こんにちは(*^_^*)
寒くなりましたね。
先日、世田谷文学館企画展萩原朔太郎展を観てまいりました。

午前中は勉強会、
車中でお握りをもぐもぐして、寝て、
食と睡眠を確保しつつ移動。
乗り過ごし、1時間くらい無駄にしましたが(・ω・;A
スケジュール的に絶対無理と思っていましたが、
行ってよかったです。
萩原朔太郎 1886(明19)~1942(昭17)
一番の収穫は朔太郎の文学の出発が
短歌であったというのを知ったことです。
叔父の影響で短歌を始めたらしいのですが、
15歳で晶子の『みだれ髪』を読んでいます。
ほどなく「明星」(明36.7)に短歌3首を発表、
晶子の多大な影響を受けていたようで、
期待の新人とされていました。
朔太郎の短歌!
新鮮な感じの歌で、どきどきしました。
字が小さくて、筆記できなかったので、
今度調べてみようと思います。
そののちも作歌していたようです。
・拳もて石の扉を打つごとき愚もあへて君ゆゑにする
「スバル」11号(明42)
・しののめのまだきに起きて人妻と汽車の窓よりみたるひるがほ
「朱欒」3巻5号(大2)
大正2年には、恋の相手に贈るための
自筆歌集『ソライロノハナ』が作られました。
日本近代文学館に所蔵されているそうです。
復刻版もあります。
また、写真をよくしていたようで、
「心の郷愁を写したい」という言葉通り、
ノスタルジックな写真が残っています。
1972(昭47)、
朔太郎の妹津久井幸子さん所蔵のガラス乾板を
野口武久さんが現像し、長い年月をかけて
撮影日、場所、人を調査したらしいのです。
明治末期から昭和初頭の風景が
詩人の目を通して印されています。
『氷島』を朗読するぼそぼそと低い声を聞き、
晩年かぶっていたこげ茶のソフト帽や
肩書のない名前だけのすっきりとした名刺を観ていると、
この美学を貫いて生きるのは
辛かっただろうと思いました。
マンドリンをもった、大きな目を見開いた美少年が、
晩年の伏し目がちの研がれた壮年となるまで、
立体的に工夫されたよい展示だったと思います。
1階では、朔太郎の長女葉子の作品が展示されていました。
作品というのはもちろん著作ですが、
ダンスの衣装、オブジェ、子供の衣類、
などもありました。
葉子の『蕁麻の家』は朔太郎が
死ぬまで暮らした下北沢の家なのだそうです。
大学の時に読んだのを思い出しました。
朔太郎の『猫町』は下北沢が舞台と言われています。
「シモキタザワ猫町散歩」という
文学散歩のためのパンフレットも作ってくださっていて、
まるで私たち猫隊のためのよう❤
来月の食い倒れは下北沢なのです。
特に建物などは残っていないようですが、
森茉莉がよく通ったという喫茶店「邪宗門」には
是非寄ってみたいです。
寒くなりましたね。
先日、世田谷文学館企画展萩原朔太郎展を観てまいりました。
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午前中は勉強会、
車中でお握りをもぐもぐして、寝て、
食と睡眠を確保しつつ移動。
乗り過ごし、1時間くらい無駄にしましたが(・ω・;A
スケジュール的に絶対無理と思っていましたが、
行ってよかったです。
萩原朔太郎 1886(明19)~1942(昭17)
一番の収穫は朔太郎の文学の出発が
短歌であったというのを知ったことです。
叔父の影響で短歌を始めたらしいのですが、
15歳で晶子の『みだれ髪』を読んでいます。
ほどなく「明星」(明36.7)に短歌3首を発表、
晶子の多大な影響を受けていたようで、
期待の新人とされていました。
朔太郎の短歌!
新鮮な感じの歌で、どきどきしました。
字が小さくて、筆記できなかったので、
今度調べてみようと思います。
そののちも作歌していたようです。
・拳もて石の扉を打つごとき愚もあへて君ゆゑにする
「スバル」11号(明42)
・しののめのまだきに起きて人妻と汽車の窓よりみたるひるがほ
「朱欒」3巻5号(大2)
大正2年には、恋の相手に贈るための
自筆歌集『ソライロノハナ』が作られました。
日本近代文学館に所蔵されているそうです。
復刻版もあります。
また、写真をよくしていたようで、
「心の郷愁を写したい」という言葉通り、
ノスタルジックな写真が残っています。
1972(昭47)、
朔太郎の妹津久井幸子さん所蔵のガラス乾板を
野口武久さんが現像し、長い年月をかけて
撮影日、場所、人を調査したらしいのです。
明治末期から昭和初頭の風景が
詩人の目を通して印されています。
『氷島』を朗読するぼそぼそと低い声を聞き、
晩年かぶっていたこげ茶のソフト帽や
肩書のない名前だけのすっきりとした名刺を観ていると、
この美学を貫いて生きるのは
辛かっただろうと思いました。
マンドリンをもった、大きな目を見開いた美少年が、
晩年の伏し目がちの研がれた壮年となるまで、
立体的に工夫されたよい展示だったと思います。
1階では、朔太郎の長女葉子の作品が展示されていました。
作品というのはもちろん著作ですが、
ダンスの衣装、オブジェ、子供の衣類、
などもありました。
葉子の『蕁麻の家』は朔太郎が
死ぬまで暮らした下北沢の家なのだそうです。
大学の時に読んだのを思い出しました。
朔太郎の『猫町』は下北沢が舞台と言われています。
「シモキタザワ猫町散歩」という
文学散歩のためのパンフレットも作ってくださっていて、
まるで私たち猫隊のためのよう❤
来月の食い倒れは下北沢なのです。
特に建物などは残っていないようですが、
森茉莉がよく通ったという喫茶店「邪宗門」には
是非寄ってみたいです。