私は難病を患った経験があります。このことは折に触れ、ここでも書いていますが、病名は明かしていません。まあ、分る人には分るのですが、説明するのが難しく、面倒でもあるので明かしていません。
でも明かさない最大の理由は、誰もが私と同じように社会復帰できているわけでもないし、治る可能性を有しているわけではないからです。現代の医学では、どうしても治らないタイプの人も少なくないのを知っているので、病名を書けずにいます。
何人か、治らないタイプの同じ難病患者を知っています。いや、知っていました。治らないことを知り、未来に希望を持てないことを知っている瞳に見つめられたことがありますか?
私は何度かあります。何度か経験しても、慣れることは出来ません。同じ病気であるのに、越える事の出来ない裂け目に引き裂かれている感があります。言葉が届かない。気持ちが通じないのです。
初めて治らないタイプの患者さんと会ったのは、やはり入院中でした。私は奇跡的に回復した珍しい患者だったのですが、どこで聞きつけたのか、その患者の母親が私を訪ねてきて、娘を励まして欲しいと言われたのがきっかけでした。
導かれて、隣の病棟へ見舞いに行ってすぐ後悔しました。あの絶望を秘めた瞳に見つめられることが、あれほど辛いものだとは知らなかった。5歳ほど離れた十代後半の娘さんでしたが、彼女は知っていた。そこが私との最大の違いでした。
私は自分が治らない可能性が高いことを知らなかった。死ぬかもしれないことすら知らなかった。だから、どんなに苦しくとも、治ることを信じていられた。治って、退院してからの未来を楽しむことが出来た。だから耐えられた。
でも、彼女は知っていた。可能性が低いことも、治療が辛いことも、そして死ぬかもしれないことも。彼女の絶望を秘めた瞳の暗い輝きは、私をパニックに追いやった。情けないことに、私は何を喋ったか覚えていない。どのくらい、その病室にいたのかさえ覚えていない。
もう、彼女の顔も思い出せないが、一つだけ忘れられない質問があった。振り絞るような、か細い声で一言。
「どうやって、お兄さんは治ったの?」
私はなんと返事したか覚えていない。記憶がポッカリ抜け落ちている。希望をなくした病人の言葉は、重く、厳しく、切ない。
現在、新聞などで宇和島の万波医師による病腎移植が問題になっています。どうやら原則禁止となりそうな気配ですが、覚えておいて欲しい。希望をなくした病人は、ただ苦しみながら死が訪れるのを待つだけだということを。たとえ、癌組織を抱えていた腎臓だって、希望の欠片はあるのです。その希望にすがりつきたい病人は、決して少なくないのです。
結果的には失敗するかもしれない病腎移植を禁止することは、私からすると医師が失敗を恐れて責任回避している姿そのものです。100%の治療なんて欲していない。失敗してもなお、挑戦する気概を持って欲しい。その気概が、希望をなくしかけた患者を救うのです。
でも明かさない最大の理由は、誰もが私と同じように社会復帰できているわけでもないし、治る可能性を有しているわけではないからです。現代の医学では、どうしても治らないタイプの人も少なくないのを知っているので、病名を書けずにいます。
何人か、治らないタイプの同じ難病患者を知っています。いや、知っていました。治らないことを知り、未来に希望を持てないことを知っている瞳に見つめられたことがありますか?
私は何度かあります。何度か経験しても、慣れることは出来ません。同じ病気であるのに、越える事の出来ない裂け目に引き裂かれている感があります。言葉が届かない。気持ちが通じないのです。
初めて治らないタイプの患者さんと会ったのは、やはり入院中でした。私は奇跡的に回復した珍しい患者だったのですが、どこで聞きつけたのか、その患者の母親が私を訪ねてきて、娘を励まして欲しいと言われたのがきっかけでした。
導かれて、隣の病棟へ見舞いに行ってすぐ後悔しました。あの絶望を秘めた瞳に見つめられることが、あれほど辛いものだとは知らなかった。5歳ほど離れた十代後半の娘さんでしたが、彼女は知っていた。そこが私との最大の違いでした。
私は自分が治らない可能性が高いことを知らなかった。死ぬかもしれないことすら知らなかった。だから、どんなに苦しくとも、治ることを信じていられた。治って、退院してからの未来を楽しむことが出来た。だから耐えられた。
でも、彼女は知っていた。可能性が低いことも、治療が辛いことも、そして死ぬかもしれないことも。彼女の絶望を秘めた瞳の暗い輝きは、私をパニックに追いやった。情けないことに、私は何を喋ったか覚えていない。どのくらい、その病室にいたのかさえ覚えていない。
もう、彼女の顔も思い出せないが、一つだけ忘れられない質問があった。振り絞るような、か細い声で一言。
「どうやって、お兄さんは治ったの?」
私はなんと返事したか覚えていない。記憶がポッカリ抜け落ちている。希望をなくした病人の言葉は、重く、厳しく、切ない。
現在、新聞などで宇和島の万波医師による病腎移植が問題になっています。どうやら原則禁止となりそうな気配ですが、覚えておいて欲しい。希望をなくした病人は、ただ苦しみながら死が訪れるのを待つだけだということを。たとえ、癌組織を抱えていた腎臓だって、希望の欠片はあるのです。その希望にすがりつきたい病人は、決して少なくないのです。
結果的には失敗するかもしれない病腎移植を禁止することは、私からすると医師が失敗を恐れて責任回避している姿そのものです。100%の治療なんて欲していない。失敗してもなお、挑戦する気概を持って欲しい。その気概が、希望をなくしかけた患者を救うのです。
ニュースでダメダメいったお医者さんや倫理委員会や病腎移植反対者は自分や自分の家族がそういう立場になったらとか、想像できないんだろうなー。
自分は運良く?治らないタイプでも明るく能天気に出来ていますが、普通で健康な体だった人が事故や難病によって今まで普通に出来ていたことが出来なくなった。ということは本当に辛いことだと思います。
これは自分もだけど、もし内臓器官や発声する神経部分?を移植することによって、病気が治ったり普通になれるものなら、今すぐにでも移植をお願いするでしょう。明日には死ななくても、病身というのは辛いのだ。
万波医師による病腎移植に難癖をつけたり、移植反対の人たちは、世の中には藁をもすがる思いの人がいる、ということを頭の中だけでなく、心の底からわかってほしいです。
ない。そんな文は、書いたとたんに中身が無くなって
しまうようで、結局、やめました。
でも、やっぱり、ヌマンタさんのメッセージはシッカ
リ届いたので、そんな意味でのカキコミです。
まとまりのないコメント、失礼しました。
しているだけの気がします。患者よりも、まじ病院を
第一に考えているのでしょう。
彼らとて、一個人としての私生活という物があります
から当然です。
真の問題は、彼らをしてそうした「保身」に走らせる
マスコミや世間にありましょう。
「綺麗事」では絶対に救えない人というのもいるわけ
ですが、そうであっても、マスコミや世間というのは
圧涛Iに「綺麗事」を好みますし、それに異を唱える
者をヒステリックにバッシングしたりもします。
ヌマンタさんは、その挙げ句に棒掲示板から叩き出さ
れた奴の実例を最近、見たはずでしょう(笑)。(あ
の場合、某さんも「自分の私生活/商売」ゆえに、そ
うゆう判断をせざるを得なかったわけであり、つまり
この場合の医者の対応と同じです)
> 彼らとて、一個人としての私生活という物がありま
すから当然です。
医者への批判を口にする人は、医者(およびその家
族)は路頭に迷ってもかまわないという意見なので
しょうか?
私は医師とは死ぬまで付き合わねばならないゆえ、気に食わないことは容赦なく批判します。一方、医師の資産形成には、いろんな意味で多大な貢献してると自負してもいます(まあ、仕事ですけど)。
と、なかなか理解が難しいものです。
娘さんの母親も、「同じ立場であった人の言う事であ
れば、娘の心に届くかもしれない」と思ってヌマンタ
さんを頼ったのでしょう。その立場に無い者が口先だ
けでペラッペラペラッペラ軽薄な事ばかり言っても、
相手の心に届くわけがありません。
それと、某さんが、「出てけ、コノヤロウ!!」とノ
ドまで出かかっていて、でもなかなか踏み切れなかっ
た理由がこれですね(何故さっさと出禁にしないん
だ、と思っていた人は多いでしょうが)。
「管理人」としては迷惑しつつ、「類似の立場あった
者」としては、間違った事言ってない奴に出てけとは
言えない。
最終的には前者の立場を優先したわけですが、発表し
てるのは別の人(笑)。
つまりあれは、その立場にあった者としては「言って
る通りだ、正しい」と思ってるので、自分の口で「出
てけ」は言えず、他の人が発表したんでしょうね。
> 実は万波医師だけではありません。例え可能性は低
くとも、患者の要望に応えたいと志している医師は少
なくないのです。それが悪い方向へ出ると、慈恵医大
のような例も生じてしまいます。
1個人としては、心も情もありますから、陰でいろい
ろやる人もいるでしょう。
そして発覚した場合に「事勿れ主義」や「保身」が全
面に出るのも、それはそれで仕方のない事です。
> この手の問題は、自身がその立場になってみない
と、なかなか理解が難しいものです。
偽善と綺麗事丸出しのマスコミや世間にバッシングさ
れて、それで「保身」に廻らない医者がいるのかどう
か・・・・・・・
その立場にない者にとっては、口で批判する事なんて
簡単なもんです。
失敗も数多くあります。私も経験しています。医師とは喧嘩しつつも、治る可能性を信じて今日まで来ています。基本は、患者と医師との信頼関係だと思います。これが十分でないと、上手くいかないでしょう。
多くの患者を助けた万波医師にも、多少は驕りがあったのかもしれません。でも、それ以上に多くの患者を助けたのだと思います。