井戸の中の蛙、それが戦前の陸軍であった。
20世紀に入り陸上戦闘において、劇的に変えたのが機関銃と戦車であった。云い方を変えると、火力の集中攻撃と、エンジンを備えた高速機動戦術による兵力の展開である。
19世紀までの戦争は、大型火砲と単発銃でも戦争が出来た。兵力の異動は馬車や船であり、それは兵装の近代化の始まりではあったが、旧来の軍事思想の域を超えるものではなかった。
しかし、連装銃に加えて機関銃という武器を一兵士に持たせることが可能になると、その破壊力は飛躍的に高まった。また第一次世界大戦でこう着した戦場を突破した戦車の出現は、従来の戦術をはるかに超えた革新を要求した。
さらにガソリンエンジンを装備したトラックの出現により、兵站の大量高速展開が可能となり、戦場の展開をより広範囲にすることが可能となった。これらの革新的兵装が実地で試されたのが、黒海沿岸のクリミア半島で行われたロシア対トルコ(欧米支援)の戦争であり、また遥か極東で行われたロシアと大日本帝国との戦争であった。
この二つの戦争が後世に与えた影響は大きい。多くの国がこの戦争を観戦するために武官を派遣し、新しい兵装の威力を目の当たりにした。その経験を活かして、新しい軍隊の再構築を行い、それが次の二つの世界大戦に活かされることとなった。
ちなみに戦車と航空機が戦場に投入されたのは、第一次世界大戦ではあるが、その準備は当然に以前からなされていた。ただ、旧来の兵装を新しいものに変えるには、多大な抵抗があったのは、どの国でも同じであった。
人は成功に縛られる。旧式の兵装でこれまで勝ってきたのに、何故に変える必要がある?この頑迷さを跳ね除けて、新しい兵装に変えるのは非常に難しい。日本はそれが出来なかった。特に陸軍がダメであった。
それゆえに帝国陸軍は、ノモハンでソ連軍相手に苦杯を舐め、太平洋の島々でアメリカ軍相手に惨めな敗退を強いられた。
とはいえ、第二次世界大戦の覇者であるアメリカとて、旧式の兵装から新式への切り替えが全て上手くいったわけではない。その典型ともいえるのが、戦車である。
第二次世界大戦における最高の戦車といえば、ソ連のT34である。この戦車の原型は、実はアメリカの技師J・W・クリスティが造ったクリスティ式戦車である。当初はアメリカ陸軍に提案したのだが、結局採用されず、資金に困ったクリスティはロシアと英国に売却。
ロシアはこれを基にBT戦車を作り、その発展系がT≠R4であった。ただし、イラストに記したクリスティ式懸架システムは採用していない。実はこのクリスティ戦車の優れた点はデザインにあった。傾斜装甲と製造が容易い構造こそが、最大の強みであったがアメリカはそれに気が付かず、唯一ロシアだけがその真価を認めた。
このT34なしにソ連の勝利はなかったかもしれないことを思えば、アメリカ陸軍は判断を誤ったとしか言いようがない。一方、アメリカ陸軍の主力戦車といえば、M4シャーマンである。
この映画に出てくるのも、当然にシャーマンである。この戦車の特徴は、製造が簡単で、構造がシンプル。また信頼性抜群のエンジンによる高速機動性である。しかしながら、戦車としての防御力は貧弱で、攻撃力も決して強くない。
当時はまだ連合国として味方であったソ連のT34に大幅に劣るのはともかく、敵たるナチス・ドイツの4号戦車にも劣る。まして最強を謳われた6号戦車ティーゲルや、5号戦車パンッツアには大幅に劣る。
記録では一台のティーゲルに一四台のシャーマンが撃破されたこともあるから、如何に実力差が激しかったかが分かる。ただし、鈍重なディーゲルに比べると軽量な車体に強力なエンジンを積み込んだシャーマンは、その機動性を活かしてティーゲルの背後に回り込み、装甲の薄い後部から撃破したと伝えられている。
私はこの映画で初めて、その撃破シーンを目にすることが出来た。よっぽど詳しい人間に、戦車の戦闘の助言を受けたに違いない。ただし、この映画でも三台の同僚戦車が撃破されており、その犠牲の下での勝利であった。
戦争とは如何に残酷なものであるかが良く分かる映画でもある。いつもヒーローを演じることが多いブラッド・ピットだが、さすがにこの映画ではダーティなイメージが強いヒーローにならざるを得ない。
味方の屍を積み重ねての勝利であることを隠さないあたりが、さすがである。憲法九条を掲げれば平和は守れるなんて甘ったれた思想が、いかにくだらないかが良く分かる。
多くのアメリカの若者の屍の上に勝利を掲げ、戦後二〇世紀の覇者として君臨したのがアメリカである。もちろんアメリカは、自国の若者の犠牲の上での栄光であることを承知している。
だからこそ第二次世界大戦における、アメリカの勝利を否定するかの如き動きには警戒を隠せない。いや、絶対に許すことが出来ない。
私は安倍政権がアメリカから警戒される原因は、ここにこそあると信じている。改憲への希望を隠さない安倍首相だが、私は時期尚早だと思う。もちろん私自身は改憲論者だが、反アメリカ的な風潮が世界的に広まっている時にやるべきではないと考えます。
では何時か? やはりアメリカ政府から公式に改憲を求められた時だと思います。内政干渉?ありえない?
私は十分あり得ると予測しています。二一世紀は小規模な戦闘が繰り返され、内戦と混乱が相次ぐ世紀である以上、アメリカ軍が全てに対応できるはずもなく、いずれアメリカ国防省の後押しを受けて、同盟国への参戦を望むはずだからです。
昨年の集団的自衛権などは、その一環だと考えます。つまり憲法を蔑ろにして、事実を積み重ねて戦争への道を拓いていくのが、今後の日本だと容易に予測できるのです。必然、それは改憲へとつながります。
だが、今は早すぎる、時期ではない。
なお、映画ですが、これほど迫力ある戦車の戦闘場面を描いたものは少ないと思うので、その場面を見るだけでも価値あり。戦車という武器を持つことの意味が良く分かると思いますよ。