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昨日の帰り、貴婦人の丘まで来る少し手前、そこにかなりの数の鹿の群れが見えた。30頭くらいはいたが、写真を撮ろうとしたときには大半が丘の向こうへ逃げていってしまい機を逃した。群れの中には、すでに4尖になりかけの大きな袋角をした雄鹿もいた。
何となく気配のようなものを感じ、反対側の丘の斜面を振り返って驚いた。やはり50頭ほどの鹿がいて、2群ほどの群れになって丘の背後へと姿を消そうとしているところだった。こちらの方は、遅れた群れをかろうじて撮るのに間に合った。
すでに出産の時季は過ぎ、この春生まれたばかりの小鹿の姿も群れの中にはいた。あれだけの数の鹿を目にすると、当然牧草への影響も心配になるし、この秋の繁殖期、そして翌春の出産頭数が思いやられ憂鬱になる。それまでも、その後も放牧に使っていない草地は、まさに鹿の楽園と化すから、牧場はまるで鹿の育成をやらされているようなものだ。このような鹿の群れに対する腹立たしさや、憂鬱な思いは、職業上から来るものらしく、2,3頭の鹿を森の中で見ても何とも感じない。というよりか、慣れた。
鹿の個体数を減らすには、最早旺盛な繁殖力を抑えるしかなく、そのためには薬物を開発するしかないという持論には、あまり耳を傾けてもらえない。猟師らにすれば、鹿があまり減ってしまうことを望んでいない、ようにも見受けられる。その彼らに、駆除を依頼するしかないのだから難しい。
昨日も、電牧が2カ所切断されていた。間違いなく鹿の仕業である。
確かに赤羽さんご指摘のように、入牧した牛のことについてまだあまり触れていない。管理には今牛たちがいる囲い罠の中が一番安心できて、わずかの馴化の期間ながら平穏で、心配される今後の雨のことも少しづつ牛も、見守る人間も慣れてくるだろうと思っている。それと今年は、あの和牛の雄牛がいないことも、管理人の気持ちを相当楽にさせてくれている。間違いない。
来ている和牛の中には、A5の肉牛を産むような優秀な牛もいて、見るからに「美味そうだ」と口走る者もいるほどだ。大切に扱われていたのだろう汚れはなく、体型、毛艶も文句なく素晴らしい。4か月の間にしっかりと体を絞って里へ下り、きっと蓄主の喜ぶような仔牛を産んでくれるだろう。
「業務上は少々過激な内容は言っても構わなくて、きちんと考え方などを確認して納得すれば、その後に引き下がればいいのだと思っている」。納得できればいいけれど、それができずに引き下がることもあったような遠い記憶が甦ります。本日はこの辺で。