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なんともはや、またしても無知をさらけ出してしまった。ギャーギャーがあの椋鳥(むくどり)だったとは、赤面。もちろん、椋鳥という名は聞いたことは何度もある。誰でも知っている高名な作家が、実は松の木を知らなかったという嘘のような話を読んだことがあるが、さんざん親しんできたあの鳥の正しい名前を昨日まで知らなかったとは、大作家はもちろん他人さまを嘲えない。
外から戻ったらその椋鳥、もう今日はねぐらに帰ったのか、夕暮れの空に影のように浮かぶ柿の枝にその気配はない。寒気が来つつあるせいだろう、雲一つない冬の晴れ渡った夕空はやがて、かろうじて耐えていた中空(なかぞら)の群青色も、まだ少し明るさを残していた薄青色の西の空も、音を消した闇と同化していく。
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Oさん、了解しました。是非一緒にHALも連れて、法華道を登りましょう。一応、週の半ば、水曜日(28日)ぐらいでどうですか。詳細はコメントにください。その際、TEL番号も(こちらから連絡いたします)。何泊でも結構です。
Nさん、Umeさん、TDS君、椋鳥についてご教授たまわり、ありがとうございました。TDS君のコメントに添えられた一茶の句、掲げておきます。
椋鳥と 人に呼ばれる 寒さかな
俳人のTDS君によれば、江戸に出稼ぎに来た東北人の集団の、田舎弁丸出しの騒々しさを蔑んで、椋鳥と呼んだとか。
似たような説明だが、「一茶無頼」(吉田美和子著)によれば、「椋鳥とは、とりわけて信濃の者を指す言葉であった。季節によって大挙して移動する信越地方からの出稼ぎ者を、江戸の庶民はそう呼んで、おのれの江戸っ子ぶりを誇示した。江戸川柳では「信濃」あるいは「おしな」とは、大喰らいの謂でもあった」、と。
ウムー、東北と信濃、まあ江戸の人から見ればどちらも、似たようなモンだったろう。
次の句も一茶。どちらかといえば、こちらを推したい。昔の田舎では、はばかりは外と決まっていた。
小便所 爰(ここ)と馬よぶ 夜間哉
山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、昨年の11月17日のブログをご覧ください。