入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(49)

2021年01月02日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 年賀状以外には、正月の雰囲気のまったくない家に戻った。まだ気持ちは上にあり、これから少しづつ里の生活に戻るつもりだが、ここでの暮らしはいつでも風呂に入れ、台所仕事が楽なくらいで、その他のことではそれほどの違いはない。確かに気温はあっちの方がかなり低いが、それは暖かな部屋でテレビでも見ながら空想するからで、それほどのことはない、と思う。
 あれほど注意していたのに炊飯器ともう一つ用意しておいた大事な物を忘れてきてしまったから、そのうちまた上に行くことになるだろう。

 それにしても、帰ってきたばかりだからだと思うが、ここで漫然と時を過ごすだけで一体何をしたらよいというのだろう。上の続きで宇宙へも行くし、二足歩行を始めたころのわれわれの先祖を訪ねたり、それに比べたらもっと最近のこの国に起きた出来事を見にいってもよいのだが、恨むべきはやはりcovid-19奴だ。人の自由がここまで制限されてしまうと、それは仕方のないことだと分かってはいても、泰然としていられる人などはあまり多くないだろう。あれこれともがきたくなるのが人の性、というもの。
 これはもしかしたら一種の反動で、東京に暮らしていた時にも、山から帰ると"大都会"に対して似たような戸惑い、反動を感じたものだ。入笠はそうはいっても里ほどの自由はなくて、気持ちはそうではなくとも行動はある程度の制限を甘受しなければならなかった。それが里に帰って、狭い檻から広い檻に移された動物さながら、年の初めからさてどうしたらよいのかと少々途方に暮れている。
 これはあくまで一時的なもので、広い檻に慣れれば、結構日向ぼこをしたり毛づくろいしたりする動物のように、まあ、ほどほどの過ごし方に慣れて落ち着くだろう。家の中を片付けたり、外の混乱を少しは何とかするかも知れないし、人中に出ていく気はないが、またどこかへ行き当たりばったりの遊子を気取る時があるかも知れない。
 しかし結局は、冬の夕暮れの深い静謐をしみじみと感じながら、1合ほどの燗酒と1本くらいのビールに無情の幸福を味わう、そういう平凡な日常に帰っていって、この残り3ヶ月ほどをいくのだろう。いや、もっとずっと、ずっとだ。たとえ牧場の仕事が始まっても一心不乱、濃密な生き方などもう望まない。今年の干支でもある牛という、いい見本が最も身近な相手なのだから。
 どうも年の初めから混乱しつつ、本日はこの辺で。明日は沈黙します。
コメント
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