すっかり忘れていたが、藤野には「お月見」の風習が残っている。
息子が幼稚園から小学校にかけて10年間藤野に住んだが、
小学校は1学年が30数人ほど、
お母さんも含めてほとんどが顔見知りだった。
中秋の名月の日には大きなビニール袋を持って、
子どもたちは地区の家々を回るのだ。
家の前にはお菓子がおいてあって、
子どもたちは「お月見ください」と大きな声で叫んで、お菓子をもらっていく。
家によって渡すお菓子も、渡す場所もまちまちだが、
お菓子は主にスナック菓子、ときに手作りのお団子やたこ焼きなどを
振舞ってくださるお家もあった。
子どもたちはお菓子を下さる家をよく知っている。
主に子どもがいる家を回るのだ。
こんなハロウィーンのような風習のある土地が、日本で他にあるのだろうか。
藤野でも、私たちの住んでいた日連(ひづれ)地区が盛んで、
このような風習がない地域から、わざわざ遠征に来る子もいると聞いた。
日連地区は比較的家々が接近しているが、家が点在していたり、
山道ばかりといった地形の問題で、近くてもあまり盛んでない地区がある。
藤野だけでなく、津久井全体で、古くから行われていたらしい。
職場の津久井在住40代が経験しているのだから、
少なくとも40年前にも行われていたのだろう。
昔はスナック菓子などはないから、手作りのお菓子か、
芋などの畑の農作物を渡していたようだ。
「お月見ください」の台詞も「お月見下げさせて下さい」など
地区によって微妙に違うと聞いた。
時間も、昔は暗くなってからだったらしい。
思うに、お月見でお月様にお供えしたものを下げて、
子どもたちに配ったのではないだろうか。
お月様には薄とともにお団子や農作物を供える。
藤野の風習で好きなもののひとつだった。
庭で子どもたちの高い透き通った声が和すると、
なんともいえず幸せな気分になる。
私は何を用意しただろう。
キャンディーやチョコレート、スナック菓子だったような気がする。
子どもが幼稚園のときには、一緒についていった。
他愛もないお菓子だったが、子どもは大喜びで、
袋いっぱいを担いで帰り、しばらくはおやつにいただく。
都会では考えられない風習だ。
特に治安が悪く物騒な昨今とんでもない話だが、
まだ藤野にはのんびりとしてところが残っているのだ。
自然が気に入って移り住んだ地であり、
息子と家の下の川で遊んだり、山に上って楽しんだ。
庭の植物も藤野ではやたらと元気で、よそから持ってくると、
風に吹かれて大きくたくましく、別の植物のように成長するのだ。
日連地区は東に尾根が聳え、
冬などは午前11時くらいまで日が射さない土地で、
狭い日当たりのよくない庭だったが、ガーデニングをして楽しんだ。
しかし山間の狭い地域での
濃密な人間関係と古い習慣にはなかなか馴染めず、
努力はしたが10年が限度だった。
そのまま何となく、藤野でアルバイトだけは続けて、
通勤の車内から町の移り変わりを見るのだ。
緑の間に点在する家々は、離れてみると童話の世界のようだ。
以前走っていた「月夜野」行きのバスも、
過疎化に伴うバス路線縮小でなくなってしまった。
北海道では、8月の七夕(旧暦ってこと?)に「ろうそく出せ」とか言いながら子供たちが同じように家々をまわるので、今はもちろん蝋燭ではなくお菓子をあげるそうですよ。
ほおおー、北海道で!
「蝋燭出せ」は意味不明で怖いですね。
七夕に何故?
おかげさまで、息子と回った頃のこと、そのあとも子供たちが来ていたこと思い出しました。なつかしいです。引っ越してもう20年になろうとしています。
どうぞ素敵な思い出、大切にしてくださいね。
私のブログにおいでくださり、ありがとうございました。