ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

ピエタ

2019-02-24 21:00:02 | 夢と死

世の中、いつ何どき何が起きるかわからないが、
体験しなくてすむこともある。

一人子を亡くすなんていうのは、
できれば経験したくないことのひとつだ。

しかし、一人子をなくしたのは私が初めてではない。
古よりたくさんの母たちが経験したことだ。
戦争で、病気で、まだ若い子を亡くした母はたくさんいる。

柳原白蓮は息子と娘がいたが、息子が戦死した。
一晩で白髪になったというが、あり得ることだと思った。
それほどの衝撃なのだ。

世界が粉々に打ち砕かれたようだった。
衝撃を受けた直後は何が起こったかわからず、
わかった直後は衝撃に耐えるために叫んだ。
体が引き裂かれるようで、立つことも坐ることもできず、
四つん這いになった。
四つん這いになって叫び続けた。

古代の葬儀に悲しみを表す儀式「匍匐礼」というのが
あると聞いたことがあるが、
四つん這いになって這いまわるのは、
究極の悲しみに耐える姿なのだと初めて知った。

突然、子に死なれていいことなどはないと思うが、
ぼんやりした頭で、戦争などで子をなくした
母の気持ちが理解できるようになった、と思った。
古代の儀式が単なる形式でなかったことを知った。

     *

20年前、父を亡くした。
腎臓病で透析を長くしていたし、
入院させていたので覚悟はしていたが、
それでもおとうさん子だった私には
たいそうなショックだった。

しかし、10代の子の子育て、
夫の事故・病気、私自身の仕事も忙しく、
悲しみにひたる間もなく、
ショックに蓋をしたまま年月がたった。

親の死は乗り越えられるものだ。
半身をもぎとられたように悲しかったのに、
もう今では、父が生きていたことすらおぼろだ。

今回は母たちの介護があるので、
泣く暇もなく保佐人の仕事と介護に奮闘している。

しかし20年の歳月は、私の回復する力を奪った。
体力が子が亡くなる前の半分になった。

直後は3分の1くらいと思ったので、
それよりも回復していると思うが、
仕事への復帰はかなわなかった。

母が退院してから子がなくなるまで2ヶ月、
仕事と母の保佐人の仕事と介護を何とかこなしていたのだ。
目が回るような忙しさだった。
体力も限界に近かった。

あのまま続けていたら、
間違いなく私が病気になっていただろう。

母の認知症も確実に進行していて、
1年前にできていたことがもうできなくなっている。

何よりも辛いのは、忘れるということではなく、
母が母でない人になっていくことだ。

忘れることはメモを書いたり
やり方を工夫すればカバーできる。
しかし、人格の変化は耐えがたい。

かかりつけの先生に、そろそろグループホームを考えては、
と背中を押されて、見学に行った。
「心の傷が深くならないうちに」と言われて、
そうか、そういうことなのかと思った。

順番待ちというので、よさそうなところに申し込んできた。
そこで終末を迎えることはできないが、
認知症専門なので、私のような素人が看るよりも
的確な介護をしてくださるのだと思う。

今日、2度目の保佐人としての報告も終わった。
初めての確定申告も終わった。

すっかり日差しが春めいて、まぶしい。


胎児は踊る

2019-02-23 23:33:33 | 夢と死

子供には5歳くらいまで胎内での記憶があるという。
20余年前のことになるが、TV番組でやっていたのを見て、
翌日、息子にたずねてみたことがある。

「ママのお腹の中にいた時のこと、覚えている?」

「うん、覚えているよ。」
(あたりまえ、という返事である。)
「ママのお腹の中は暖かでいい気持ちだった。
でも、真っ暗で、お目々を開いても閉じても何も見えなかった。
僕はこういう格好をしていたんだ。」
(と、いわゆる胎児のポーズをしてみせる)
「ママの声も聞こえたし、パパの声も聞こえた。
僕もお話しようと思ったんだけど、
声が出せないことがわかった。
ママの考えていることは、何でもわかったよ。」

「どうやってわかったの?」

「心の中でね、わかったの。」

「今はどう? 今もわかる?」

「ううん、もうわからない。」

「他に覚えていることはない?」

「ママが喋ったり、笑ったり、静かにお勉強していると、
僕うれしくて、手と足をばたばた動かしたりしてね、踊ったんだよ。」

「生まれた時のこと、覚えてる?」

「うん。寒くて、僕ママのお腹の中に帰りたいなぁって思ったの。」

「ママのお腹の中にいたこと、わかっていたの?」

「うん。わかっていた。」

「じゃあ、生まれた時にはママもパパもわかった?」

「うん、お目々は見えなかったけど、
心の中の鏡に映って、誰かが教えてくれたから、
だっこしてくれたのがパパだとわかったの。」

「いつお目々は見えるようになったの?」

「お洋服を着せてもらった時から。」

「体を洗ってもらったこと覚えている?」

「うん。ごしごしするから痛くって。
でも、洗い終わったら気持ちよかった。」

まず、生まれてすぐに私と対面。
それから、ごしごし体を洗われて、
気持ちよくなったところでパパと対面。
服を着せられて、キャスター付きのベッドに寝かされて
新生児室に連れていかれたらしい。

「パパは途中で帰ってしまったので、さびしかった。」
のだそうである。
パパは仕事をお休みしてつきそってくれたが、
陣痛の最中に、「腰をもっと強くさすって」などと
手伝わされて、さすがに疲れたのだろう。

生まれたのが11月8日夜中の11時15分。
明け方に破水して、陣痛促進剤を打ってから
半日近く苦しんでいて、
その間に同室の妊婦さんが次々に出産。
「この波の乗って生んでしまわないと
明日になってしまいますよ~」という
看護婦さんの励ましで、ぎりぎり8日のうちに生まれた。

日付が変わって木曜日。パパは夜更けの道を
きれいなお星さまを見ながら帰ったのだそうだ。

出産直前までツワリに苦しんでいた私に
赤ちゃんがお腹にいる実感はなく、
超音波の画像で見たり、お腹を蹴られたりしても、
「母親」の自覚はあまりなかった。
そんな私の考えていることが、わかっていたとは。

お腹をけられても「元気がいいなぁ」くらいにしか思わなかったが、
嬉しくて動きたくて、踊っていたのだという。
これは犬猫が突然言葉をしゃべりだしたようなショックだった。

ふにゃふにゃと生まれてきた赤ちゃんはただ泣いて
何故泣くかわからない新米ママを困らせたのだけれど、
何でも感じられるのに言葉で伝えられないのが
じれったくて泣いていたのだろうね。

「僕はね、こんな豆粒みたいなのから、
ずんずんって大きくなったんだよ。ママのお腹の中で。」

「どうしてわかるの?」

「心の中でね、わかったんだよ。」

話してしまうと、息子はあくびをして眠ってしまった

胎児の心の鏡に映る、心の中でわかるって
どういうことなんだろう。
しかも、もしそのまま覚えてくれていたら、
性教育なんて必要ない。






金色の神さま

2019-02-22 22:22:22 | 夢と死


五歳の息子にたずねてみたことがある。

神さまを見たことがある?

うん、あるよ。
神さまはね、金色の長いお洋服着ていて、
手にピカピカ光る剣を持っていて、
キラキラの冠をかぶっていた。

いつ、見たの。

ママのお腹にいた時、夢に見た。

何かお話した?

神さまは「偉い人になりなさい」って言った。


そうか、そうか、偉い人になってくれるのかと
楽しみにしていたのだが、
偉い人についぞなることはなく、息子は死んだ。

あるいは、「偉い人」の意味が、
私たちが考えるのと違ったのかもしれない。

息子は生きている間、私たち家族を大切にし、
職場では先輩や後輩、同僚を大切にした。
わたしたちの誕生日や父の日、母の日には必ず、
その時の経済状態に見合ったプレゼントをくれた。

私がキッチンに立っていると、何も言わずに
洗いものをしたり、盛り付ける皿を出したりして
あたりまえのように助けてくれた。
母子なので、何も言わなくても私の気持ちが
分かってくれるのだろうと思っていたが、
同じようなことを職場でもしていたと
同僚や後輩が話してくれてわかった。

大人になってから一緒に歩いていると
いつも息子は背後にいて、
それはとんでもない安心感だった。

そういうのを、「偉い」といってもいいのかもしれない。
当初の予定の「偉い」を究めたので、
息子は死んでしまったのかもしれない。

突然死んでから、彼はどこに行ってしまったのか、
考えるようになった。

この一年、息子が夢に出てきたのは母の日の一度だけだ。
息子の不在にひたすら耐えた。

一周忌は震えるほどの恐怖だった。
何もせずに家で過ごし、平静をたもった。
葬儀から一年たって、ようやく息をついた。

死後の世界の本も読みふけったが、
あまり深入りすることは避けた。
深入りすると、この世界にいることが
できなくなりそうだった。

その中で、神さまたちと人間の魂は、空の上にいて、
魂は自分で母親を選んで、神さまの許可を得て
生まれてくるのだという話を読んだ。

死んだら「ああ、楽しかった」と
この世での苦しみ多き生に感謝して
また空の上の世界に戻るのだという。

ああ、息子はまた金色の神さまのところへ
戻っていったのだと思った。

楽しく笑いながら、大好きなスイーツを
たくさん食べているに違いない。



金のピアス

2009-08-13 23:00:04 | 夢と死
おととい二十夜、夢を見た。
金のピアスをプレゼントされたのだ。

私は耳にピアスの孔を開けていないので
「あれ、こまったな」と思ったのだけれど、
きらきらしてとても綺麗で、持っているだけで
幸せになりそうなピアスだった。
貰った相手は、昔の恋人だった。

不幸に終った恋だったのですっかり忘れていたのだが、
彼には装身具をついぞプレゼントされなかったので、
余計嬉しかったのかもしれない。
一緒に歩いたり、食事をしたような気もする。
世界中が光り輝くような夢だった。

――蜩の声で、眠りの淵に浮かび上がった。
谷を越えて鳴きあう蜩。
まどろむうちに、みんみん蝉の声にかわった。
それが朝鳥の囀りにかわり、また眠りに落ちた。
目覚めると5時50分だった。
目覚めてからも幸福感が続き、
仕事をしながら荒井由実の歌をくちづさんでいた。
「Good luck and Good bye」(1976)
ああ、そうだこの曲もよく聞いていたのだ。

30年前は2度と会えないのがあまりに辛くて泣き続けたが、
夢を見てから、一緒に歩いたり、おしゃべりしたり、
食事をしたりした時間を思い出して、本当に幸せだったと思った。
彼のほうが先に「駄目だ」と思って、サインを出していたのに
ぼんやりの私は気がつかなかったのだ。
ある日、突然電話を切られて驚いたが、
しかし2度と電話しようと思わなかったのは、
どこかで私もわかっていたのかもしれない。

甘えん坊の私は多分、怜悧な彼が怖かったのだ。
いつもいつも、私よりも魅力的な優れた女性が彼には合うと思い、
劣等感に打ちひしがれていた。

今ではもう、私の息子が、あの時のわたしたちの年齢だ。
私を解き放してくれてどうもありがとう。