あまり引っ張り過ぎてもアレなんで、前編・中編・後編の3部構成にしようそうしよう。と、今決めたww
さて、先ずは上流を目指す前に、看板で「木谷小学校」と表示してあるので行ってみることに。この近辺、ハッキリ言って人気が少ないので、子供が居るとは到底思えません。つまり、廃校に間違いなし。オイラの出身小学校も、この春に廃校となってしまったので、そこら辺の寂しさってのは味わっちゃってます。
でも、ココの廃校はすごかった。
昭和43年に廃校となったそうです・・・ オイラ、まだ生まれて無いww
建物の造りは、木造ですが雪深い地域であることを想像させます。焼き素板なんてのも、懐かしいですなぁ。これ、結構耐久性あるんですよね。風化しにくく腐りにくい。反ったり割れたりもしますけど、整備性は悪くなかったはず。昔はね。ここの建物は、入り口の天井が腐って抜けてたりしたので、事故があっては申し訳ないと判断し、内部には入らずに玄関で止めておきました。色んな子供たちと先生方が暮らした歴史を感じさせる、暖ったかみのある建物でした。オイラが小学校低学年の頃には、木造校舎でした。卒業と共に解体され、鉄筋コンクリへ建て替えられてしまいました。だから、木造ってのはオイラにとっても懐かしいのです。
さて、木谷小学校跡から、本題の木谷峡散策へ戻ります。っていうか、当初は散策するつもりは「無かったw」。クルマでポイントを走って撮って、時間が有れば寂地峡にも行こうという計画だったのです。でも、この看板が「全ての情報源」となってしまっていたオイラは、歩いて滝を目指したのであります。
距離は書いてあるけど、大概、登りの距離ってのはアテにならないというのが相場でしてww オイラは、カメラバッグと三脚を担いで、尚且つ買っておいた「お茶」も忘れて登り始めることとなるのでした。そう、少し上の方にも書いてありますが、大して時間はカカラネーだろww 程度にしか認識してなかったのです。
※スペースアスレチック清流砦が描かれていますが、後から追加されたのか、結構昔から清流砦が有ったのかは不明です。
まぁ、普通にコーイウ看板が立ってる所です。中国山地ではヨクアルコトですけどねぇ。。。 夜や閑散期には、ちょっと怖いですね。ラヂヲとか熊鈴とか持ってきても、気休めにしかならんかも・。・・
木谷小学校の方へ水を引いていたであろう水路。水門は閉じられることも無く、水路は崩壊してしまっているようでした。昔は、この近辺でも耕作をされていた事が偲ばれます。昔の日本ってのは、なんか凄かったんだなぁ。こんな山奥でも、生活が成り立つ設備が揃っていたのだから。人間って、あまり便利過ぎるとダメになるのかも知れないなぁって思うのです。特に此の頃はねぇ。オイラも、便利に慣れきった人間ですがwww
因みに、この水門は元々あった滝を利用して堰堤を築き、そこへ水門を設けた様です。景観保護の意味で言えば残念ですが、ここで生活をしていた人々には、きっと画期的で暮らしの役に立つ施設として歓迎されたはずです。まぁ、美談だけじゃない、諸々の話もあるんでしょうけどね。大概、利水に関しては揉めるモンです。
-つづく-
さて、先ずは上流を目指す前に、看板で「木谷小学校」と表示してあるので行ってみることに。この近辺、ハッキリ言って人気が少ないので、子供が居るとは到底思えません。つまり、廃校に間違いなし。オイラの出身小学校も、この春に廃校となってしまったので、そこら辺の寂しさってのは味わっちゃってます。
でも、ココの廃校はすごかった。
昭和43年に廃校となったそうです・・・ オイラ、まだ生まれて無いww
建物の造りは、木造ですが雪深い地域であることを想像させます。焼き素板なんてのも、懐かしいですなぁ。これ、結構耐久性あるんですよね。風化しにくく腐りにくい。反ったり割れたりもしますけど、整備性は悪くなかったはず。昔はね。ここの建物は、入り口の天井が腐って抜けてたりしたので、事故があっては申し訳ないと判断し、内部には入らずに玄関で止めておきました。色んな子供たちと先生方が暮らした歴史を感じさせる、暖ったかみのある建物でした。オイラが小学校低学年の頃には、木造校舎でした。卒業と共に解体され、鉄筋コンクリへ建て替えられてしまいました。だから、木造ってのはオイラにとっても懐かしいのです。
さて、木谷小学校跡から、本題の木谷峡散策へ戻ります。っていうか、当初は散策するつもりは「無かったw」。クルマでポイントを走って撮って、時間が有れば寂地峡にも行こうという計画だったのです。でも、この看板が「全ての情報源」となってしまっていたオイラは、歩いて滝を目指したのであります。
距離は書いてあるけど、大概、登りの距離ってのはアテにならないというのが相場でしてww オイラは、カメラバッグと三脚を担いで、尚且つ買っておいた「お茶」も忘れて登り始めることとなるのでした。そう、少し上の方にも書いてありますが、大して時間はカカラネーだろww 程度にしか認識してなかったのです。
※スペースアスレチック清流砦が描かれていますが、後から追加されたのか、結構昔から清流砦が有ったのかは不明です。
まぁ、普通にコーイウ看板が立ってる所です。中国山地ではヨクアルコトですけどねぇ。。。 夜や閑散期には、ちょっと怖いですね。ラヂヲとか熊鈴とか持ってきても、気休めにしかならんかも・。・・
木谷小学校の方へ水を引いていたであろう水路。水門は閉じられることも無く、水路は崩壊してしまっているようでした。昔は、この近辺でも耕作をされていた事が偲ばれます。昔の日本ってのは、なんか凄かったんだなぁ。こんな山奥でも、生活が成り立つ設備が揃っていたのだから。人間って、あまり便利過ぎるとダメになるのかも知れないなぁって思うのです。特に此の頃はねぇ。オイラも、便利に慣れきった人間ですがwww
因みに、この水門は元々あった滝を利用して堰堤を築き、そこへ水門を設けた様です。景観保護の意味で言えば残念ですが、ここで生活をしていた人々には、きっと画期的で暮らしの役に立つ施設として歓迎されたはずです。まぁ、美談だけじゃない、諸々の話もあるんでしょうけどね。大概、利水に関しては揉めるモンです。
-つづく-