タイトルが素晴らしいではないか。
原題は「Do Androids Dream of Electric Sheep?」の直訳なのだが、これ以外のタイトル和訳は思いつかない。
この作品が書かれたのは、1960年代前半、冷戦がいつ熱い戦争になるか分からない不安が、誰の脳裏にも過る時代であることが重要となる。
初めて読んだのは、中学生の頃だから、ほぼ40年ぶりの再読となる。この作品で描かれていた荒廃した地球も印象的だが、なによりも自我が目覚めたアンドロイドと、それを危険視する人間との対立という構図に衝撃を覚えた。
第三次世界大戦という核戦争により荒廃した地球では、動物も植物も昆虫も、すべて自然のものは貴重なものとされている。生きている動植物は、黄金よりも貴重な財宝であり、国家により厳重に管理されている。
それゆえ、裕福な人間でさえペットとして飼えるのは、電気仕鰍ッの犬に過ぎない。かつてはありふれた玩具であった木製の木馬でさえ精工にに模造された偽物である。
その技術は限りなく人間に近づいたアンドロイドを完成させ、人間では耐え切れない過酷な環境での労働に従事させている。だが、あまりに精巧に模倣されたアンドロイドたちは、いつのまにやら自我に目覚める。
過酷な火星の労働農場から脱出したアンドロイドたちが地球に潜入して、人間たちに紛れて棲息している。この逃亡アンドロイドを追いかける主人公は、やがてあまりに精巧に人間を模倣されたアンドロイドたちに、奇妙な共感さえ覚える。
そしてやがて・・・
その先は読んでもらったほうがいい。予め言っておくと、映画「ブレードランナー」とは少々異なる。どちらが良い、悪いではなく、フィリップ・K・ディックの不思議な世界観は、是非とも体感していただきたいもの。
もうお気づきの方もいると思うが、私がこの書を再読する気になったのは、先日公開された映画「ブレードランナー2049」を観るための予習であった。
何故かと言うと、映画「ブレードランナー」自体、製作されたのは1980年代であり、既に第三次世界大戦の危機は薄れていた。代わりにコンピューターの急激な発達が社会に影響を及ぼすことが、身近なこととなった時代である。
当然に映画は原作とは、いささか異なるものとなった。っつうか、ぶっちゃけた話、リドリー・スコット監督は原作を読んでいなかった・・・
だからといって、原作の素晴らしさが減じる訳ではない。知人の子供にこの本を教えたら「ライトノベル?」と云われて絶句した。全然軽くないのだが、タイトルのインパクトは、今どきの子供にも通じるものがあったようだ。
読後感はまったくライトではないが、是非とも読んで欲しい古典的名作だと思います。
余談ですけど、羊が柵を飛び越えるのを数えて眠る人って、本当にいるのかな? あたしゃ聞いた事ないのだけれどね。