ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ミサイルは食べられない!?

2012-05-10 14:37:00 | 社会・政治・一般
自分だけの常識で判断するなかれ。

先月、失敗に終わった北朝鮮の弾道ミサイル発射だが、これに関連して妙な批判を見かけたことがあった。このミサイル発射には650億円は費用がかかったはずなので、そのお金で食糧や医薬品を買えば、北朝鮮の人々の助けになる。北の政府にそのように説得すべきだとの論調であった。

650億という数字の根拠はさておいても、似たような話はアフリカの独裁国批判などでも、しばしば見受けられる。高額な武器を買うよりも、食糧や医薬品を国民のために買うべきだ、と。

一見、正論のようにみえるが、実はほとんど説得力のない駄論に過ぎない。

まず独裁政治において最も必要なのは、人民が独裁者を恐れ、服従することだ。そのために武器が必要なのだ。人民が飢えて、叛乱を起したとしても、それを弾圧できるだけの武力があれば、それで十分だ。

その上で、独裁者に従うものだけを食わせて、生かしてやればいい。これが独裁国家の常識であり、民主主義国とは根本的に異なる。

人類の歴史上、多くの国家が王による独裁もしくは有力者連合といった形で存在していたことを思えば、むしろ民主主義国家のほうが例外的存在であり、その常識も特異なものだ。

民主主義を掲げる国では、選挙により政治が担保されるため、有権者を期待させ満足させることが重要になる。飢えた有権者が政治に満足することはない以上、軍事力を削減して民間予算を増やすことが必要な場合もある。ただ、それだけの話だ。

独裁者が独裁者でいられるのは、人民の支持があるからではなく、人民を支配するだけの力(武力)があるからだ。人民の支持は絶対必要事項ではない。要は不満を押さえつける力があればいいだけ。

ただし、帝王だろうと王様であろうと、優秀な独裁者は民が富み潤うことが、結果的に国家の富みとなり、政府を富ませることであることを分っていた。これが出来る王は名君として、歴史に名を残す。


しかし、現実には難しい。せいぜいが、国内を安定(停滞でもある)させて無難に統治できれば上々だ。多少、気の利く独裁者は、商業活動を自由にさせて、そこから利潤を取る一方で、国内市場を活性化させる。

まァ、大概の独裁者は、祝日を盛大に祝ったり、祭りを開催したりして人気取りをやる程度だ。生かさぬよう、殺さぬよう、退屈な統治ができれば十分だった。

21世紀の今日でさえ、サウジアラビアなどの中東諸国やブルネイなどに代表される富裕国家は独裁政治が行われている。石油などの豊かな資源を背景に、人民を飢えさせずにいるが、民主主義を導入する気はないようだ。まァ、当然の判断だと思う。

独裁国家にとって人民の支持は絶対に必要なわけではない。むしろ、武力で人民を支配できることが絶対必要要件だからだ。

だからこそ、旧・ソ連を始め独裁国家では軍事パレードが頻繁に行われる。あれは対外的な示威だけを目的としているわけではない。なにより支配する人民を示威することこそが肝要となる。

当然に、今後も北朝鮮はミサイル発射実験を止めはしない。食糧や医薬品は、支援の名の下に武力で奪い取ればいい。これが独裁国家の本音であり、実態でもある。

ただし、あまりに軍事に偏ると不安定になる。流通機構を始め経済システムが不安定となり、軍部自らが政治に不信感を抱いてしまった旧・ソ連の崩壊がその典型だろう。その意味で、独裁国家では無能な統治者は許されない。

これが民主主義国家ならば、無能な政治家に投票した有権者が悪いのだが、独裁国家では独裁者だけが責任を負う。果たして北の三代目は無能の烙印を押されずに済むのであろうか。

まだ評価を下すには早すぎるが、もし無能ならば正恩を座敷楼に押し込められての傀儡政権が生まれるかもしれない。その背後に北京の後光が差している可能性は低くないだけに、今後も注視が必要だと思う。
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メーデーに思うこと

2012-05-09 11:57:00 | 社会・政治・一般
今日はなんの日、フッフッ~♪ とくらァ。(@ みのもんた)

5月1日はメーデーである。で、メーデーってナンなのさ?

辞書を紐解くと、もともとはヨーロッパの夏の訪れを祝う祝日で、後に労働者の団結と連帯を願う労働者の日となったようだ。

本当かい?

いや、私とてメーデーに参加したことはある。子供の頃だが、一応は教職員組合の一員であった母に連れられて、東京は代々木公園に行った。

記憶はおぼろだが、旗ざおが沢山並び、出店が立ち並び、公園の芝生にシートを引いてお弁当を食べたことだけは、はっきりと覚えている。その後、渋谷までぞろぞろと歩いたはずだ。

都会のピクニック?

本当はそうじゃないだろう。え、組合さんよ。大企業の横暴から、か弱い労働者を守るため集まり、集団の力をもって大企業との交渉を有利にすること。そのための示威行動が、メーデーにおける行進であったはずだ。

で、か弱き労働者たちは、どうなった。

真面目な話、戦後の日本経済を考える上で、労働組合の存在は無視しえぬ影響力があった。かつては確実にあった。交通ストやゼネストといった集団の力を背景に、労働組合が本気で大企業と戦っていた時代は確かにあった。

だが、現在の労働組合にかつての面影はない。大企業と馴れ合い、組合幹部ともなれば企業内での出世に役に立つこともある。せいぜい、その程度の役割しか果たしていない。

今日、社会的弱者となったパート労働者や派遣労働者にとって、企業のお墨付きを得た労働組合なんざ、なんの役にも立ちはしない。労働組合が作られた気高き理想は、遥かに遠くに過ぎ去り、今や既得権の保持が精一杯の衰退しつつある集団でしかない。

今や労働者たちは、労働組合が自分たちの役に立つなんざ、誰も思っていないのが実情だろう。もはや存在意義をなくしたと断じてもいい。

だが、一部の労働組合の幹部は今も意気軒昂だ。「沖縄米軍基地の撤退」とか「原子力発電の廃止」を訴えて、自分たちこそが日本を本当に良くしようとしていると思い込んでいる。

そのくせ、米軍基地で働く日本人の生活には関心はなく、原発で働く人の生活や、不足する電力に悩む中小企業にも関心はない。

か弱き労働者を守るための労働組合であるはずなのに、そのか弱き労働者たちを、より一層苦しめる主張を叫ぶことに矛盾を感じないらしい。

あたしゃ、敢えて断言します。労働組合は廃止せよ、とね。

この記事は、5月1日に書いたのですが、当日労働組合に好意的なマスコミ様を除けば、誰もメーデーになんざ関心なし。もはや存在価値はないと思います。
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仮面ライダー 石ノ森章太郎

2012-05-08 12:24:00 | 

子供の頃に夢中になったヒーローに、仮面ライダーがある。

悪の組織ショッカーに改造されたが、逃亡して正義のヒーローとして現われた仮面ライダーには、当時の男の子たちに絶大な人気を得た。

私もその一人ではあったが、ひねくれものの私はライダーそのものよりも、個性的な怪人たちにこそ惹かれた。今だって蜘蛛男や、カマキリ男の姿を脳裏に浮かべることができる。

小学生の頃は、自分でいろいろな怪人を創造して、それをノートに書き溜めて友達に見せびらかしたものだ。けっこう評判良かったと記憶している。

余談だが、後年とんねるずがパロディで仮面ノリダーをやった時は爆笑したものだ。なんだよ、ラッコ男って。大笑いするしかないね。

それはともかく、恐ろしげな怪人たちにこそ、ある種のロマンを感じていた。昆虫や動物たちの能力を人間に取り込むことの、おぞましき悦楽に魅惑されていた。敢えて断言するが、この魅惑的な怪人たちあってこその仮面ライダーであった。

ところがだ、最近TVで放送されている仮面ライダーの番組ときたら、怪人たちのしょぼさに唖然とする。いや、怪人たちの外見は派手だ。カラフルであり、造形技術を駆使しての恐ろしげな姿であることは間違いない。

それなのに、怪人としての魅力が感じない。これは、その番組に夢中になっている子供たちも同様なようで、もっぱら仮面ライダーたちばかり見ている。率直に言えば、ラッコ男のほうがはるかにインパクトあるぞ。

ところで何気に書いたが、仮面ライダーたち・・・そう、何時の間にやら仮面ライダーは30人を超す大所帯となっている。もう苦笑するしかないが、私が見ていた初代ライダーや2号、ライダーマン、ライダーアマゾンなどの姿もあり、懐かしくはある。

だが、驚かされるのは平成以降の仮面ライダーたちの複雑さだ。敵役というか裏切り者のライダーもいれば、手だけしかないライダーもいる。ライダーを演じる若者たちは、そろいも揃ってイケ面のお兄ちゃんたちばかり。

これはライダーに夢中な子供たちに、しかめ面をするママさん対策だそうで、このイケ面ライダーに夢中なママさんたちもいる。なんでも、このライダー役から、人気俳優の道を駆け上がった人もいるらしい。

私が子供の頃は、ライダー対怪人こそが面白かったのだが、平成のライダーはライダー同士の関係が大きな役割を果たしている。怪人たちは、いつのまにやらライダーたちの引き立て役と化していた。

原作者である故・石の森章太郎は、もともとTV化を前提に表題の漫画を描いたそうだが、自分の死後も仮面ライダーが、このような形で続いていることをあの世でどう思っているのだろうか。別に根拠はないが、たぶんニヤつきながら楽しんでいる気がする。

自分の作り出した物語が、自らの死後も愛され、独自に物語が進行していく。多分、作り手としては最高の栄誉ではないかと思う。

ところでもう一つ、驚いたことがある。私が子供の頃は、夕方から夜にかけて放送していたはずだが、平成のライダーの番組は週末の朝に放送されている。

まだ寝床でヌクヌクしたい若いお父さん、お母さんを尻目に放送時間になると、眠い目をこすりつつ必死で起きてTVの前に座り込んでいるのが、今の子供たちだそうだ。

時代は変わる。わかっちゃいるが、朝っぱらから仮面ライダーに夢中な子供たちを観ると、時代は変わったと思わざる得ませんね。

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教科書が教えない歴史 自由主義史観研究会

2012-05-07 10:07:00 | 

目的を間違えるな。

教育とは、子供を大人へと教え育てることを目的にしている。必ずしも真実を教えることが教育ではない。嘘を教えろと言っているのではない。一人の良き社会人として子供を育てるためには、真実よりも大切なものがあるからだ。

残念ながら、人は不完全な生き物だ。憎しみ、嫉妬、偏見差別、残虐さといった負の側面を併せ持つ生き物だ。慈しみや優しさ、寛容さ、勇気と愛といった正の面だけが人間ではない。そのどちらも併せ持つのが人間だ。

良き教育とは、人の良い面を伸ばすものであるべきだ。叱るよりも褒めるほうが効果がある。人の悪い面を教えるよりも、良き面を教えるほうが前向きな人間を育む。

日本の歴史を教えるのなら、良きことをした日本人を教え、日本に誇りを抱き、自分もまた祖先に恥じぬ立派な人間にならんと志すように育むことこそが教育だ。

ところが、日本ではマルクス主義の強い影響がある教育界が、後ろ向きの教育を推し進めてきた。太平洋戦争の敗北は、資本主義の間違いを示すものであり、戦後の日本はマルクス主義すなわち社会主義で再建されるべきであった。

そのように考えていた人は、インテリ層を中心にかなりの数に上る。これは戦後の選挙で左派政党が大きく躍進していたことからも分る。

しかし、日本を支配したアメリカは、日本の弱体化にこそ関心があったが、マルクス主義には否定的であった。左派が夢描くような社会再建は排した。

また戦勝国アメリカの庇護下にあるがゆえに、アメリカの経済システム(資本主義と市場経済)によることが日本の復興の基本方針であることは、産業界のみならず政界も行政でも暗黙の諒解事項であった。

この状況に失望した教育関係者は、夢を諦めず地道な布教活動に情熱を燃やした。それが日本とりわけ戦前の日本を貶める教育を子供たちに刷り込むことだ。

残虐な侵略者・日本であり、閉鎖的で封建的な日本であり、不平等で暗愚な国としての日本であることを、子供たちに教え込み、今の日本を否定して新しい日本を目指す教育を志向した。

もちろん目指すのは社会主義国としての日本であり、絶対平和主義の日本である。そのための暗い真実を子供たちに見せつけ、自虐的な日本人こそが善良な日本人であると刷り込もうとした。

その影響は今も強く残る。日本の行政制度が極めて社会主義的な傾向を示すのは、その成果だといえなくもない。また憲法9条を絶対視するような平和原理主義者も少なくない。南京大虐殺(小規模な殺戮事件はあった)や従軍慰安婦(軍人相手の売春婦ならいた)といった戦後に捏造された事件を信じ込む、善良ながら愚かな市民も少なからず育て上げた。

だが、反日自虐教育を受けても、社会に出て教わったことと現実が違うことに気がつき、マルクス主義から離れた人も多数いた。ただ、大半の人はおかしいと思いつつも、自分が学生として教わったことを否定するよりも、見て見ぬふりする事なかれ的な曖昧な態度で誤魔化した。そのほうが波風立たないからね。

そのことに不満を持っていた教育関係者やマスコミ関係者は、左派政党が次第に支持を失っていく様に危機感を覚え、ますます過度な反日自虐教育を推し進めようとした。

あまりに酷かった。だからこそ反発が起きた。その走りであり、代表でもあるのが表題の書だ。反日自虐に凝り固まった教育関係者が無視した事実を「教科書が教えない」と強調して、あっという間にベストセラーに名を連ねた。

率直に言って、いささか過度に過ぎる部分もある。極端から極端にぶれやすい日本人の典型でもあるとさえ思う。だが、これまでの教科書がひどすぎた。だからこそ売れたのだと思う。

私は歴史という学問の立場からすれば、反日自虐も日本礼賛も問題があると思う。しかし、教育という観点からすれば、明らかに後者すなわち日本礼賛のほうが望ましい。

良い教育とは、良き人間を育てることだ。悪い事を教えるよりも、良いことを教えて、良き日本、良き日本人を目指すことを教えるのが教育だ。真実であったとしても、悪いことを教えるのは十代後半のある程度判断力が身についてからで十分だ。

なぜなら、良いこと、悪いことは絶対的基準ではなく、その時代、その状況などにより大きく左右されるからだ。今の常識では悪いことだって、その当時なら正しいこともある。また良かれと思ってやったことが、結果的に悪いことになってしまったこともある。

これは人間が内包する矛盾とか、社会的軋轢、歴史的経緯など複雑な事情から生じることで、それが理解できる年齢になってから、真実でもある日本の過去の悪い面を堂々取り上げて、若者に考えさせる。これなら私も同意できる。

このような事を言うと、子供にだって判断できると賢しげに反論する人がいる。だが私からすると、いかにも子供の考えを尊重している風な、理解在る大人を演じているに過ぎない。

だが、私は断言する。子供には分らないことが沢山ある。知識だけではダメで、その知識を現実と咀嚼して、自身の糧とするには、成長して論理と情理を磨き上げる必要がある。幼き感性だけでは理解できないのだ。

人間を卑下するわけではないが、人間は完璧な生き物ではない。愛するがゆえに憎み、生きるがために本心を偽って、正々堂々嘘をつく。それは単純ならざる複雑なもので、知識ではなく心が育たねば、理解することは出来ないことだ。

子供は成長して大人になる。その意味で大人と子供は平等ではない。子供を大人へと育てるのが教育だ。真実を教えることが、必ずしも良き教育ではない。

人間とは良い事も、悪い事もする矛盾した生き物だ。良き人間を育てるなら、まずは良きことを教えるほうがいいと思います。

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顧客第一

2012-05-02 12:58:00 | 経済・金融・税制
過ぎたるは、及ばざるが如し。

先だってテレビ東京の「ガイアの夜明け」を見ていたら、サムソンやLGといった韓国企業に圧唐ウれるアジア市場に挑むパナソニックの苦闘が放送されていた。

ウォン安を武器に輸出を飛躍的に増やす韓国企業は、かつての日本企業のように世界各地の家電市場を制覇していく。ただ、安いだけではない。現地のニーズを的確につかみ、それに応じた商品を提供するからこそ売れる。

番組では、パナソニックの現地責任者がインドの実情にあった製品の開発を行い、ようやく売れるまでを報じていた。日本では絶対に売れないような簡素なエアコンだが、膨大な下位中産階級にも買える値段設定が受けて、売れるに至ったようだ。

番組でも何度も触れていたが、未だ貧困層が多いアジア、アフリカには今後の成長が見込める国が少なくない。ただ、一部の富裕層を除けば、その大半が家電製品などの恩恵にあずかっていない。ここの膨大な需要がある。

ただ、日本企業はこの膨大な需要を取り込めずにいた。韓国や中国の企業に市場を独占されるばかりで、気がついたら日本企業の製品は、家電売り場に並ぶことさえなくなっていた。

自らも先進国トップクラスの豊かな生活を実現した日本には、これらの発展途上の国々の人々が、本当に欲しがるものを分らずにいた。そこを新興の韓国や中国の企業につけこまれた。

考えてみれば、世界に冠たる日本の家電製品は、性能が高すぎる。使いもしない余計な機能があふれている。欲しくもない機能まで付けられた高付加価値商品ばかりだ。

実際、私自身が日常で使う家電製品には、買って以来一度も使っていない機能であふれている。使いこなしていないというより、使う必要がない機能ばかりなので、完全に無駄となっている。この使いもしない数多の機能が、その値段に含まれていると思うと、正直腹が立つ。

使わない機能にあふれた日本製品が、アジアアフリカ市場で売れないのも当然だと思う。

率直に言って、日本市場は独特だ。多機能製品が良いものだと思われてきた。無駄な機能でさえ、付いているだけで製品の価値が上がると考えられてきた。

メーカーは、その多機能さを求めるニーズがあるからだとしてきたが、本当にそうなのか疑うべきだ。少子高齢化社会は、多機能な高性能よりも、優しく使える安心さを求めると思う。

まして、これから電化製品の恩恵を受けようとするアジア・アフリカ諸国では、消費者が求めるものは日本的な多機能高価格な製品ではあるまい。

顧客が何を求めているか、顧客に何が必要とされているのか、それを日本企業はないがしろにしてきたのではないか。だからこそ、世界市場のシェアを落とし続けているのだろう。

もう一度、初心にかえって顧客が欲するものを作って売る。この基本を大切にして欲しいものだ。そうすれば、再び日本企業は復活すると思うな。
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