昼になって、どこかから聞こえてくる工事の音が止んだ。場所も、何をやっているのかも分からないが、ずっと朝から低い振動音が続いていた。
上では、この時季になればこういう人工的な音はほぼ消えて、せいぜい風、雨の音、鳥、鹿の鳴き声を耳にするくらいである。
ただし、今テイ沢の北斜面で伐採が行われていて、たまに風に乗ってチェーンソーの音だったり、材木の運搬路を確保するため重機の音が遠くから聞こえてくることもあるが、それらは自然の音に化けてしまい、耳には障らない。それどころか、時にはその音を聞いて、自分も励まされたりする。
あの静寂がそろそろ懐かしくなってきた。特にきょうのような雪催いの日は、しんしんと降り続ける雪を眺めながら、無音の音を一人で聞いていればきっと、1時間や2時間は退屈などしないだろう。
いや、もしあそこに囲炉裏があり、榾(ほだ)を燃やしながらその火を眺めていられたとしたなら、縄打ち仕事がなくても、夜なべの母さんがいなくても、鉄瓶の湯が立てる音を聞いているだけで、充分に満ち足りた時を過ごすことができるに違いない。(11月26日記)
まだ子供のころ、わが陋屋には煙で黒く煤けた囲炉裏が残っていた。冬は寒く、いくらそこで火を燃やしても背中はスースーしていたが、炬燵もなければ、もちろんストーブなどもなく、「飯台(はんだい)」と呼んだ長方形の食卓で正座をして朝夕の食事を摂っていた。
それが、いつの頃か覚えていないが囲炉裏がなくなり炬燵に代わり、そのためたった一冬で正座が苦手になってしまったものだ。
そんな事もあって、恐らく炊事にも役立っていた囲炉裏は今も郷愁を誘う。煮炊きにも第二のかまどの役目を果たしていただろうし、餅はそこで焼いた。炬燵に入れる炭も熾した記憶がある。
今は便利になった分、生活の中の煩いから生まれる出汁のような味わいが薄れてしまい、便利な化学調味料で済ますようになったのと同じく、消えていった生活の味は多いと思う。
山行では小屋を利用することは殆どなかった。今、呟いているのは、林の中にポツンとある個人用の小屋のことで、残念ながら半年以上を暮らした牧場の小屋も含めても「ひとりだけのウィルダーネス(東京創元社刊)」を超える小屋を思い浮かべることはできない。もっとも、あの小屋には囲炉裏を作ることは無理だろうが。
本日はこの辺で。明日は上に行く。