入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(50)

2021年01月04日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 里では寝る時間を少しづつ遅らせることにした。仕事で上に通っていたころは朝飯や弁当の用意をするから、大体6時頃には起きていたが、今はそんな必要などない。起き出すのをできるだけ遅くした方が、寒い間は暮らしが楽になるという、軟弱な理由でしかないのだが。
 昨日も暇だったからとろろ汁を作ったり、鮭の粕煮を作ったり、年越しで食す予定だった蕎麦を夜食にしたりと、これで一応は年末、正月料理の定番を雑煮も含め食べたことになる。材料は用意はしておいたが作らなかったものがナマスと叩きゴボウくらいか。鯛とイナダは山奥氏、栗キントンから伊達巻、タズクリ、タコ、黒豆、カズノコなどなどは自分でも用意したが、FMZ君が多くを送ってくれた。TDS君からはビールの差し入れがあった。野沢菜は例年通り身内から。
 
 昨年の正月は1日に里へ帰り、6日にTDS君が顔を出すまで誰とも会わず口も利かず、雑煮を食べたのはナント8日だったことを思えば、大分人並みになったものだと感心している。ただ、毎年楽しみにしていた箱根駅伝はなぜか熱が入らず、興味が湧かず、その間は風呂に入ったり、宇宙へ行ったり、はたまた満州の荒野を彷徨ったりしていた。
 TVと言えば、番組はとりあえず収録したものを放送しておけ、ということなのかNHKも含めて大同小異、笑わせ番組ばかりが民放の広告のようにやたらと目立ち、呆れた。まあこのご時世だから、それも仕方ないのだろうが、何か他人の仕事場へでも無理やり連れていかれ、その人たちの仕事ぶりをひたすら見せ付けられているようでたちまちスイッチを切った、疲れた。それにしても見たような顔があっちの番組、こっちの番組と節操もなく出現して好き放題に振る舞う・・・、大したものだ。

 covid-19のことについても呟けば、これは誰がいつオムツをしないサルになるか分からない。年末から上にいて、下に帰ってからも誰とも会ってはいない。しかし、防空壕の中に一人でいて空襲を避けようとしても直撃段を受ければどうしようもないように、誰もが感染者になる可能性はある。まだまだ終わってはいない。
 都会のことは分からないが、緊張が緩んでいるなどとは決して思っていない。かなり、警戒心は強い。皮肉なのは、比較的感染者数が低い地域の人々の方が安全に対する意識がより強い、ということではないだろうか。
 本日はこの辺で。
 
 

 
コメント
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