死んだ後のことだけど。極樂浄土に向かうとき、僕はどんな顔をしているのかなあ。そのときも顔はあると思う。肉体は燃え尽きているから、見えてはいないけど。こころには見えていると思う。不安そうな顔しているのかなあ。でも、仏さま、菩薩さまがすぐさまお迎えに来ていてくださっているから、そうじゃなくて、浮き浮き浮かれていると思う。入学した小学生の歓迎旅行のようだと思う。それに一人じゃないよね。団体さんなんじゃないかなあ。ジャンボジェットのような大型のお迎えの雲に乗っているのかなあ。極樂浄土へ行くのは間違いのないこと。これは阿弥陀如来の約束事だから。仏さまは嘘はつかれない。
でも僕はその時どんな顔をしているのかなあ。今回のわたしになっては、初めての体験だろうから、やっぱり不安そうにしているのかなあ。ふっと今し方それが気になった。ともかくいつか必ず行くんだもんなあ。