高齢化社会の一端を垣間見てしまった。
その日は、ある建築屋さんとの決算打合せであった。長い付き合いの顧客なので、やることは決まっている。むしろ消費税増税後の景気と、納税資金のやり繰りが主な話題であった。
その後、社長さんと若い職人さんたちと食事に行くことになった。もっとも接待とかではなく、飯を食いながらの雑談であった。この若い職人さんたちの相談に乗るのも、私の大事な仕事である。将来を担う若い方から相談を受けることは、今は金にならなくても将来への仕事に繋がるからだ。
だから、そんな時は職人さんたちが気軽に使える店に行く。その日は、某チェーン店系の中華の定食屋であった。安いがボリューム十分な、ガテン系職人向けの店である。
私一人ならば、多分入らない店なので、良い機会だと思い、メニューや接客態度、厨房の仕事の流れなどを観察してみる。ついでに客層をみてみて、ちょっと驚いた。
ガテン系職人ご愛用の店だとは知っていたが、昼時には少し早かったせいか、お客さんの大半が高齢者であった。しかも単身の高齢男性ばかりであったから、なおさら驚いた。
頼んでいるメニューを見てみると、若い職人さん向けの大盛りメニューではなく、量は少ないが具材の種類の多いメニューを頼む人が多いようだ。よくよくメニューを見直すと、小食向けのものが幾つも揃えてあった。この量ならば、老人でも食べ切れるのだろうと感心した。
ここは東京郊外の街で、高度成長期には若い家族向けのベッドタウンであった。しかし、あれから数十年、子供たちは大人になってこの街を離れ、残された親たちばかりが目立つ。かつては賑わった駅前商店街もシャッターを閉じた店舗が目立つ。
その店で見かけた高齢者は、皆男性ばかりであった。一組だけ老夫婦がいたが、後は単身の男性のみ。良く見ると、長袖の肘の部分が穴が開いていたり、衿口が汚れていたりしている。
もしかしたら、奥様に先立たれた男性なのだろうか。それならば納得できるのだが、反面寂しさも感じた。なんとなくだが、かつては大企業などのサラリーマンとして活躍されていたが、退職後居場所をなくした高齢者ではないかとの思いが拭いきれない。
もし女性ならば、もう少しお洒落に気を遣うし、食べる店も選ぶだろうと思う。安くて、気軽に行ける店だとは思うが、本来は食べ盛り、働き盛りの男性が好む店だったはずだ。
そんな店に、昔の習慣で食事に来てしまう単身高齢者の姿に、私はどうしても寂しさを感じざるを得なかった。その一方、そんな小食の単身高齢者向けのメニューが揃っているのは、その店を経営しているチェーン店本部でも、そのような需要があることを、しっかりと認識しているのだろう。
実際、昼時には少し早い時間であるにも関わらず、その店は7割がた埋まっていた。
高齢者に注目している私に気が付いた社長さんが、「先生、夜に来れば、酔っ払いの爺さんたちが観れるよ」と教えてくれた。昔だったら、高齢者が蕎麦屋などで一杯やっていることが多かったと思うが、この近辺で夜に営業している蕎麦屋はもうない。
若い人が騒ぐお洒落な居酒屋は、単身の高齢者には敷居が高いのだろう。そうなると、このような安くて、少量の献立も用意している定食屋に引き付けられるのだろう。
よくよくメニューを見ると、お酒も小ビールとか、小瓶の日本酒などが揃っている。なるほどと思った。
私は晩酌をしないので、多分引退しても、このような店に来ることはないと思うが、今後は増える一方なのでしょうね。なんだか、いろいろと考えされられましたよ。
雌伏の時代の長かった青年期の読書と、山にケンカに明け暮れた青春期の蓄積と思ってました。
いや、このどんな機会も見逃さない観察力なのですね。凄く勉強になりました。
増加する一方の単身高齢者の姿は、10年後には今以上にありふれた光景になると思いますよ。