入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’25年「冬」(34)

2025年02月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    雪雲の中の太陽、もう少し存在感があったのだが
 
 先日の東京行について、何しに行ったんだという声が届いた。その中で、星の狩人かんとさんの夢にこの牛飼奴が出没したとかで、一夜安眠を妨げてしまったと恐縮している。「身内の方のお祝いですか? 」と問われたけれど、そういうことではなくて、田舎者にはやたらと気の急く旅でござった。
 立錐の余地なき大小のビルが蝟集林立し、行き交う多数の人と車、最近は首都移転の話は聞かないが、ひと揺れ来たら積み木細工のようなあの都市はどうなることかと、そのことを改めて感じて帰ってきた。

 東京では2泊、充分な睡眠が取れなかった。田舎に戻って今度はその反動でか一昨夜、昨夜と9時間以上眠った。これから朝風呂に入れば、きょうも格別な予定はないまま一日が始まる。
 こうした安穏な日々に身を任せ、時が呆気なく勝手に過ぎていってもいいという思い半分と、もう半分はもう少し何とかしろとという別の考えとがせめぎあう。そして「いい歳をして」という迷いの中で、今度はどうやら後者の勢いが勝ったようだ。
 
 年齢のことばかり呟くようで恐縮だが、では普段に物事を判断するとき、無意識の裡に果たして自分をどのくらいの年齢に想定しているのかと考えてみた。すると漠然としたものだが、どうやら40歳前後ではないかという答えを得た。実際とはエライ違いだが、どうも気分はそのあたりだ。
 また、思考の程度はもっと若く、多少の知識経験は増えたかも知れないが、多くのことは生まれ持った性格に負っているような気がする。つまり、恥ずかしながらこれまでの半世紀にも及ぶ歳月、成長も遂げていないということだ。

 そういえば、体重も20代のころからあまり変わらない。一度20代の終わりごろに5,6㌔増えたことはあったが、その後ずっと安定している。10㌔も20㌔も体重を増やすということは、背中に1泊2日、もしくはもっと長い山行に要する荷物を背負って日常を暮らすようなものと思い、それは避けたかった。
 もっとも格別、そのための努力をしたとは思わないが、これも生まれ持った体質ということだろうか。

 何でも生得のものということになりそうだが、そんなことを考えていたら、いつの間にか青空は消えて、雪が舞い出した。週の前半はまた寒気が来るとか。
 明日か明後日ぐらいには上にいくつもりでいたが、あまり荒れるようならその予定も少しずれるかも分からない。アレ、この判断は、高齢者としてのものと言えるかも。
 本日はこの辺で。 
 
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      ’25年「冬」(33)

2025年02月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 鳥の声がする。歌声の主は分からない。最近、脚立の上に用のなくなった盆栽の鉢を置き、そこに食べなくなったリンゴや、車の中にこぼした米粒を持っていってやる。すると、翌日にはない。
 
 一昨日、昨日は都会の工事や車の騒音で目を覚まし、そのまま寝付かれず長い夜を過ごした。田舎に戻ってきてもそれがまだ続いているのか、今朝も3時ごろから起きていて、嗜眠癖にとってこれはかなり厄介である。これまで安眠を貪さぼり過ぎた報いだろうか。

 いたずらに炬燵の虜囚の身であっては、日々は呆気なく過ぎていくばかりだと、何事か計画でも立てたりすれば、今度はそれに振り回されてしまう。今度も「年齢のことを考えろ」と言われているが、では何をどうすればこの年齢に相応しいのかよく分からない。
 確かに喜寿を目前にした者は老人である。しかし、歳月は必ずしも誰でも彼でも磨いてくれるわけではないらしく、その典型である自分は、尖がったころのままでいる自覚の足りない老人である。

 昨年も、今年も、1日の平均歩行数は5000歩を上回るらしい。万歩計の記録である。牧場で働いているときは、それが7000歩を超える。
 先日は腎臓結石のお蔭で少々慌てたものの、今は身体に格別不自由はなくて有難い。ただそのせいで、意識とか気分と、実際の年齢とを同調させるのがなかなか難しくなるのだ。
 たまに同世代の人をテレビなどで見て「オレもこんなジジイなんだ」と教えられ、そこで一挙に気分が歳を取ることはあるが、長くは続かない。すぐに年齢不詳に戻ってしまう。
 例の結石は、そういう能天気な者への灸であったと考え、元気なうちが花よとの思いを強くしつつも、それの短命であることも忘れてはいけないと言い聞かせる昨今である。

 やれやれ、外が明るくなってきた。寝不足で頭が濁っている。只今6時を少々過ぎたところで気温は零下6度。2月は思っていた通り日の経つのが早く、もう半分が過ぎてしまった。喜び半分、寂しさ半分。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 
 
 
 
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      ’25年「冬」(32)      ’

2025年02月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 もう、上はとてもこんな雪の量ではないはずだ。多分、この写真は今年2日、里へ帰る時に撮ったものだろう。冬ごもりの日々にあってはここへ載せる写真にも事欠くわけで、致し方ない。
 この辺りは西側の鞍部から吹き寄せる風の影響で雪だまりができる。そのため冬はその手前で車を乗り捨て、小屋まで約1.5㌔ほどを歩くことが多かった。
 ところが、夜半に雪が降りだし、その雪で里に帰れなくなるかも知れないと、吹雪の中の暗い雪道を慌てて車まで戻るという散々な目にあったことも、実は一度だけではない。それも今となっては懐かしくさえある。
 
 先ほど、家の前で出会った近所の人から「今年も上に行くのかね」などと聞かれ、なんと応えたらよいのか返答に窮した。不確定なことを多く残しているが、こっちまでは何も聞こえてこないからだ。
 明日東京へ行く用事がなければ、天気はしばらく好天が続きそうだし、きょうあたり上に様子を見に出掛けていくのには絶好の日和だが、残念ながらそれも思うに任せない。
 
 それにしても、男女の関係においては別れた途端に、それまでの一切の関係が霧散して、出会う以前と変わらぬ関係に戻れるという話も聞く。特に女性は。
 しかし、少なくともあの牧場や周囲の自然に対して、そういう気持ちにはとてもなれない。なれなくて構わない。
 確かに、一介の牧守が今さら何を言ってみてもと観念はしている。それに、思い残すことよりか、やれるだけのことはまずまずやったという思いの方が強くある。その上でなお、18年の歳月を忘れるわけにはいかない。
 あの牧柵、あの細い作業道、あの沢の流れ、あの草原、あの広い空、あの星空、のんびりと草を食む牛たちの群れ、どれもこれも牧守だけに見せてくれた美しくも気高い入笠の裸身である。

 そんなわけで、明日から14日の金曜日まで3日ほど、この独り言を休止します。多分上に行くのは次の週になると思いますが、そうなれば3月まではもう手の届く先、ちょうどそのころに題名を「春」にすればと考えています。
 本日はこの辺で。
 
 

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      ’25年「冬」(31)

2025年02月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日の朝、午前7時の気温はついに氷点下10度を超え11度、今朝の気温は1時間のズレがあったものの午前8時の段階で零下1,2度と、信じられないような気温の差、いずれのときも寒暖計を2度確認したから間違いない。ただし、体感的にそんな違いがあったとは感じなかった。
 これだと昨日上も17,8度と、恐らく今冬最低の気温となっただろう。
  
 それでも昨日の日中はかなり気温が上がり、しばらく部屋の窓を開けていたくらいだったが、夜散歩に出たら「洞口」の日が当たらない坂の一部は雪が融けずに凍結していた。 
 その先にも、瀬澤川の谷へ下る坂道、八手の集落の外れにある竹林坂、福与へ至る峠手前の登り、そして「長い下り坂」などが待っているからと、いつもよりか気を引き締めて歩いた。

 そんな道中、月齢が進んで、昨夜は凍てる月がまた夜道を照らしてくれた。林の中を歩けば、樹々の枝が月の光を浴びて路面に複雑な影絵を落としていたり、雪と見紛うような白い光に照らされた緩やかな登りもあったりして、視界の効かない山の中でも天然の光の演出を結構気分良く味わうことができた。

 まだ10代、中学から高校のころだったが、このころにもよく夜の散歩に出た。いまより気温が低く、一度雪が降れば天竜川まで続く田圃は一面白い雪原に変わり、日中に融けた雪も夜になれば気温が下がって凍てつき、充分に体重を支えてくれた。
 その頃は、いまのような大型店舗や自動車の行き交う道路などなかったから、犬を連れて月の光を浴びながら、広い雪原のどこでも自由に歩くことができた。
 月明りに浮かぶように見える西山の白い峰々、かなり上部まで樹林を残し、まだら模様の山肌が却って寒々しく見えていたものだ。ただし、そこへ登ってみたいという気になるまでには、まだ2,3年はかかっただろう。
 冴え渡る月の光ばかりに気を取られていて、散りばめられた無数の光の粒を特に意識したかどうかは記憶にないが、頭上の青色でもなければ黒色でもなく、面と言うよりか無辺、底知れぬ広大な闇には謎めいたものを感じていた。

   〽白銀(しろがね)煙るアルプスの小屋にやさしい娘ひとり・・・

 沖縄出身の仲宗根美樹という歌手が歌っていて、今でもうろ覚えの歌詞だが歌うことができる。昨夜も歌った。この歌も、遠い過去への道案内である。
 本日はこの辺で。

 
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      ’25年「冬」(30)

2025年02月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝の6時ごろだった、外から聞き慣れない機械を動かす音がする。どうやら雪かきをする音だと分かって、再び寝付いた。どうせ大したことはないと思ったからだ。
感じる感じるじる(消えた)。
 昨夜も散歩に出たら、吹き荒れる風の中に雪が混ざっていたし、峠を越えると道が薄っすらと白くなっていた。しかし、それでも、いつもの長い下りの坂でも、足元に不安を感じることはなく、振り返っても雪の上に足跡は残らなかったくらいだったからと、気にしなかった。(ここまでが消えた部分)
 先ほど外にでてみたら、案の定2㌢もあるかないかの積雪で、この雪景色は昼頃には消えてしまうだろう。

 里はこんなだが、さすがに上はそうとはいかず、かなりの量の雪が予想される。近々行くつもりでいたら、来週は半ばに東京へ行く用事が出来て向こうで2泊ほどするから、上には恐らく行けてもその次の週になるだろう。とにかく2月は忙しい、あっという間に過ぎてしまうに違いない。

 きょうの写真は貰い物のタマネギである。先日家に来たTDS君もTKJ君も立派だと褒めてくれ、早く食べろと急かされた。FMZ君の妹さんとその夫君の労作である。
 よく美味い物を食べたいと独り言ちる。そして決まって必ずしも高い物ではないと言い訳をする。もう一言、言い添える言葉があるなら、栄養である。
 このタマネギにしても、あるいは出汁に使った昆布を佃煮にしゴマをふりかけたのもそうだし、大正金時豆のサラダや山芋、サバやイワシなどの青魚、そして好物の豆腐などなどを食べると、実に充実した気分になる。以前にも呟いた「システムキッチン学」の著者、丸本淑夫(よしお)先生から学んだことだ。
 
 先生は健康重視、砂糖とか油には厳しく、素材にもうるさい。ご教示頂いた料理法で作り、食べれば健康に良く、食べた後の充実感は申し分ない。だが、さて味の方はどうかとなると、化粧をしなくとも美形、のような料理もあれば、化粧してもちょっと、というのもあり、毎日こうした物だけを食べ続けるのは難しい。
 油ぎっとりの料理チャーローメンを食べたい時もあるし、砂糖が入らなければもの足りない料理は数多い。
 それでも、食後の充実感は夜の散歩にも似て、最近は毎晩頂戴したタマネギをスライスにして、たっぷり米酢をかけ、ほんのちょっぴりの醬油をたらし食べている。ウマイ!有難う。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
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