昨日行った入笠で、雪解けのあまりの早さに驚いたが、もう一つ予想外であったのが桜の開花状況であった。集落の裏手にある広い開田に上がると、その一体を囲む遠くの森や林にぽつぽつと桜の花が目に付き、ここ数日の逆戻りした寒い陽気の中でも、一度歩み始めたその速度をあまり遅らせることはなかったようだ。
笠原の堤の周囲はほぼ満開の桜で、高遠城址は八分咲きだと聞いた。高遠の街には今年もまた、花を目当ての観光客が目立つようになった。
天皇、皇后両陛下のペリリュー島への慰霊の旅は無事に終わったようだが、関連した記事で、戦没者や関係者の遺骨収集は闘った相手国であるアメリカに比べれば、かなり遅れているということを知った。厚生省によれば、海外戦没者240万人のうちのまだ半数近くが戻ってきていないという。
人によって、立場によって、このことについてはさまざまな考えや思いがあろうし、それについて何か水を差すようなことを言おうなどとは夢にも考えていない。特に、愛息の遺骨の引き取りさえ果たすことなく逝かねばならなかった多くの気の毒な両親も含め、遺骨だけでも取り返したいと願った遺族は多かっただろう。その気持ちは尊重したい。
ただ一方、家族や祖国を案じても案じきれない思いのまま死んでいった兵士たちの中には、忘れられた南溟の孤島で、今は平和のむせかえる島の一隅を「永遠の臥床」として、南国の日に暖められた土を棺に、終わりのない眠りを静かに続けたいと願う人もいはしまいか。
遺骨収集された骨は、身元が判明し、遺族が望めば返還され、国から葬祭費と遺骨引取経費が支給されるようになっているようだが、引き取りのない遺骨は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に埋葬される。そこは立派な墓苑で、年に一度行われる祭礼も意を尽くされたものだと聞く。
しかしそれでも、70年の歳月の流れたその土地で、打ち寄せる波の音を聞きながら、燦燦とふりそそぐ日に休められ、満天の星に見守られて、黙って永遠に還っていくことを希望する霊もあるのではないだろうか。戦争を命じた国家の責任、立場、思惑から、今後も遺骨収集は国の重要な事業として、続けていくだろうが。
太平洋戦争中、マキン・タラワの戦いで戦死した夫の眠る島を訪ねて
この礁のいずこに果てし君ならむ足裏の砂に血のほてりくる 下里梅子