朔太郎展を観てまいりました。

 
午前中は勉強会、
車中でお握りをもぐもぐして、寝て、
食と睡眠を確保しつつ移動。
乗り過ごし、1時間くらい無駄にしましたが(・ω・;A

スケジュール的に絶対無理と思っていましたが、
行ってよかったです。

萩原朔太郎 1886(明19)~1942(昭17)

一番の収穫は朔太郎の文学の出発が
短歌であったというのを知ったことです。

叔父の影響で短歌を始めたらしいのですが、
15歳で晶子の『みだれ髪』を読んでいます。

ほどなく「明星」(明36.7)に短歌3首を発表、
晶子の多大な影響を受けていたようで、
期待の新人とされていました。
朔太郎の短歌!
新鮮な感じの歌で、どきどきしました。

字が小さくて、筆記できなかったので、
今度調べてみようと思います。
そののちも作歌していたようです。

・拳もて石の扉を打つごとき愚もあへて君ゆゑにする
                「スバル」11号(明42)

・しののめのまだきに起きて人妻と汽車の窓よりみたるひるがほ
                「朱欒」3巻5号(大2)

大正2年には、恋の相手に贈るための
自筆歌集『ソライロノハナ』が作られました。
日本近代文学館に所蔵されているそうです。
復刻版もあります。


また、写真をよくしていたようで、
「心の郷愁を写したい」という言葉通り、
ノスタルジックな写真が残っています。

1972(昭47)、
朔太郎の妹津久井幸子さん所蔵のガラス乾板を
野口武久さんが現像し、長い年月をかけて
撮影日、場所、人を調査したらしいのです。

明治末期から昭和初頭の風景が
詩人の目を通して印されています。


『氷島』を朗読するぼそぼそと低い声を聞き、
晩年かぶっていたこげ茶のソフト帽や
肩書のない名前だけのすっきりとした名刺を観ていると、
この美学を貫いて生きるのは
辛かっただろうと思いました。

マンドリンをもった、大きな目を見開いた美少年が、
晩年の伏し目がちの研がれた壮年となるまで、
立体的に工夫されたよい展示だったと思います。

1階では、朔太郎の長女葉子の作品が展示されていました。
作品というのはもちろん著作ですが、
ダンスの衣装、オブジェ、子供の衣類、
などもありました。

葉子の『蕁麻の家』は朔太郎が
死ぬまで暮らした下北沢の家なのだそうです。
大学の時に読んだのを思い出しました。

朔太郎の『猫町』は下北沢が舞台と言われています。
「シモキタザワ猫町散歩」という
文学散歩のためのパンフレットも作ってくださっていて、
まるで私たち猫隊のためのよう❤

来月の食い倒れは下北沢なのです。
特に建物などは残っていないようですが、
森茉莉がよく通ったという喫茶店「邪宗門」には
是非寄ってみたいです。

ふきのとう

2011-03-10 14:54:48 | 文学
母が裏庭で蕗の薹を五つとってきました。


もう春なんですねー。
先日食い倒れ隊で行った子規庵の庭にも
蕗の薹がありました。

俳人正岡子規はあまりに有名ですが、
脊椎カリエスで寝たきりになっても、
旺盛な食欲と制作欲で、34歳で亡くなるまで
意欲的な創作活動を行いました。

(ぼろっちい)長屋の彼の家で句会が開かれ、
死後も続けられたそうです。
病床の彼を支えた同居の彼の母と妹も
また聡明な人であったと思われます。

子規が亡くなったのは明治35年、
翌明治36年に佐佐木信綱は31歳で
処女歌集『思草』を出版しています。

ちょうど「明星」が創刊され、
与謝野晶子、鉄幹が華々しく活躍していたころです。

明治の熱い息吹を感じながら、
子規庵の庭を歩いたことでした。