先月、失敗に終わった北朝鮮の弾道ミサイル発射だが、これに関連して妙な批判を見かけたことがあった。このミサイル発射には650億円は費用がかかったはずなので、そのお金で食糧や医薬品を買えば、北朝鮮の人々の助けになる。北の政府にそのように説得すべきだとの論調であった。
650億という数字の根拠はさておいても、似たような話はアフリカの独裁国批判などでも、しばしば見受けられる。高額な武器を買うよりも、食糧や医薬品を国民のために買うべきだ、と。
一見、正論のようにみえるが、実はほとんど説得力のない駄論に過ぎない。
まず独裁政治において最も必要なのは、人民が独裁者を恐れ、服従することだ。そのために武器が必要なのだ。人民が飢えて、叛乱を起したとしても、それを弾圧できるだけの武力があれば、それで十分だ。
その上で、独裁者に従うものだけを食わせて、生かしてやればいい。これが独裁国家の常識であり、民主主義国とは根本的に異なる。
人類の歴史上、多くの国家が王による独裁もしくは有力者連合といった形で存在していたことを思えば、むしろ民主主義国家のほうが例外的存在であり、その常識も特異なものだ。
民主主義を掲げる国では、選挙により政治が担保されるため、有権者を期待させ満足させることが重要になる。飢えた有権者が政治に満足することはない以上、軍事力を削減して民間予算を増やすことが必要な場合もある。ただ、それだけの話だ。
独裁者が独裁者でいられるのは、人民の支持があるからではなく、人民を支配するだけの力(武力)があるからだ。人民の支持は絶対必要事項ではない。要は不満を押さえつける力があればいいだけ。
ただし、帝王だろうと王様であろうと、優秀な独裁者は民が富み潤うことが、結果的に国家の富みとなり、政府を富ませることであることを分っていた。これが出来る王は名君として、歴史に名を残す。
しかし、現実には難しい。せいぜいが、国内を安定(停滞でもある)させて無難に統治できれば上々だ。多少、気の利く独裁者は、商業活動を自由にさせて、そこから利潤を取る一方で、国内市場を活性化させる。
まァ、大概の独裁者は、祝日を盛大に祝ったり、祭りを開催したりして人気取りをやる程度だ。生かさぬよう、殺さぬよう、退屈な統治ができれば十分だった。
21世紀の今日でさえ、サウジアラビアなどの中東諸国やブルネイなどに代表される富裕国家は独裁政治が行われている。石油などの豊かな資源を背景に、人民を飢えさせずにいるが、民主主義を導入する気はないようだ。まァ、当然の判断だと思う。
独裁国家にとって人民の支持は絶対に必要なわけではない。むしろ、武力で人民を支配できることが絶対必要要件だからだ。
だからこそ、旧・ソ連を始め独裁国家では軍事パレードが頻繁に行われる。あれは対外的な示威だけを目的としているわけではない。なにより支配する人民を示威することこそが肝要となる。
当然に、今後も北朝鮮はミサイル発射実験を止めはしない。食糧や医薬品は、支援の名の下に武力で奪い取ればいい。これが独裁国家の本音であり、実態でもある。
ただし、あまりに軍事に偏ると不安定になる。流通機構を始め経済システムが不安定となり、軍部自らが政治に不信感を抱いてしまった旧・ソ連の崩壊がその典型だろう。その意味で、独裁国家では無能な統治者は許されない。
これが民主主義国家ならば、無能な政治家に投票した有権者が悪いのだが、独裁国家では独裁者だけが責任を負う。果たして北の三代目は無能の烙印を押されずに済むのであろうか。
まだ評価を下すには早すぎるが、もし無能ならば正恩を座敷楼に押し込められての傀儡政権が生まれるかもしれない。その背後に北京の後光が差している可能性は低くないだけに、今後も注視が必要だと思う。