先日、銀杏の黄葉美しい上野で冷泉家のお宝を見てきました。
「冷泉家―王朝の和歌守(うたもり)展」
短歌を勉強する以上、
和歌に無関心ではいけないと観る決心をしたものの、
日本史も日本文学も書にも盲目同然の私ですので、
音声ガイドを借りることにしました。
展示の書を眺めながら、解説を読みながら、音声ガイドを聞くという
複雑な行為は私には難しく、
ワンフロアを見終わる毎に座って目を閉じて、
もう1度音声ガイドに集中しました。
結果的にはこれがとても鑑賞の助けになり、
またこの冷泉家展を特集した「芸術新潮11月号」も、
初心者の私には理解の助けになりました。
冷泉家の「御文庫(おぶんこ)」には俊成・定家以後の典籍・文書が
納めてあり、ここからほぼ400点が展示されています。
俊成の鋭角的な字、定家の剛毅な字、いずれも個性的で
素晴らしいと思いました。
勅撰和歌集「古今和歌集」「後撰和歌集」、
夥しい私家集など定家のエネルギッシュな書写は、
もちろん歌の家としての自覚があってのことでしょうが、
和歌をわがものとしようとする気迫あふれる字と思いました。
本歌取りも一朝一夕に成ったものではなかったのです。
「源氏物語」「伊勢物語」も繰り返し書き写したので、
写本を遡ると必ず定家に辿り着くらしいです。
反故紙の裏に60年に渡って書き続けられた定家の日記
「名月記」も巻物になっていて面白く見ました。
世間のできごとや愚痴や不満、熊野行幸、天文のニュースなども
織り交ぜさまざまなことが書き込まれています。
使われた紙は灰色の再生紙だったり、手紙の裏に書かれていたり。
私家集でも紙や装丁に凝った美本がある一方、
こうしたリサイクル、リユースの紙が使われているのが印象的でした。
平安中期、源時明の私家集「時明(ときあきら)集」、
作者未詳ですが字だけでなく装丁も美術品のよう。
見た瞬間にはっと息を飲むような美しさです。
人の手に書かれたとは思えぬ字です。
冷泉家の和歌を守るための800年の苦闘は、
この展覧会を観なければ知らなかったことでした。
和歌なんですから、国によって保護されていたという
イメージだったのですが、そうではなかった。
第二次世界大戦後の混乱をくぐりぬけたものの、
1981年に財団法人冷泉家時雨亭文庫が設立されるまで、
免税措置が受けられずあわや売却ということにまで
追い込まれていたのでした。
私たちの短歌とは違うものだけれど、和歌は根っこの部分。
現代短歌は私とあなたの違いを詠み、
和歌は私とあなたの同じところを詠む、
また現代短歌は目で読み、
和歌は声に出して読むのだ、
という冷泉貴実子さんのお話が音声ガイドの途中に挿入されていました。
友人が声に出して私の歌を読み上げてくださっている、
というのを恥ずかしい思いで聞いたのですが、
これは古式にのっとっているのでした。
迷う時は根っこに帰るのがいいのかもしれません。
カタログ見ながら時を遡ってます。
ああ、しあわせ(人-ω-)。o.゜。*・★
「冷泉家―王朝の和歌守(うたもり)展」
短歌を勉強する以上、
和歌に無関心ではいけないと観る決心をしたものの、
日本史も日本文学も書にも盲目同然の私ですので、
音声ガイドを借りることにしました。
展示の書を眺めながら、解説を読みながら、音声ガイドを聞くという
複雑な行為は私には難しく、
ワンフロアを見終わる毎に座って目を閉じて、
もう1度音声ガイドに集中しました。
結果的にはこれがとても鑑賞の助けになり、
またこの冷泉家展を特集した「芸術新潮11月号」も、
初心者の私には理解の助けになりました。
冷泉家の「御文庫(おぶんこ)」には俊成・定家以後の典籍・文書が
納めてあり、ここからほぼ400点が展示されています。
俊成の鋭角的な字、定家の剛毅な字、いずれも個性的で
素晴らしいと思いました。
勅撰和歌集「古今和歌集」「後撰和歌集」、
夥しい私家集など定家のエネルギッシュな書写は、
もちろん歌の家としての自覚があってのことでしょうが、
和歌をわがものとしようとする気迫あふれる字と思いました。
本歌取りも一朝一夕に成ったものではなかったのです。
「源氏物語」「伊勢物語」も繰り返し書き写したので、
写本を遡ると必ず定家に辿り着くらしいです。
反故紙の裏に60年に渡って書き続けられた定家の日記
「名月記」も巻物になっていて面白く見ました。
世間のできごとや愚痴や不満、熊野行幸、天文のニュースなども
織り交ぜさまざまなことが書き込まれています。
使われた紙は灰色の再生紙だったり、手紙の裏に書かれていたり。
私家集でも紙や装丁に凝った美本がある一方、
こうしたリサイクル、リユースの紙が使われているのが印象的でした。
平安中期、源時明の私家集「時明(ときあきら)集」、
作者未詳ですが字だけでなく装丁も美術品のよう。
見た瞬間にはっと息を飲むような美しさです。
人の手に書かれたとは思えぬ字です。
冷泉家の和歌を守るための800年の苦闘は、
この展覧会を観なければ知らなかったことでした。
和歌なんですから、国によって保護されていたという
イメージだったのですが、そうではなかった。
第二次世界大戦後の混乱をくぐりぬけたものの、
1981年に財団法人冷泉家時雨亭文庫が設立されるまで、
免税措置が受けられずあわや売却ということにまで
追い込まれていたのでした。
私たちの短歌とは違うものだけれど、和歌は根っこの部分。
現代短歌は私とあなたの違いを詠み、
和歌は私とあなたの同じところを詠む、
また現代短歌は目で読み、
和歌は声に出して読むのだ、
という冷泉貴実子さんのお話が音声ガイドの途中に挿入されていました。
友人が声に出して私の歌を読み上げてくださっている、
というのを恥ずかしい思いで聞いたのですが、
これは古式にのっとっているのでした。
迷う時は根っこに帰るのがいいのかもしれません。
カタログ見ながら時を遡ってます。
ああ、しあわせ(人-ω-)。o.゜。*・★