ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

鎌倉かけあし散歩

2009-10-30 23:36:16 | 
秋晴れの1日、鎌倉山、長谷を訪れた。
紅葉は始まっていて、黄は散り始めていたが紅朱はいまひとつである。

朝、息子が帰ってきてお風呂に入ったり
食事をしたりしていたので、家を出るのが遅れる。
何しろ、同僚の個展を観にはるばる鎌倉山まで行くのだ。
早く出発しなければ夕方5時には暗くなってしまう。

横浜線→横須賀線、電車を乗り継ぎ2時間弱で鎌倉駅、
さらにバスで西進、15分ほどかけて鎌倉山。
ぼんやりして途中で東海道線に乗り間違えてしまったが、
気がついてよかった。(・ω・;A 余計遅れる

バスを待つ間に鎌倉ニュージャーマンで「リスケット」購入。

鎌倉みやげの定番は「鳩サブレ」だし、
ニュージャーマンと言えば「かまくらカスター」なのだが、
黒米・黒豆・黒胡麻・黒松の実、黒加倫入りでヘルシー、
リスの包装もかわいい「リスケット」が私のお気に入り♪
5個入り箱¥530、リュックに詰めて、出発。

鎌倉はリスが多いのだ。
よく姿をあらわすので、増えて困ると噂にきくタイワンリスなのだろう。
二ホンリスは恥ずかしがりなので、人前に現れることは稀だ。

画廊は銀色の四角い建物で目立つ。
「鎌倉山」バス停降りてすぐ。

「傍嶋崇個展」@鎌倉画廊
昨年建てられたばかりの画廊、中は広くて、
1階は受付と小品、グッズ展示、2階常設展、3階で個展が行われていた。
螺旋階段をのぼって3階、光が明るくて気持ちがよい。
壁面に油絵の抽象画10数点、ガラスケースにテラコッタの小品が数点。
新しいスタッフなので彼の作品は初めて観る。
父子4人、芸術家一家なのだが、お兄さんとは全く違う画風だ。
渋めの色遣いで、抽象だがよく見ると具象の形が隠れている。
いくつか受賞もしている彼は新進気鋭の期待される作家なのだ。


お昼は鎌倉山ロータリーをはさんですぐの「鎌倉山茶房」
画廊の方におすすめいただいた。
カレーがおいしいらしいので、キーマカリーを。
スパイスがたっぷりと効いている。
コーヒーとセットで¥1300。
カレーを食べながらゆったりとした住宅地の明るい道路をながめていると、
三叉路からは大船へゆくバス、江ノ島方面へゆくバスも走っている。
海もいいなあと思ったが、もと来た鎌倉駅へ戻ることにした。

  
バス停で待っているときの点景。

来るときにはあまり観光のことは考えていなかったのだが、
大仏さまでも観ていこうかという気持ちになったのは、
行きのバスが渋滞で大仏通りをのろのろ走っているときに、
かわいいお店を発見していたからだった。

大仏前下車、鎌倉ねこ屋

手拭いだの絵葉書だの置物だの、どれもかわいくて困ったが、
絵葉書と手拭いを購入。

  
大仏さまを見たのは実に26年ぶり。
鎌倉大仏、正しくは銅造阿弥陀如来坐像
大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)
有名な大仏さまであるのに、寺院の創設についても、
大仏の造像についても、はっきりしないのだそうだ。
大仏殿は津波で倒壊したらしい。

以前は与謝野晶子の歌の「釈迦牟尼は美男におはす」に
承服できなかったものだが、青空につくづくと見上げると、
私の尺度の美男ではないが、いいお顔だと思った。


大仏殿などに安置されていれば見られないお背中は丸くて、
2つの窓が開いている。
吟行に来たら、この背中を詠う歌人もいるのではないか?
と可笑しくなった。

  
青空に栴檀(楝)の実が美しい。

まだ葉が落ちていない木もあるが、根元を探すと実が落ちている。

修学旅行の生徒、観光の外国人が多数。
鎌倉の観光客はフランス語率が高く、
また民族衣装サリーをまとったインドからの一行が目立った。
そのまま駅まで歩きながら長谷寺、文学館に寄る。

長谷寺
   

5年くらい前に鎌倉で吟行会が行われ、
今は亡きAさんが鎌倉をご案内下さった。
あのときは、長谷寺と、鶴岡八幡宮と、あとはどこに寄っただろう。
白いさざんかの咲く道を歌会の皆と歩きながら、
先生の鞄は一澤帆布の バッグなのだなあと思ったのを覚えている。


長谷寺の、先生の御歌が刻まれた鐘もそのとき見学したのだった。

・風の音(と)の遠き未来を輝きてうち渡るなり鐘の響きは

  
いよいよ時間がなくなったので、小走りである。
駅までの途中で見かけたレトロなお店と看板。

閉館30分前にすべりこんだ鎌倉文学館

     
お庭には秋のバラが満開。
この季節に来たのは初めてなので、まずお庭を下ってバラ園を撮影。
入館、文豪の手紙を鑑賞。
無駄のない表現に、無駄で出来上がっている私は自分が恥ずかしい。

文通が趣味だった私、死ぬ前に、
一通も捨てていない段ボール数箱分の手紙を処分せねばなるまい。
これだけ返事をいただいたということは、
同量の手紙を書いていたということである。
このエネルギーを作品に昇華させていれば、
あるいは作家になっていたかもしれない(笑)とも思うが、
手紙は作品にするための呻吟とは別のもの、
私の元気のもと、純粋な喜びなのだ。
まだまだ書くと思うのだが、一生の終りはどこにあるか分からないので、
おつきあいいただいた方々にここで感謝しておこう。
楽しい時間をありがとうございました。

すぐ話が横道にそれるが、
帰りは始発茅ヶ崎からのんびりと相模線に乗っていくことにする。
思わずたくさん歩いたのでくたくた、うとうとしていたのだが、
携帯メールで目が覚め(´・ω・`) はっ、
相模線のおもしろさに気がついた。

①駅名。
茅ヶ崎、北茅ヶ崎、香川、寒川、宮山、倉見、門沢橋、社家、厚木、
海老名、入谷、相武台下、下溝、原当麻、番田、上溝、南橋本、橋本。

見慣れない地名は歴史的なイメージを膨らませる。
ことに社家(しゃけ)、原当麻(はらたいま)は不思議で、帰ってから調べると、
相模原の地名は縄文人が名付けたという郷土史家の文章に行き当たった。

相模原は古くは海岸で3万年前から人が住み着いたという。
土地の特色を現す地名の意味はポリネシア語、
後に漢字を当てはめたのだという説があるらしい。

②単線
以前から「相模線は時間がかかる」というイメージで敬遠していたのだが、
途中の駅で何度も長い停車をするのは、単線だからということに気がついた。
(・ω・;A すみません今頃。

③ドアのボタン式開閉
通年・終日にわたってドア開閉をボタン方式で行っているということだ。
中央本線では冬期のみ。
駅に着いてもドアが開かないので、初めてだと
ドアの前に立っている人は突然あわてる。
慣れた人はまずドアを開けてから、自分は降りながら「閉」ボタンを押す。
そうすると乗客がわざわざ立って閉めにいかなくてよいのだ。
この相模線では公認のワザらしい。

絵画を観に鎌倉山に出かけたら、思わず楽しい発見がたくさんあったのである


かいじゅうたちのいるところ

2009-10-29 19:46:44 | 映画
絵本『かいじゅうたちのいるところ』が映画化!

予告編を観たら、なにやらいい感じなのだ(人-ω-)。O.゜。*・★
私の大好きな、もこもこの着ぐるみ(ぬいぐるみ)の世界だし。
ああ、CGでなくてよかった。
(部分的に使われているらしいけれど)

映画「かいじゅうたちのいるところ」公式ホームページ


モーリス・センダック原作のこの絵本、
初めて読んだのはもう30数年も前のことだ。
「今、絵本の世界が面白いんだよ」と勧められて
この1冊を手にしてから、いろいろな絵本を読み集めた。
私に勧めてくれた魔法使いはもういないのだけれど、
絵本の中の狼の着ぐるみを着た少年になって、
森のかいじゅうたちと暴れ回っているのかもしれない。
私も着ぐるみを着て、一緒に絵本の中で走り回るのだ。

絵本1冊分の単純なお話がどのように膨らまされているのか、
わくわく♪
来年の1月が待ち遠しい。


綺麗ナモノ

2009-10-29 11:24:45 | 日常


何カ綺麗ナモノガ落チテイルノデスカ?

朝ノ露ガ。



 

綺麗なものは
朝夕の光や
葉の陰や
暗がりに
隠れていて



一瞬姿をあらわす。





足をとめれば出会うことができる。





それは何度も何度も、
姿を変えてあらわれる。

ひらかれた心に。

眼鏡

2009-10-23 23:20:55 | 短歌
昨日は体中が痛んで、起き上がれなかった。
熱が出たのだった。

悔しいけれど勉強会をお休みして、1日眠った。
幼稚園のときのお泊り会、お布団まで送って、
熱を出して欠席したのを思い出した。
3年前も同じように10月の歌会の司会を休んだ。

唸りながら眠っていた、と家人が教えてくれた。
夢は見なかった。

* * *

古今の「眼鏡」の歌を探しているときに、このような歌を発見した。

・処刑する前に眼鏡は外されむ机の上にうすきかげ曳く 吉川宏志

1首前に次の歌が置かれているので、
近い日の絞首刑にヒントを得てのことに違いない。

・えのき茸壜の口から垂れており昨日終わりし処刑を聞きぬ

昨日の絞首刑とは誰のものなのだろう?
直接の歌の鑑賞には必要ないかもしれないし、
有名な人物のものではない可能性もあるが、調べてみた。

歌の作られた2008年よりさかのぼって検索し、
サダム・フセインではないかと思い――彼は眼鏡をかけていただろうか――
その絞首刑の投稿映像を観た。
携帯で撮影されたものらしく、はっきりしない上に激しくぶれる。

眼鏡をかけているのか、まじまじと観察する。
さらに死後の映像まで観察したので、目に焼きついてしまった。

どちらも眼鏡はかけていなかった。
綱が首にかけられたとき、彼は落ち着いた態度であった。
すとんと画面から彼は消えた。

普段なら、観ないと思う。
ましてやまじまじと見たりはしない。
「昨日終わりし処刑」もこの映像のように行われたのだろう、
「眼鏡を外され」て。

おそらく未来の処刑も。

Participate

2009-10-21 20:28:48 | 日常
見慣れたいつもの道。
ときどき、知らない角を曲がってみる。

 

この古い標識をずっと探していた。
以前迷い込んだ道で見かけたのだったが、やっとまた見つけた。

ホーロー製。
「桑の都」というのは八王子小澤酒造の酒。
小澤酒造が寄贈したということなのだろうか?

いつごろのものだろう、他にはもう見ない。

   * * *

涼しくて気持ちのよい1日だった。
昼休みにスタッフルームのドアを開けると
鈴虫の音が聞こえる。
秋の光を音で表すと、きっとその鈴虫の高音なのだ。



S嶋さんたちと昼休みはタロット占いで遊ぶ。
「そのままの自分で参加せよ」というカードが出る。
「自分のもっているもの(能力)を分け与えよ」も。

以前、「手放せ」というカードが出て、
どういうことなのかずいぶん考えて、
それは「自分で何とかしようと頑張らない」
「背負い込まない」ことなのではないかと思った瞬間、
私はずいぶん楽になった。
プールで流れにまかせて漂う感じだと思った。

もう頑張るべき時期ではなかったのだ。
ましてや自分を追い詰め苛む必要などなかった。

今は「参加」と「分け与える」こと。
繭の中からぼんやりと現実を見ているような私だけれど、
最も苦手な、人との関わりと、お金の計算と、人の前に立つこと。
その苦手だと思っていたことをやることになった。
このままの私でいいのなら、できるかもしれない。

意外と眠ったままの能力があるかもしれないのだ。
それを発揮して人さまのお役に立てれば、
こんなに嬉しいことはない。

万葉講座・「桂林」・「高田雄太展」

2009-10-16 22:04:44 | 美術
万葉集巻十八4080―4092
先月はうっかり仕事を代わってしまい、欠席せざるを得ず、
悔しい思いをしたのです。
今月は長歌・返歌も含めて12首進みました。
キーワードは獨(ひとり)、暦、時枝誠記。

    *

いつものホテルメトロポリタン「桂林」でランチ。
今日もUさんにつれていっていただいたお陰で、
めずらしいお茶のサービスを受けました。

  
ウーロン茶を桂林の風景が描かれた茶器で淹れていただき、
牧水の盃のように小さなおままごとのような碗でいただきます。
淹れてくださるのが、日本に20人しかいないというお茶のアドバイザー、
若い男性なのだが、いろいろなことをご存知。
熱すぎても冷たすぎても駄目で、匂いを感じやすい温度帯があるらしいです。
ウーロン茶を飲み干しては碗の匂いを嗅ぎます。
飲むときよりも、飲んだあとの方が匂いを感じやすい温度になるとのこと。
普段は匂いの感度を下げて暮らしていますが、この時ばかりは匂いに集中。

     *

高田雄太展@信濃町アートコンプレックスセンター


はりねずみちゃんのお友達、高田雄太さんの年に1度の個展。

今回から違う画廊に移られたので、地図を見ながら
「こんな住宅地の中にあるのか?」と不安になりながらも
何とかたどり着きました。
アートコンプレックスセンターというのは、煉瓦造りの目立つ建物、
1階部分はカフェになっていて、2階に上がります。
廊下に沿っていくつもの部屋があり、
構造がよくわからなかったので片端から覗いてみると、
高田さんのお部屋は迷路のような建物の奥の方でした。
猫は迷路が好きなのです。

高田さんの画はお家の猫ちゃんが主人公であることが多いのですが、
馬や人物といった猫ちゃんではないものもあります。
今回は大小合わせて20点くらいあったでしょうか。

緻密な画面なので、1枚描き上げるのにどのくらいかかるのだろう?
いつもはひっきりなしにお客様がいらっしゃるので、
あまりお話をうかがうことができなかったのですが、今日は少しお話できました。
並行して描くので、1枚どのくらいとはっきりした時間を言うことは
できないらしいのですが、1ヵ月に1枚として12枚。
がんばって2枚としても24枚。
ニュージーランドやアメリカに取材に行かれるのですが、
その間作画作業はできません。
来年は個展が2度になるかもしれないので、
一と月3枚を目標にとおっしゃっていましたが、
どうなのでしょう、辛くはないのでしょうか。

昨年まで2年間「50+」というJR東海の雑誌の表紙を描かれていて、
猫は登場しないのですが、京都・東京の名所のスーパーリアリズムの画を
楽しみにしていました。
このお仕事の途中から和風な画が現れてきて、
海外の風景に置かれていた猫ちゃんが
日本の風景にも置かれるようになりました。
昨年の、白黒猫のチョビが水鉢の向こうからこちらを見上げている画は、
これまで目を閉じていたのがはっきりと目を開けてこちらを見つめていて、
「おっ」という感じでした。
よく見るとその顔が、高田さんの真面目なお顔と似ていて、
思わず笑ってしまったのですが(・ω・;A すみません・・

今度、新しいシリーズの絵葉書を作られるというお話なので、
是非、このチョビの画を入れて下さいとお願いしてきました。
よかった、今日うかがったおかげでお願いできて。

今回の和風の画は醍醐寺の紅葉と塀と猫ちゃん。
高田家の猫ちゃんたちは家に居ながらにして、
世界の各地、日本の各地に旅するのです。

      *


夕飯のお惣菜探しついでに見つけました。
モロゾフのハロウィンの黒猫キャンディー袋です。
かわいい♪
これから、これに飴を入れて持ち歩こうかな。

カフェ・シェ・ダイゴ

2009-10-12 21:25:00 | すてきなお店
Yちゃんが席を確保して待っていてくださった吉祥寺の素敵なお店
「カフェ・シェ・ダイゴ」

連日、美味しいものばかり食べていて、罰があたらないかと心配ですが
(・ω・;A ←気が小さい
ガレット(ハムとチーズ)¥800とビール¥600を頼みました。

手前の四角いのがガレット(そば粉のクレープ)です。
スパゲッティナポリタンは向かいのF島さんの召し上がったもので、
私が2人前食べたのではありません(・ω・;A
今年春、先生の早稲田の最終講義で学食のランチを撮っていたとき、
その写真にカツカレーで参加なさったのを思い出されたらしいのです。
オムライス(110周年記念号校正の日のランチ)→カツカレー
→スパゲッティナポリタンは、なにやら二丁目の匂いです。


このガレット、最高!
溶けたチーズが内側にサンドされていて、ガレットのぱりぱり、
チーズのしっとりがなんともいえずいい食感。
お味も、チーズとハムとそば粉のクレープが絶妙なハーモニー。
見た目よりボリュームがあって、お腹いっぱいになりました。

ああ、おいしかった!

* * * * *

行きには中道通り、帰りには大正通りを通ったのですが、
途中でシャボン玉を吹く熊ちゃん発見♪

おしゃべりしながらの移動中、置いていかれると迷子になる状態だったので
写真が撮れなかったのですが、調べてみると有名な熊ちゃんらしいのです。
「NIKITIKI(ニキティキ)」という玩具店の看板熊。
グータイム ニキティキ吉祥寺店 紹介記事

以前、中町通りのビーズ屋さんで働いていた同僚の話によれば、
「10年前にはもうあった」らしいので、少なくとも10年間、
来る日も来る日もしゃぼん玉を吹き続けている熊ちゃんなのです。
ひょっとすると何代目かかもしれない。

突然目の前をしやぼん玉が飛んだときはたいそう嬉しかったけれど、
ずっと吹き続けている熊ちゃんの日常を思うと胸が痛みました。 
(-ω-)←ぬいぐるみは生きものだと思っている

中道通り、昭和通り、大正通り、
かわいいお店が1㎞にわたって続いているらしい♪
もう一度、ゆっくり探検してみたいものです。



10月東京歌会吟行会@お台場、歌集『二丁目通信』を読む会@吉祥寺

2009-10-12 00:41:55 | 短歌
10.10

東京歌会はお台場の「未来館」で吟行会。
ゆりかもめ「船の科学館」駅下車、
宮崎での遅刻の教訓から、早めに行ったつもりだが、
途中でRちゃんと出会う。

「未来館」入り口でお世話役のSさんとF島さんが待ってくださっている。
「未来館」はどこも金属の輝きと電子音に充たされていて、
私はどこへいけばいいのか、途方に暮れる。
仕方なく、Rちゃんおすすめのプラネタリウムの
立体視作品「BIRTHDAY」を観ることにする。

3Dの眼鏡をかけて椅子を倒してドーム天井を観る。
印象に残ったのが、火星の青い夕焼け。
まるで本当に火星の赤い岩石に座って、空を見上げている気持ちになった。
40年も前に読んだSFの火星調査の赤毛の少年を思い出した。
バン・アレン帯、太陽の磁気嵐、だの、極地の氷、
2つの月のフォボスとダイモスなどという言葉が浮かんできた。

あとはロボットの展示があったらしいが、私は全く観ず、歌会会場へ移動。
皆さんの歌のロボットの歌を読むと、子どもの頃読んだ手塚治虫の漫画の、
ロボットのロビタが、本当に動いているのだなあと、不思議な感じだった。
(´・ω・`) ←新しい事態に全くついていけていません、
馴染むのに時間がかかるの

デラックスなお弁当を食べて、歌会。
39首、楽しかったが、朝早かったので長時間の歌会にぐったりする。

二次会は新橋のLION。
お料理も美味しく、落ち着いたお部屋で、ひたすら歌の話を。

Rちゃんの指令で作ったお、だ、い、ば(各文字を先頭にもってくる)4首
+歌会の1首が収穫。


10.11

連荘であるが、Yちゃんの御誘いを受けて勉強会に参加させていただく。
今月はF島H憲さんの歌集『二丁目通信』の読書会、
メンバーに加えていただいた。
秋晴れの歩くだけで気持ちのよい日で、
午後1時からに間に合うように、Sさんのご案内で歩く。
住宅地に入り、金木犀のよい匂い。
平屋のこじんまりした和風の公民館。

10首選と簡単なコメントを順番に述べる。
初めてお会いする方はいらっしゃらないが、
初めての場に緊張していて、
10首選だけでいいのかとぼんやりと考えていたので、
何かしゃべらなくてはいけないと聞いてあわてる。
吟行の直前に苦手の10首選をうんうん苦しみながらやっただけで、
考えがまだ定まっていない。

重なる歌もあり、重ならないのもあり、
○をつけたのだけれど絞るうちに落としたのを
やはり入れればよかったかと思ったり、
皆さんの選を読み、評を聞くのがとても楽しかった。

3人以上の選の重なった歌

・花の名をじゅうにひとえと知りてより咲けば近づく十二単に
・一生涯われらは遺族8月の太陽の下白菊を持ち
・アララギの写真 茂吉と文明の間の人は「ひとりとばして」
・ふりそうと言って別れてそれっきり 死は六画ぞ生は五画ぞ

介護の歌は迷った末にはずしたのだが、
「客観視できぬ近さに父がいて入れ歯外して舐めはじめたり」は
いわゆる「介護の歌」を超えて、「人が生きるとは
どういうことなのか」を私たちの目の前に提示しているのだと思う。

「一生涯われらは遺族」という認識、
確かにわたしたちは生まれたときから遺族なのだ。
肉親を失うという直接の苦しみをもたらす死もあれば、
遠い世界の関わりのない死もあるのだが、
累累とした屍の上に私たちは生きている。
「入れ歯を外して舐める」生を。

効率や向上といった価値観に測られてわたしたちは日常を生きているのだが、「生」というのは、その価値観からはみ出すものに違いない。
ことに介護を必要とする「生」は。
そのはみ出した「生」を引き受けるということは、
また自分の生の混沌を引き受けることだ。
肉親がこわれていくのを、もっとも見たくないものを、
目を見開いて見なければならない。
一人残った母を看ることに、私は耐えられるだろうか。


前日の未来館のプラネタリウムで、闇の中に青い光の素粒子が動いていて、
それがぶつかりあって大きくなって宇宙が形成されていく映像を見たのだが、
涙が出た。
どうしてなのかわからないが、揺り動かされた。

『二丁目通信』を読んだときに泣いたのも、多分、
二丁目のF島さんへの同情ではないと思う。
どういうものかはっきりと説明することはできないが、
いのちの輝きといったものに、揺り動かされたのではないかと思う。


台風のあと

2009-10-08 19:59:29 | 日常
  
中央線が止まり、あちこちで橋が冠水し、
出勤できないスタッフもいましたが、
台風は駆け足で過ぎ、
工房が開くころには強風で雲が吹き払われ日が射してきました。

     
水溜りの落ち葉があまりに綺麗で。

 


お昼になると、蝶や蜻蛉が飛んでいるのに会いました。


どんぐりがたくさん落ちています。

「台風のおかげでだいぶどんぐりが落ちたね。」
「明日、○○に拾いにいきましょうか。」
「ああ、いいね、晴れているから明日には乾いているだろう。」
「松ぼっくりはどうしましょう。」
「松ぼっくりのほうが急務だね、それも拾おう。」
「わかりました。」

(´・ω・`) これはリスの会話ではありません。

スタッフルームでの40代と30代男性、上司と部下の会話です。
メニューの「森のおとしもの」のための木の実確保の任務なのです。
すでに職場の庭のどんぐりは拾われていて、
スタッフのお弁当などを入れる冷蔵庫の冷凍室にぎっしり入っています。
冷凍庫を開くと、リスの気分。
(-ω-)ああ、これでこの冬は安泰だわ。(いや、1年分ですから)

秋に「どんぐり拾い隊」の任務が終了すると
「どんぐり磨き隊」の出番です。
虫に食われたのなどを取り除き、
ひとつひとつを丁寧に布で磨くのです。
この忍耐強さが要求される仕事は
受付の40代男性の仕事です。
車椅子の彼は、力仕事が出来ませんので、
お客さまがいらっしゃらないときは、
ひたすらどんぐりを磨いています。
ここでぴかぴかになると、
「森のおとしもの」のコーナーのどんぐり箱へ。
子どもたちが木の枝や木の実を接着して、立体作品を作るのです。

今日、夏休み後半のお客さまの陶芸作品
約500個の施釉、窯詰めが終わりました。

残った時間はハロウィーンの飾りつけの準備。
「小顔になるから」とノセられて、オレンジ色の風船をひたすら膨らませ、
マジックでお化けカボチャの顔を描きます。
風船を膨らませるところからわくわくして、
顔を描いていると、文化祭の準備をしている気分♪

インフルエンザや失業や児童手当の話などをしながら、
黒い目鼻や裂けた口を描きました。
ビニール袋に出来上がった風船を詰めて、仕事は終りです。


お月見下さい

2009-10-06 20:38:28 | 日常

すっかり忘れていたが、藤野には「お月見」の風習が残っている。

息子が幼稚園から小学校にかけて10年間藤野に住んだが、
小学校は1学年が30数人ほど、
お母さんも含めてほとんどが顔見知りだった。
中秋の名月の日には大きなビニール袋を持って、
子どもたちは地区の家々を回るのだ。

家の前にはお菓子がおいてあって、
子どもたちは「お月見ください」と大きな声で叫んで、お菓子をもらっていく。
家によって渡すお菓子も、渡す場所もまちまちだが、
お菓子は主にスナック菓子、ときに手作りのお団子やたこ焼きなどを
振舞ってくださるお家もあった。
子どもたちはお菓子を下さる家をよく知っている。
主に子どもがいる家を回るのだ。
こんなハロウィーンのような風習のある土地が、日本で他にあるのだろうか。

藤野でも、私たちの住んでいた日連(ひづれ)地区が盛んで、
このような風習がない地域から、わざわざ遠征に来る子もいると聞いた。
日連地区は比較的家々が接近しているが、家が点在していたり、
山道ばかりといった地形の問題で、近くてもあまり盛んでない地区がある。

藤野だけでなく、津久井全体で、古くから行われていたらしい。
職場の津久井在住40代が経験しているのだから、
少なくとも40年前にも行われていたのだろう。
昔はスナック菓子などはないから、手作りのお菓子か、
芋などの畑の農作物を渡していたようだ。
「お月見ください」の台詞も「お月見下げさせて下さい」など
地区によって微妙に違うと聞いた。
時間も、昔は暗くなってからだったらしい。
思うに、お月見でお月様にお供えしたものを下げて、
子どもたちに配ったのではないだろうか。
お月様には薄とともにお団子や農作物を供える。

藤野の風習で好きなもののひとつだった。
庭で子どもたちの高い透き通った声が和すると、
なんともいえず幸せな気分になる。
私は何を用意しただろう。
キャンディーやチョコレート、スナック菓子だったような気がする。
子どもが幼稚園のときには、一緒についていった。
他愛もないお菓子だったが、子どもは大喜びで、
袋いっぱいを担いで帰り、しばらくはおやつにいただく。

都会では考えられない風習だ。
特に治安が悪く物騒な昨今とんでもない話だが、
まだ藤野にはのんびりとしてところが残っているのだ。

自然が気に入って移り住んだ地であり、
息子と家の下の川で遊んだり、山に上って楽しんだ。
庭の植物も藤野ではやたらと元気で、よそから持ってくると、
風に吹かれて大きくたくましく、別の植物のように成長するのだ。

日連地区は東に尾根が聳え、
冬などは午前11時くらいまで日が射さない土地で、
狭い日当たりのよくない庭だったが、ガーデニングをして楽しんだ。
しかし山間の狭い地域での
濃密な人間関係と古い習慣にはなかなか馴染めず、
努力はしたが10年が限度だった。

そのまま何となく、藤野でアルバイトだけは続けて、
通勤の車内から町の移り変わりを見るのだ。
緑の間に点在する家々は、離れてみると童話の世界のようだ。
以前走っていた「月夜野」行きのバスも、
過疎化に伴うバス路線縮小でなくなってしまった。



国立(くにたち)

2009-10-05 21:14:04 | すてきなお店


ライブハウスから地上に出て、大学通り。
花の時期は桜のトンネルになります。(桜の写真は「国立リバプール」HPより)



一橋大学方面。
すぐ隣にかわいいお店が!
「Georges(ジョージズ) 国立店」
外国の雑貨がお手軽な値段で。
カラフルで楽しい店内。
私は雑貨が大好きなのですが、
わが市にはこんなにかわいい雑貨を置く店はないのです。
さすが国立!


ここでイチ押し、黒猫ちゃんキーホルダー。
頭のボッチを押すと、目が青く光り、「にゃー」と3回鳴くの。
(´・ω・`) かわいい・・←無駄遣い



道を渡って向こう側、外国のようなお店が並びます。
黒猫ちゃんもいます。
この中の一軒で、ショールとバッグを買ってしまいました。
(´・ω・`) うっとり・・←また無駄遣い

戻ろうと引き返していたら、一橋大学でコンサートが終ったばかりらしく、
ぞろぞろと人が門から出てきます。


どさくさに紛れて(別にどさくさ紛れでなくてもいいのですが、
もぐりこむ感が好きなのです)構内に入り、講堂などを見学。

何を隠そう、30数年前、私はここを受験しに来たのです。
しかも2度も。
あまりに数学の出来が悪くて、一浪したくらいではいかんともしがたく、
一応受験はしたけれど、さすがにあきらめて私立を受けました。
何故あんな無理をしたのか、今考えれば無謀だと思うのですが、
当時は「そうしなければならない」と思い込んでいて、
病気になるほど根を詰めて勉強をしました。
要領の(頭の?)悪さはこの頃から変わりません。
さらにこの要領の悪さが息子に遺伝したらしく、
浪人中に突然進路変更をして、私は寝込みました。
私の卒業時就職は難しく女子は「超氷河期」と言われましたが、
息子の卒業時も「戦後最大の不況」なのです。
要領ばかりか運も悪い。


話が横道にそれましたが、一橋のクラシックな建物が素晴らしい!
昨年は吟行会で東京大学をO野さんのご案内で歩きましたが、
緑が多くて、また別のよさがあります。


構内ではコンサート帰りの紳士淑女が談笑したり記念撮影をしたりしていました。


帰り道で見た十六夜。
満月よりも、少し欠けているくらいのほうが好きです。
満月はあまりに完全で苦しい。

   * * *

今晩は立待月のはずがあいにくの雨です。
台風の接近で、しばらく天気が悪そうです。
居待月、寝待月、宵月、有明月、暁月・・
だんだんと出る時刻が遅くなり、痩せてゆく月。
雨の夜は心に月を浮かばせてみましょうか。


ごぼてんライブ@国立リバプール

2009-10-04 23:25:51 | 音楽
あるときは謎のマッサージ師、あるときは謎の漫画家、
あるときは謎のバンドのキーボード、またあるときは私の妹であるうさ姐。

今までは東京の東端で夜遅いライブだったので遠慮していましたが、
今回は電車で4つ目の国立(くにたち)だし、昼間なので
応援に出かけることにしました。
いや、どんな音楽なのかも知らないんですけども(・ω・;A どもども
仕事のはずの日曜ですが、「代わって」とMちゃんより
願ってもない申し出があり、お休みがとれたのです♪

国立は高校のときの下車駅です。
北口より国分寺崖線のものすごい坂(階段をつけて欲しいくらいの、
雪が降ると滑って下りるしかない坂(・ω・;A )
を越えて住宅地と雑木林と畑の間を歩いて通学してました。



南口の駅舎は赤い屋根の山小屋風のかわいらしいつくりでしたが、
中央線の高架化に伴う改築で、
色気も何もない機能的な駅になってしまいました。
写真は「国立リバプール」HPより借用。

高校生だった私は、この南口の本屋の萩尾望都のサイン会に並んだのでした。

思い出にひたりながら、南口を出て大学通りをまっすぐ、
紀伊國屋と一橋大学の中間あたり、ドラッグストアの地下のライブハウスです。

国立リバプール。




写真はHPより。
1980年代からの営業、多摩地区一の広さ。←HPの受け売りです。
リバプールというだけあって、普段はビートルズバンドの演奏なのですが、
貸切もできるらしい。

うさ姐の「ごぼてん」の演奏は1時から。
ボーカルとキーボードは女性、ドラムスは男性。
キーボードの助っ人は女性、途中で助っ人のギターは男性。
メンバーはもっといるらしいけれど、今日は3名のみ。

まずは映画「バグダット・カフェ」から「コーリング・ユー」。
「ニューヨーク・ステイト・オブ・マイン」「ウィズアウト・ユー」
「ウィ・アー・オール・アローン」・・ええっとこんなものかなっ。
(´・ω・`) ←曲の名前が覚えられないんです、あとで曲名教えてm(__)m
なつかしい70年代、英語のスタンダード!
ビートルズナンバーからは「ヘルタースケルター」

聞いているうちに、あれやこれやの切ないことを思い出して、滂沱の涙。
最近、涙もろい私です。

「ごぼてん」と次の「ブラックジョーク」の演奏を聴いて失礼しました。

久しぶりの国立、面白いお店を発見したり、一橋大学構内を散策したり、
夕方まで楽しく過ごしました。

国立レポートはこちら


秋の中山道(馬籠~妻籠)ハイキング③

2009-10-02 23:49:49 | 

山裾の蕎麦畑には芭蕉の句「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」。


山を出て、庚申塚を左に折れるところから、大妻籠。



大きな旅籠が数件あり、泊り客の姿も見えます。


山女の養殖、米の天日干し、
ひろげられた山栗などをめずらしく見ました。

そして、妻籠。
外国人も含めて、観光客がぞろぞろと多いです。



寺下の町並み、18世紀の木賃宿上嵯峨屋。


金木犀が花盛りの枡形跡。


観光案内所、妻籠宿本陣など素晴らしい景観の写真を撮りながら、
駐車場まで走ります。


お店をのぞく暇がなかったので、駐車場の直前の「ゑびや」という
旧仮名づかいの心をくすぐられる茶房で家族のために
「栗きんとん」と「栗きんとん羊羹」を買いました。
中津川の名店「松葉」から仕入れられたものだそうです。

このあと、お土産物屋さんに寄るからいいやと思ったのが間違いで、
「木曾路館」では温泉で烏の行水をしたのみで、
帰りの双葉SAでもお土産を買う時間はなく、ああ、ごめんなさい。 
(´;ω;`)←おもに職場の人にあやまっています。
温泉はアルカリ単純泉、つるつるしていて気持ちよく、
露天の眺めがよかったです。


いただいた完歩証明書。\(´;ω;`)/



バスでは寝るつもりが、あまりに雲がドラマティックで美しく、
見惚れました。

バス旅でいつも驚嘆するのは、添乗員さんの定めた時間の5分前には
必ず全員揃っているというツアーメンバーの優秀さ。
添乗員さんの時間と人を読む力も素晴らしいが、
でこぼこの山道を越え、観光の誘惑を振り切り、
定刻に一つの地点に数十人が集まるのだ、ああ、素晴らしい。
私にはとてもあたりまえのこととは思えない。

私がよく行くお手軽バスツアー、やたらと買い物ばかりさせられるのが
嫌だったのですが、今回のように移動距離が長いハイキングだと、
不愉快を我慢しなくてよくて快適でした。
しかも、私にはいつも食事の量が多すぎるのですが、
お弁当だと量がちょうどよく。
さらに、最後、定刻7時半ぴったりに帰り着く、ドライバーのプロ魂を見ました。

ああ、楽しかった♪

秋の中山道(馬籠~妻籠)ハイキング②

2009-10-02 19:23:33 | 


さて、いよいよハイキング当日、お天気は上々。
降り続く雨の雲が切れて、ぽっかりと日が射した1日だったのです。
やっぱり普段の心がけがいいからなっ (´・ω・`)

朝7時半集合。
電話で力強くはげましてくださった添乗員さんは背の高いがっちりとした山男、
私が途中でへばっても拾い上げて背負って山を下ってくれそうだわ♪
と無上の信頼を寄せられる方でした。

安心して梅のお握りの朝ごはんを食べて、4時間の中央高速道のドライブ。
うとうととするうちに山梨、長野を突っ切り、岐阜の中津川ICで降ります。
八ヶ岳PA、始めての神坂(みさか)PAで休憩をとりました。


八ヶ岳で野沢菜とくるみの熱々おやきを♪
私はおやきの具は餡子など甘いものよりも
野沢菜や茄子といったのが好きです。


車窓からは、刈り取り前の黄金の稲穂、刈り取り跡の田、
たわわに実った林檎の木などが見えます。


このあと、道中でと渡された小淵沢の「丸政」のお弁当も車中で♪
材料によいものを使っているらしく、バランスもよく、大変おいしかったです。
いつもツアーのハイキングでは他人よりちょこまかと写真撮影する分
遅れるので、食べている時間がもったいないのです。

山中を走り、馬籠宿へ。
ここから妻籠へと東京方面へ戻る形で歩きます。
私たちが歩く旧道と車道が繩のように縒り合わさった形で続いているので、
間に合わなくなったら車道に出てタクシーを呼べばいいとのこと、さらに安心。





馬籠は2度の大火でほとんどが焼け、
現在の建物は復元されたものだそうです。



町並みを抜けて山道に差し掛かるころ、恵那山が見えます。
藤村の一節を思います。
「山の中とは言いながら、広い空は恵那山(えなさん)のふもとの方にひらけて、
美濃の平野を望むことのできるような位置にもある。
なんとなく西の空気も通(かよ)って来るようなところだ。」




しばらく山中を歩き、梨の木坂を越えたあたりで開け、
ひとところ人家や畑があらわれます。
畑仕事の帰りのおばあちゃんに出会ってご挨拶。


今では宿として使われていないような家を道沿いに何軒か見て歩くうち、
じきに峠に着きます。


馬籠峠。
ここで行程の3分の1。


峠からはまた山中を下ります。


立場茶屋、ここが馬籠と妻籠の中間地点。



茶屋の前には湧き水が飲めるようになっていて、
中に入るといろりの火が燃えています。
お水はやわらかくて癖がなくて、おいしかったです。


椹の巨木と道端の点景。


大妻橋から下をながめたところ。


山肌がむき出しのところは、白っぽい細かい石が露出しています。
雄滝・雌滝は道より50メートルほどはずれたところ。


木々の間の岩を伝っていって、雄滝が眼前に現れる瞬間は、
「おおっ」という感じです。



そんなに大きくはないのですが、白くほとばしる水と
透けて見える赤っぽい鋭利な岩肌とのコントラストがすばらしい。


奥の雌滝はレンズに水しぶきがかかるところまで近づくことができました。

ゆっくりしたいところでしたが写真の撮りすぎで遅れ、
ツアーの人が回りにいなくなったので、急ぎ始めます。

続きはこちらへ。