私がまだ小学生の頃、家の近くには、安いオンボロアパートが沢山あった。そこには所謂学生運動家が沢山住んでいた。
母に連れて行かれたキリスト教の集まりには、その学生運動家たちが数人参加しており、児童たちの面倒をみてくれた。讃美歌を歌ったり、聖書を暗唱したり、あるいはクリスマス向けに子供芝居の練習をしたりして楽しい時間であった。
そこで私はマルクス主義の啓蒙を受けた。虐げられた労働者階級の怒りと、それを糺すための革命の必要性は、幼い私の心に熾火のような熱い思いを灯してしまった。
この革命の実現には二つの方法があり、主流は話し合いと選挙により多数派となり、議会を制して平和的な社会主義革命を起こすことだ。しかし、少数ながらも、その方法ではダメで、やはり武力による革命こそが日本に真の変革を実現できると信じている人たちもいた。
当時、既に70年安保闘争に敗れており、その絶望感から強引な武力革命を志向する若者たちが増えていたように思う。子供ながらも、私は武力革命こそが、最も現実的な方法であると考えていた。
だから自然と武力革命志向の強い学生運動家のお兄さんたちの元に集うようになった。
・・・いや、ウソじゃないけど、真実ではない。まだ10代前半の私は相手にされていなかったのが本当のところだ。実際は、その学生運動家のガールフレンド(教会のシスターでもある)の傍で、彼女たちのお手製のサンドイッチやクッキーを食べていただけである。
今、気が付いたが、私って多分お邪魔虫だったみたい。二人の時間を邪魔していたなんて、当時は気が付かなかった。
もっとも邪険にされたわけでもないし、彼らが愛読していた本などは、よく貸してもらっていた。革命とは無関係な本が多かったのも確かだが、ロシア文学などに触れたのは、私にとっては貴重な財産となっている。学校の図書室には置いてない本は、ほとんどが彼らから借りて読んだものだ。
もっとも途中からハードボイルド・ミステリーの本に夢中になったのは事実だが、それでも資本主義社会の矛盾とか、虐げられた人民の苦悶とかに対する義憤を抱くようになったのは、この時の読書のおかげであろう。
彼らのオンボロアパートの部屋は、お洒落とは程遠かったが、本だけは古本屋なみに沢山あった。いや、積まれていた。もっとも若いだけに、壁には今でいうところのアイドルや、グラビアモデルの写真(ピンナップとかいった)が張ってあった。
天地真理や吉沢京子、吉永小百合、アグネス・ラムら女性が多かったが、一枚だけ髭面の外人男性のポスターがあった。それが表題の書の主人公であるチェ・ゲバラであった。
カストロと共にキューバ革命を導いた戦士であり、南米の虐げられた人民の為に戦う英雄だと教えられた。武力革命を夢見る日本の学生運動家にとっては、まさに実在するヒーローであった。
表題の書は、まだ革命も知らず、医学生であったゲバラが友人と、中古のバイクに乗って南米各地を旅した記録である。比較的裕福なアルゼンチンでは知ることの出来なかった貧民たちの暮らしぶりが、若き日のゲバラに深い印象を与えたことが良く分かる。
ゲバラは、書によって革命を知ったのではなく、実際に見聞を深めることで、人々を救うための手段を模索するうちに革命にたどり着いた、いわば叩き上げの革命戦士であった。
誤解されがちなのだが、テロとは政治目的の武力による表明行為。一方、革命とは社会の変革をもたらすこと。テロがアピールを目的とするのに対し、革命はは結果こそが大切。
マルクス主義の栄光は地に落ちたが、社会的弱者のために戦ったゲバラのことは、是非とも覚えておいて欲しいものです。彼はテロリストではなく、革命戦士でした。テロと革命は似て非なるものなのですから。