ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

中山道桶川宿――桶川1時間かけあし観光

2010-03-28 20:36:22 | 
さいたま文学館におでかけのついでに、中山道桶川宿の名残を観光しました。

桶川市観光協会HP 


桶川駅改札脇のお店もそば処「中山道」


東口駅前。
江戸までは遡らないでしょうが、なにやらレトロな建物。


自転車預かりのお店があるのは、
八王子駅南口の昭和40年代後半と同じでなつかしい・・。


まずHPで場所を確かめておいた「中山道宿場館」を訪れて、
ボランティアガイドの方に1時間お勧めルートをお尋ね。


ガイドの外川さんが歴史的なことがらから
渓斎英泉・歌川広重の木曾街道六十九次の画まで、
コンパクトに分かりやすく説明してくださいました。感謝。

江戸日本橋から京都三条大橋まで途中に69の宿を置く中山道、
昨年10月1日に中程の馬籠・妻籠間を歩きましたが
今度は江戸まで10里、ぐっと近い桶川です。
以下、ガイドさんの説明と後日調べたことをまとめてみました。

板橋、蕨、浦和、大宮、上尾、桶川と6つ目の宿場ですが、
当時桶川は山形に次ぐ日本第二の紅花の産地で、
中山道沿いは紅花商人と呼ばれた豪商の蔵と、
買い付け商人のための旅籠が立ち並び繁盛していたそうです。
山形は7月、桶川は1ヵ月早い6月に生産されるので喜ばれ、
京都から買い付けの商人が多く訪れ、
馬の背に紅花餅を積んで帰ったということです。

紅花餅(紅餅、花餅)というのは、早朝に摘み取った花を水洗い、
花踏み、(発酵の為の)花寝せ、餅丸め、餅踏み、餅乾しの作業を経て、
水溶性の黄の色素を抜き、紅の色素を残し粘りの出たところを
餅状に搗いたものをいい、当時同量の米の百倍の価格で
取引されたこともあるそうです。
市内を荒川、江川、赤堀川などが流れ、紅花の栽培に向く川霧の立つ
土地柄でありましたが、ほかには麦、煙草が特産だったようで、
英泉の木曾街道桶川宿の画には麦を打つ女と
軒下に干された煙草が描かれています。

桶川が繁栄していたことは、桶川稲荷神社の日本一重いという
610kg.の力石にも現れています。
当時は力士と呼ばれた力自慢が全国を巡業しており、
この力士を呼んで石を持ち上げさせるという興行を行ったらしいのです。
力=豊穣のイメージで、相撲が神事であったように、
力自慢もまた神に捧げる行為であったのでしょうか。
(そういえば、尾道にも神社に力石がありました・・)

皇女和宮のお輿入れのときもこの桶川に宿泊しており、
本陣には和宮が宿泊した部屋が残されているそうです。(非公開)
1ヵ月近くかかった京からの旅、あと二日というところです。
和宮は今でいうハンモックに就寝なさったこと
(疊上だと下から槍などで突き上げられて暗殺される恐れがありました)、
おトイレは畳のお部屋であったこと、面白いお話は尽きませんが、
何分、1時間ですので失礼して急ぎます。

 
桶川稲荷神社。

 
紅花商人寄進の石灯籠。(たくさんある・・ど、どれ?全部?(・ω・;A )と力石。
ここから南下。


本陣遺構、公開されていないので入り口のみ。


小林家住宅(もと旅籠)。
現在は「小林木材工業株式会社」と「Tea & Craftブラッドベリー」。


矢部家。


「島村老茶補」。


その裏の島村家住宅土蔵。(三階建て! 第一土曜のみ公開)

 
武村旅館。現在はビジネス旅館として宿泊可能です。
後ろに当時の部屋が残してあるらしいのですが、見学できません。



玄関内部の写真だけ撮らせていただきました。


これは古い扉? 玄関内に立てかけてありました。


気になったお店「べにっこ」。
「べに花まんじゅう」を作っているらしいですが、販売はしていないようです。


木戸跡。木戸は宿場の出入り口。
宿場を挿む形で入り口出口にあったそうです。


桶川駅入口交差点より北を望む。

昭和40年代に古い建物は軒並み壊され、あまり残っていないのが残念です。
桶川観光協会のみなさん!
残っている建物は是非保存公開していただき、
特産の紅花と麦を使ったおみやげと地酒がコンパクトに集まったお店を、
駅前から中山道への道すがらに設置していただきたいです。
(「ふるさと館」は遠すぎます(泣))

途中、地元の酒屋さんでお隣の上尾の地酒「文楽 樽酒」を購入。
甘口で飲みやすく、木の香りがよかったです。
こんなふうにひっそりとした酒屋さんでおかみさんにお話を
うかがいながら買うのも好きなのですけれど、
べに花まんじゅうが食べてみたかったです。

さいたま文芸賞贈呈式――藤島秀憲さん『二丁目通信』準賞受賞

2010-03-28 12:15:22 | 短歌
藤島秀憲さん『二丁目通信』がさいたま文芸賞短歌部門で準賞を受賞され、
27日午後、桶川市のさいたま文学館にて贈呈式が行われました。

さいたま文芸賞は埼玉県・埼玉県教育委員会主催、
埼玉県在住者を対象とした賞で、
小説・戯曲、評論・エッセイ・伝記、児童文学、詩、短歌、俳句、
川柳の7部門に分かれ、それぞれに1名の文芸賞受賞者または
2名の文芸準賞受賞者が決定されます。

短歌部門、選考委員は杜澤光一郎、水野昌雄、沖ななも各氏、
第41回にあたる今年は、文芸賞なしの文芸準賞授賞でした。

桶川は初めてです。
中央線で新宿、そして初めての湘南新宿ラインに乗って
ほぼ2時間で桶川駅に到着。


紅花の町らしいです。
その昔、日本橋を基点とする中仙道の第6宿で、
東口の中山道沿いには今でもその名残があります。
贈呈式の前に桶川1時間かけ足観光(・ω・;A をしたのですが、
それについてはまた別に書きます。

観光のあと、駅の西口、さいたま文学館へ移動。
途中、駅でHちゃんとばったり出会い、ご一緒します。
わが結社からは7名の藤島応援団がかけつけました。


さいたま文学館


さいたま文学館は西口公園の中にあり、ここ数日の冷えで
桜はまだ一輪二輪の開花でしたが蕾がほんのりとピンクにふくらんでいます。


公園入り口付近に旧型郵便ポストがありました。
現代彫刻を鑑賞しながら文学館に向かいます。


お花見用のシートが用意してあるのかと思いきや、
「Newspaper」という作品なのでした。(´・ω・`) ああ、びっくり

受付で関係者用のピンクのお花のリボンをつけていただき、
何やら偉い人になったような恥ずかしさで、しかも、
このリボンのおかげで、展示室を無料で見学できるのでした。(通常210円)
関係者ということでとても大切にしていただき、
文学館の方には感謝の気持ちでいっぱいです。

文学館には、贈呈式が行われるホールなどの施設、展示室、図書館があります。
展示室、常設展示の埼玉ゆかりの文学者に関する展示は見応えがありました。
「埼玉ゆかりの文学者19人」と「永井荷風コレクション」
「かな女と楸邨」コーナーには自筆の短冊・色紙の展示があり、
桜の歌など春の句に模様替えされていました。
   
   ・丘上る八重桜くゞりまたくゞる   かな女
   ・山ざくら石のさびしさ極まりぬ   楸邨
   ・満開の桜のなかの辛夷かな     楸邨 

楸邨の男性的な字にうっとり・・三ヶ島葭子にあてた与謝野晶子の
流麗な巻紙のお手紙にもうっとりしましたが、筆の文字はいいです。
あこがれです。


あっ、肝心の贈呈式ですが、(・ω・;A
立派なホールの前の方に席を確保していただき、
教育委員会教育長を初め選考委員長の高橋玄洋さんの
お話などを楽しく拝聴。
とどこおりなく、贈呈式は終了しました。

そのあとは懇親会に出席なさらなかった藤島さんを囲んで、
居酒屋でお夕飯をいただきました。

賞状、記念品などを見せていただき、おしゃべりに花を咲かせて、
東京歌会二次会の延長のような楽しさでした。

藤島さん、おめでとうございます!



桜のうた――斉藤茂吉『白き山』、大野誠夫『行春館雑唱』

2010-03-22 21:17:17 | 短歌
今日、八王子でも例年より10日早く、染井吉野が開花したそうです。
近くのお花見ポイント富士森公園、先週は彼岸桜が咲きましたが、
もう染井吉野も咲きだしたのでしょうか。

今日は大野誠夫の『行春館雑唱』を読み、『無頼の悲哀――
歌人大野誠夫の生涯』を途中まで読み、東京歌会の歌を投函。
明日は墓参。

桜の花の歌を探しました。
意外なことに、斉藤茂吉『白き山』(1949)には1首のみ、
大野誠夫『行春館雑唱』(1954)には8首。

敗戦後傷ついた心と体を癒した最上川のほとりで詠まれた『白き山』、
種々の花の歌は多いのですが、ことさら桜を避けているようにも思えます。
金線草(みづひきぐさ)、牡丹、稲、躑躅、萩、向日葵、韮、胡麻、
蕎麦、桜桃、李、胡桃、谷うつぎ・・こんなにある花のうち、
桜は1首だけなんて、不思議です。

   角館 六月十九日
・春ごとにしだり桜を咲かしめて京(きょう)しのびしとふ女(をみな)ものがたり

この歌の「ものがたり」とは?

角館武家屋敷通りの枝垂桜
(HPより引用)武家屋敷の黒板塀に映え、見事な景観を醸し出す枝垂れ桜。
その歴史は古く、今からおよそ320年前の藩政時代にさかのぼります。
角館佐竹家の二代目、義明の妻がお輿入れの際に京都三条西家から
持ってきた嫁入り道具の中にあった3本の桜の苗木。
それが元になり長い年月を受け継がれ、
今日まで残る「角館の枝垂れ桜」になったと伝えられています。
現在450本ほどある枝垂れ桜の中で、
152本が国の天然記念物に指定されています。・・

おお、なんて素敵な「ものがたり」!
桜の中では、山桜、八重紅枝垂が好きです。
角館の枝垂桜を見てみたいと思いました。

大野誠夫『行春館雑唱』、最初の結婚の破綻から、
2度目の家庭をもち子の誕生を待つまでの幸せの予感で終わっています。
仕事上の旅の歌も多く、折々の各地の自然の姿も多く詠われています。

・まぼろしに桜照る山雪つもる枝は絶えまなく雫を落とす

・山裾におそき桜は照りながら茫々としてはるかなる眉

・長き長き冬を背負ひきて波音のきこえぬ庭に桜はひらく

・雪ふれる泉のほとり花ひらく桜の枝はいまだ幼し

・眼の青き子を連れてゆく学校のさくらの下に母たちは寄る

・桜見にゆきてあそぶと父のなき子の金髪にリボンを結ぶ

・たそがれのながき森かげに餘花白く生きゆくなべて錯誤のごとし

・晩年のため桜植ゑむおのづから回想のみに生きる日は来む


桜を詠みながら、桜は自らの愛でありまた自分の境涯を重ね合わせています。

黄のいろのしばしの上下――二宮冬鳥⑤

2010-03-19 23:55:25 | 短歌
晩年の冬鳥さんの歌より。
省略が多くて、しばらく考えないとわからない歌もあります。
4首目、庭の上を塗らすのは雨です。

・ノヴァ・スコーシアの発音すでにおぼろにて白く氷の光る上なりき『昨夢集』

・枕辺の紙につたなき歌ふたつ手術のまへに妻は書きをり

・胡瓜つけ少年われをはぐくみし母のこの世にをらぬゆゑよし   『西笑集』

・ちかづきてきたり遠のきゆく音のしばらく庭の上濡らしたり  

・くちづけをしてくるる者あらば待つ二宮冬鳥七十七歳      『忘路集』

・つはぶきの黄なる花より離れたるてふ黄のいろのしばしの上下

・ポー河の流れの土手のすわりゐし数十分のその後(のち)の一生(ひとよ)
                             『忘路集以後』

・かささぎが還りきたりてまた鳴けばわが世つきざるごとき朝夕(あさゆふ)

・右横隔膜挙上し肝前面に腸管嵌入す桜さきゐるわれの現身

・まなかひに常ある樟の一樹一羽を生みて一羽を放つ


来週は歌に明け歌に暮れます。
出来るときにやっておかねばと、早々と8首を作り、
桜の歌を探し、歌を作りました。
おお! あと1首作らねばならないのでした。

またコピーのためにコンビニまで。
暖かな光を浴びながら、沈丁花、さくら草、クリスマスローズ、パンジー・・
よそさまの庭の花を楽しませていただきながら歩きます。

まだ蝶は見かけないけれど、「てふ黄のいろのしばしの上下」・・
ううむ、うまいなあ。
「桜さきゐるわれの現身」の甘さをひきしめる「右横隔膜挙上し
肝前面に腸管嵌入す」、「右横隔膜挙上し肝前面に腸管嵌入す」の無惨を
慰藉する「桜さきゐるわれの現身」・・こんな状況で見事だなあ。

明日は風が強いのだそうです。
飛ばされないようにしなくちゃ(・ω・;A ←心配はないものと思われます(笑)


二宮冬鳥④
    

映画「NINE(ナイン)」

2010-03-19 21:47:47 | 映画
本日初日。
池袋シネマサンシャインでロブ・マーシャル監督作品「NINE」を観てきました。
「NINE」オフィシャルサイト

  

主役のイタリア人映画監督を演じるダニエル・デイ・ルイスの
大ファンの友人におつきあい。
彼は嫌いではないけれど、ミュージカル映画というので、
ううむ?(・ω・;A  と迷ったけれど、
2007年12月に観た「エディット・ピアフ」でピアフを熱演した
マリオン・コティヤールが妻役で出ているというので、観にいくことにしました。

 

これがなかなかよく出来た映画で、イタリアの映画監督
フェデリコ・フェリーニの映画「8 1/2」(1963)を基にした
ブロードウェイミュージカル「Nine The Musical」(1982年初演)の映画版
らしいのですが、過去の映像と現在と舞台が複雑に入り組んだ映像は
ミュージカル臭くなくて、楽しめました。



デイ・ルイスも、豪華女優陣も、セクシーでした。
ソフィア・ローレンが母親役で出ていたのにはたまげました。
いったい、この方何歳?(・ω・;A 70歳代だと思うのですが、
9歳の子供の母親として映されることに耐えているのがすごいです。

内容も、女性とのラブ・アフェアの挙句零落した監督が
「妻を取り戻したい」というあたりで、ぼろぼろ泣いてしまったのでした。

初日、ほとんど満席だったのでは?
チケット売り場で高校生・若者が並んでいてびびったのですが、
並んでいたのは「涼宮ハルヒの消失」らしい・・。
時間ぎりぎりでしたが、ちゃんと指定席が取れました(全席指定)し、
前の席の人が気にならない見やすい映画館と思いました。



今年卒業してしまったけれど、池袋は息子の大学があった街。
1度だけ案内してもらい、あれからあっという間でした。
騒音と人がわんわんとしたサンシャイン通りに
真っ白な辛夷が満開で、けなげでした。

 

どんなところに咲いていても、辛夷は辛夷。
たとえ汚れてくすんでも、辛夷は辛夷。
飛び立っていいんだよ!

あをによし

2010-03-18 21:58:58 | 短歌
今朝はのんびりしていました。
私の仕事は土日が中心なので、平日はまったりしていることが多いのです。

朝8時から偶然、BS②で「四十五日間奈良時代一周」を見ました。
パンを齧りながら、おやと思ったのは「あをによし」の説明でした。

薬師寺の学芸員の方が、「あを」と「に」は建物の緑色と朱色を指す、
とおっしゃっていたことです。
そうだったっけ!?


 万葉集巻三328
       
        太宰少弐小野老朝臣の歌一首

・あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花のにほふがごとく今さかりなり


奈良の都は今盛りであるよ、という、意味はそれだけですが
「あをに」「花のにほふがごとく」というイメージを加えて膨らませています。

あるかなきかの古文の記憶をたぐり寄せると、
私の「あをに」は青い丹(つち)、奈良特産の青黒い土、
さらにはその土で作った瓦をイメージしていました。
青黒い瓦の屋根と爛漫の桜の花のイメージです。

広辞苑で調べると「あをに」については青い丹(土)とありました。
瓦かどうかはわかりませんでしたが・・。

ネットで調べてみると、私と同じ疑問を持つ方がいらしたようです。
群馬県立女子大学教授上代文学専門の北川和秀さんのHP
「北川研究室」でのQ&Aです。以下抜粋させていただきました。

[Q]

奈良に行った時に、薬師寺の方が、和歌の中で「奈良」にかかる
「青丹よし」という言葉の意味について話していらっしゃいました。
その方のお話だと、『青』と言うのは寺院や講堂などの建物の、
窓のようになっている部分の青い色(実際は緑に見えますが)のこと。
『丹』というのは建物の柱などの、朱色のことを、当時は『丹(に)』と
言ったので、そのこと。
つまり、『奈良の都は青と赤で彩られたたくさんの建物があって
うつくしく、よい』というのが「青丹よし」の由来なのだと言うことでした。
しかし、高校のとき、多分塾の先生に、「あおによし」の「よし」は
「良い」という意味ではなくて、「よ」も「し」もともに助詞(多分間投助詞)
だと聞いた記憶がある気がするのですが、どうなのでしょうか。

[A]

「あをによし」の「よし」は、私も間投助詞という風に理解しています。
間投助詞で良いと思いますよ。
なお、『広辞苑』には、次のようにあります。
   あおに‐よし【青丹よし】アヲ‥〔枕〕(ヨもシもともに間投助詞)
    「奈良」「国内(くぬち)」にかかる。
    奈良に顔料の青丹を産出したことが
    秘府本万葉集抄にみえるが、事実か伝説の記録か不明。
    一説に、「なら」に続けたのは顔料にするために青丹を
    馴熟(なら)すによるという。
この説明だと、薬師寺のかたの説明にある、平城京の青や朱の彩りの
美しさから来ている、というのとは違いますね。
実際の用例に当たってみると、「あをによし」という枕詞は、
奈良に都が遷る前から使われています。
奈良に都が置かれる前、平城京のあたりには極彩色の建物などは
無かったはずですから、「あをによし」という枕詞の本来的な意味は、
都の美しさとは関係ないでしょう。
といって、薬師寺のかたの説明がまるっきり間違っているというわけではなく、
奈良に都が遷ってからは、「あをによし」の意味が都の美しさを表すものに
変わっていったのではないでしょうか。
有名な、「あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にほ)ふが
ごとく今盛りなり」(328番歌)などは、
いかにも平城京の色彩の美しさを歌っているようですものね。(北川)


なるほど!
枕詞も時代によってイメージが変わってくるものなのですね!

奈良遷都以前から用例※があったことを考えると、
最初に使われたときには「あをに」はおそらく青い丹(土)であったのでしょう。

   ※つぎねふや 山代川を 宮上(のぼ)り 我(わ)が上れば あをによし 奈良を過ぎ小楯(をだて) 倭(やまと)を過ぎ 我(わ)が 見が欲(ほ)し国は 葛城(かづらき) 高宮(たかみや) 吾家(わぎへ)の辺り
     「古事記」 石之日売命(いわのひめのみこと)
             (日本書紀では「磐之媛命」万葉集「磐姫皇后」)

何故私が瓦と思いこんでいたのかは分かりませんが、
大量に産出して瓦を作るほどたつぷりあったのか、
顔料にしたというのは少量で高価なものだったのか・・。

「青丹」を調べてみるとデジタル大辞泉では
次の2つの意味が含まれています。
① 青黒い土。
② 緑色の顔料の土。岩緑青(いわろくしょう)のこと。

ということは①と②は違うものなのですね。
奈良で産出したのは、どちらであったのか・・。

さらに「花」は①桜であるという説と②種々の春の花であるという説が
あるらしいです。

英訳するとすればイメージ部分の「あをに」「花」それぞれ
二種類の解釈ができるので、全部で4種類の訳が
出来上がるということなのですね!

偶然見た番組のおかげで、楽しい古典への旅をすることができました。

河津桜

2010-03-17 22:16:56 | 自然
職場は山の中なので、寒いのです。

今朝、庭の河津桜が咲いているのを発見しました!


数年前に植えられた苗がはじめて花を咲かせたのです!


蕾もあります。

伊豆に比べると1ヵ月くらい遅いかしら。
今年は伊豆には行けなかったけれど、
ここで見られたから、うれしい♪

今日は0℃になるということだったけれど、思ったよりも寒くない。
霜が降りることはありませんでした。


ベビー・ユキヤナギ。


ベビー・ナズナ?


冬を越えたたくさんの辛夷の蕾。


咲いて!
羽ばたいて!

河童のうた――大野誠夫

2010-03-15 15:37:07 | 短歌
大野誠夫(のぶお)『薔薇祭』(1951) にこんな楽しい歌を見つけました!


・いつのころよりかわれの室にも河童棲みさびしきときに低く歌へり

・春くれば蘆荻茂りあひ青あをとわれの河童の眼もうるみくる


戦後の悲惨な景を詠んだ風俗詠、社会詠、貧苦の生活詠が続き、
間に交じる西洋芸術への憧憬に引き裂かれるような歌を読んできて、
最後のあたりに河童の歌があり、おやと思いました。

大野誠夫については今までほとんど知らなかったのですが、
茨城県河内町に生まれ、利根川のほとりに育ったらしいのです。
故郷にたつ歌碑には次の歌が刻まれているそうです。

・逢いたかる人みな失せし川べりの村歩みをり眠れるわれは
                       『水観』

「河童幻想」と詞書を添えながらも河童の歌が、
他の虚構の歌に比べて生き生きとしているのは、
幼日の川で遊んだ体験が支えている幻想であるからに違いありません。

「さびしきときに低く歌へり」「青あをとわれの河童の眼もうるみくる」

なんだか、涙が出てくるような河童ではありませんか!
いとおしくて、抱きしめたくなります。
今、私の傍らにもいるような感じがします。
2首目の上句「春くれば蘆荻茂りあひ青あをと」は故郷の川の景を
描写しているのでしょう、リアルです。

『薔薇祭』の評価とは違うので、多分この歌は
どのアンソロジーにも載らないでしょうが、
歌集を丸ごと読む楽しみというのは、
こんな歌を見つけることにあるのだと思いました。

クッキー

2010-03-14 21:12:42 | 日常
昨晩は歌会、二次会のため午前様。
帰宅後まずお風呂に入っていたら、何やら2階でがたがた音がします。
(。´・ω・)?? こんな夜更けに?

お風呂から上がると、息子がオーブンの前で頑張っているのです。
なるほど!

彼はバレンタインデーのお返しのクッキーを焼いているのでした。
最近は男性もお返しを手作りするものなのか!
それとも単にお金がないのか?

いろいろと尋ねられましたが、ここ数年はクッキー作りからも
遠ざかっていたので、忘れています。
役に立ったのは、生地のまとめ方とクッキングシートの使いかた
くらいかな・・(・ω・;A

息子が幼いときには、よく一緒にクッキーを焼きました。

・冬の日に子とクッキーの型を抜く星・犬・ハートそしてはなびら

短歌を作り始めた頃の歌です。
買い集めたいろいろな型で、薄く延ばした生地を抜いていくのです。
そして、上にはアザランやドライフルーツや木の実を飾りました。
いい匂いがして焼き上がるまでわくわくして待ちます。

ナイフや包丁を使うことも嫌がらない子だったので、
テーブルに俎板を置いて、ままごとのように野菜を切ってもらいました。
カレーやシチューのときなどは役に立ちましたが、
ほとんど役に立たないことも・・(笑)
器用だったのだと思います。
大体このくらいよ、と見本を見せると真似して同じくらいに
切ることができるようになりました。
幼稚園までのことでした。

そののちも、台所に立つのは嫌がらず、大学に入ってからは
料理をすることもなくなったけれど、一人暮らしをすることになっても
多分、大丈夫。

お稽古ごとは何もしなかったけれど、たくさん一緒に遊んだ子育てでした。

そして、その結果がこれ。


朝起きたら、おいてありました。
一番大きなかわいいワンちゃんは彼女にあげたのかな・・。

バレンタインデーだのホワイトデーだのは煩わしいと
ずっと思っていましたが、なんだか今年は「たのしい」感じで
胸がいっぱいです。

お返しを、ありがとう (^ω^)
とてもおいしかったです。

春の円卓

2010-03-13 12:51:22 | 日常
いいお天気でうれしい♪

みなさん、こんにちは<m(__)m>
テンプーレートを菜の花に交換してみたら、
お花やおいしいものの写真を観ていただきたくなりました。

 
ご近所の梅。
なんてかわいいピンクでしょう。


お祝い会でいただいた薔薇とストック。
帰りの電車でうとうととする顔の前で、いい匂い。
私の分はなかったのを、幸せを譲っていただいたのでした。
ありがとう。

ホテルメトロポリタンのご馳走です。
中華風の円卓で中央のテーブルをくるくる回して
取り分けるのですが、和洋折衷のお料理です。
25階の「ポラリス」は見晴らしのいい、アットホームなお部屋でした。
結婚披露宴で使われることが多いらしいです。


オードブルのお刺身。

パスタサラダ。菜の花が春らしい。

ローストビーフ。胡椒ではなく、山椒を遣っているところが和風。
上に牛蒡の千切りがのせてあります。

デザートのムース♪ 幸せ♪

今日はこれから東京歌会。
詠草を読んで、選歌をします。

猫のネルは隣で気持ち良さそうに寝ています。
ああ、私も寝ていたいにゃん。(~ω~)

    
春の展覧会、一番行ってみたいのは国立新美術館の「ルーシー・リー」
4月28日から。
以前見逃しているだけに、待ち遠しいです。

雪掻き

2010-03-12 22:55:25 | 自然
家のまわりの雪はもうほとんど残っていなかったのに、
高尾を過ぎるあたりから、雪国。

職場の雪はすごかった。
どうやら15cmくらい積もったようで、この冬一番。
一昨日は終日雪掻きに忙殺されたそうです。

 
昨日は一面の雪で、うああー・・と感嘆しながら、
残されたスタッフ用の駐車スペースの雪掻きをして、
大好きな雪掻きを堪能しました。


斜面をころがった雪球の跡。

うふふ。
何の足跡でしょう。


(´・ω・`) ←ノイバラさんの前足(手ともいう)のあと


手づかみで雪を食べてみたら、おいしかったので、
お砂糖をかけて食べてみました。
うちの方の雪は埃っぽいのにな。

うふ(´・ω・`) ←野生児


雪の影がもう青くありません。
光が強くなったせいかな?


てんてんとしたのは、パンジーの花が埋もれているところ。

 
木の枝がずいぶん折れて落ちました。


木の枝保管小屋の屋根の雪のしずく。


ああ、空がとてもきれい!

雪掻きばかりしていたわけではありません(笑)
出来上がった作品の梱包作業をしていました。


何て素敵な絵皿でしょう!
お客さまの描かれた絵皿です。


今朝はずいぶん冷えて、霜が立ちました。


もう石のウサギちゃんが顔を出してます。


お庭の雪もだいぶ解けました。



春の雪、有明の月、冬鳥読了――二宮冬鳥④

2010-03-10 21:54:14 | 短歌
昨日は雪が積もりました。

雨が昼頃から霙っぽくなり、どうかなあと思っていたら、
夕方には屋根に積もっていました。
夜には道路も真っ白。

読書と詠草作りのため家に籠っていたので、
困ることはありませんでしたが。

今日は朝イチで雪掻きしなくては・・起きてみると、
家のペンキ塗りに来ていた職人さんが、
駐車するためきれいに雪をどけてくれていて、
しかも昼にはお日さまが出て見る間に解けて、
雪掻きの必要はありませんでした。
なんだ、つまらない (-ω-) ←根性なしのくせに雪掻き好き

お手紙を書いて、切手を探してしたら、
坂上是則の歌の切手が出てきました。
あっ、これ冬の歌だけど、ちょうど昨夜は雪が白々と積んでいたし、
ちょうど有明月だったし、これにしよう。

・朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里に降れる白雪.
              坂上是則(古今集・冬・三三二)

この歌では実際にあるのは雪景色だけで、
有明月の光みたいだなあ・・というだけなんですが。
まあいいかっ(´・ω・`)

詠草のコピーをしに、近所のコンビニまで5分。
歩道の隅、花の上、あちこちに雪は残り、
雪解けの水が山田川を濁流となって下ってゆきます。
これであとは投函するだけ。


またまたまた二宮冬鳥で恐縮ですが(・ω・;A
やっと全歌集を読了しました!\(´;ω;`)/!

ほぼ3週間かかりました・・全部で何首読んだのでしょう
・・6000首くらいかな?
巨大なステーキを噛み千切り、咀嚼、嚥下した・・という感じです。

第6歌集『昨夢集』(昭49) 984首、冬鳥61歳。
第7歌集『西笑集』(昭56) 537首、68歳。

『昨夢集』はほぼ50代、『西笑集』はほぼ60代の歌です。
大きな出来事として、50代の冬鳥は妻を病で入院させ、
自らも狭心症で2ヶ月入院しています。
60代で片目の手術をし、老いを意識することが多くなります。

先の40代の『日本の髪』が海外詠、『南脣集』に旅行詠が多かった
のに比べると、国内の旅行、また庭の歌が多くなります。

敗戦の歌は両集に「敗れし夏」(昭39)「敗戦記」(昭50)として
納められており、ここで冬鳥が軍医として
長崎で被爆していたことを知ります。
実際の敗戦時昭和20年には、「夏日動顚」「秋悲歌」として
それぞれ数首あるだけですが、戦後20年、30年して
まとまった作が出てくるのです。

大きな出来事で、そののち繰り返し詠われるのは、
第1歌集『青嚢集』では長女草子ちゃんの誕生、敗戦。

第3歌集『黄眠集』は母の死、筑後川の洪水によって家を失い
久留米から大牟田へ居を移したこと。

内科医としての仕事と同時に結社「高嶺」の運営もあり、
多忙を極めた生活の中で家族を愛しみました。
古美術の蒐集、その深い造詣、日本各地での自然詠は
その歌に潤いを与えたのです。
厠や放屁、尿の歌も多く詠われているのですが、
お医者さんと思うと、不思議と不自然に感じません。

冬鳥さんが主人公の戦中、戦後そして平成の世に至るまでの
長編小説を読み終わった感じでした。

これから何度も読み返し、飲み込んだ肉の塊を
ゆっくりと消化しようと思います。


    二宮冬鳥③    
    二宮冬鳥②    
    二宮冬鳥① 

二宮冬鳥③

2010-03-08 20:55:55 | 短歌
またまた『二宮冬鳥全歌集』です。

本日は第4歌集『日本の髪』(昭38)第5歌集『南脣集』(昭39)、
2歌集を読みました。
これで残るはあと2歌集(-ω-; ふー

1日1000首は読めるのではないかとがんばってみたら、
合わせて1100首でした。\(´;ω;‘)/わーすごい 

途中、行き戻りつつ「靴」と長女「草子(かやこ)」さんの歌などを
拾っていたりもしたので、時間が余計にかかりましたが。

第4歌集『日本の髪』はアメリカ、ヨーロッパの海外詠。
昭和36年、ベネチアの国際病院連合に日本代表として出席され、
ついでに3ヶ月間欧米を旅された折の歌。

・耳遠く時になりつつジェット機の音を伝ふる欧氏管あり
       
      欧氏管とは耳管のこと。
      耳管が出て来るとは、さすがお医者さん。

・黄緑に静かなる塔を陰惨のごと言ひしとき漱石病めり

・眼鏡の目ほそめてきたるオランダの一少女草子にあはぬひと月
       
      草子さんは眼鏡をかけていらしたらしく、
      そういう御歌がほかにもあります。

第5歌集『南脣集』は実質上、第3歌集『黄眠集』の続き。
『日本の髪』が海外詠だからか、東京・京都を始めとして
日本各地の旅行詠が多いという印象でした。

  「きさらぎ詠草」より。

・音たてて足より雀とびたてりつれそひて二つたてるあはれさ
       
      足、とは足元のことでしょうか。同じことはよく経験
      しますが、こんなに無駄なく表すのは難しいです。

・芽のいづるまへの枝ほそく垂りながら柳と雨のあし並行す

      先日の国立博物館のお庭の柳を思い出しました・・。

  「晩冬蓼科」より。
   
・あららぎの木もおぼえつつ遠き国に木をひきてゆく祭にあへり
      
      蘭(あららぎ)は一位(イチイ)の別称。
      北海道から本州中・北部に自生するとあるので、
      冬鳥さんの出身地愛媛県にもお住まいの福岡県にも
      あまりない木なのでしょう。

・雪のこる頂あはき原のうへ歌をとどめて立てる石まで
      
      歌をとどめて立てる石・・歌碑のことかな・・。        

・遠き国きたりて雪のある斜面いのちをとはと思ふことなし  

      下句、意外で印象的。

・二十年すぎてきたれる山のうみ立ちゐるときに水はにほはず

      これも下句がうまい・・座るか、歩いて近づくか
      すると水が匂うのですね。冬鳥さんには、
      「思ふことなし」とか、否定の形が多い気がしました。
      否定することで、かえって印象付けられるのです。

・樹木いまだ芽ぶかぬ斜面かりそめの部屋を清めて雪のこりたり

      かりそめの部屋とは借りて宿泊していた部屋でしょうか。
      窓の外に広がる雪景色を想像しました。


1度読んだ歌集も1度ではなかなか歌が把握できずに、
何度も読み返したりテーマ別の歌を拾ったりしているうちに、
ようやく冬鳥さんの人生と歌が頭に入ってきました。

とても具体的な歌なので、私生活で何があったかの把握が
歌の理解のうえで必要不可欠なのですが、にもかかわらず、
あちこち飛ばし読みをしたせいで時系列がごちゃごちゃになり、
冬鳥さんの年齢による変化がうまく読み取れませんでした。

ともかくも、あと数日で全部読めると思います。
今月は2度も詠草作りがあるので、他にも読まねばならず、
もたもたしているわけにはいかないのですが。

がんばります (´・ω・`) ←せっかちだがとろい


落葉松

2010-03-07 15:49:19 | 音楽
先日聴かせていただいた「落葉松」が心に残ったので、
調べてみたら、詩人野上彰の詩でした。

「落葉松」 小林秀雄作曲、野上彰作詞
 (↑クリックするとメロディーが聴けます。)


 落葉松の 秋の雨に
 わたしの 手が濡れる

 落葉松の 夜の雨に
 わたしの 心が濡れる

 落葉松の 陽のある雨に
 わたしの 思い出が濡れる

 落葉松の 小鳥の雨に
 わたしの 乾いた眼が濡れる


もちろん歌われた藏田雅之さんの力も大きいと思いますが、
リフレインする「落葉松」「雨」「わたし」「濡れる」が印象的で、
落葉松林の匂いがしました。

詩人の愛した軽井沢で書かれた詩なのだといいます。
詩と曲と歌い手の幸福な出会いを思いました。

野上彰さんは1967年に56歳で亡くなられています。

私の生まれた1956年には詩集『前奏曲』を出されました。
野上彰 著、猪熊弦一郎 装幀・画、川端康成 序という豪華版です。