<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

でもその時僕はどんな顔をしているのかなあ

2018年03月07日 19時48分34秒 | Weblog

死んだ後のことだけど。極樂浄土に向かうとき、僕はどんな顔をしているのかなあ。そのときも顔はあると思う。肉体は燃え尽きているから、見えてはいないけど。こころには見えていると思う。不安そうな顔しているのかなあ。でも、仏さま、菩薩さまがすぐさまお迎えに来ていてくださっているから、そうじゃなくて、浮き浮き浮かれていると思う。入学した小学生の歓迎旅行のようだと思う。それに一人じゃないよね。団体さんなんじゃないかなあ。ジャンボジェットのような大型のお迎えの雲に乗っているのかなあ。極樂浄土へ行くのは間違いのないこと。これは阿弥陀如来の約束事だから。仏さまは嘘はつかれない。

でも僕はその時どんな顔をしているのかなあ。今回のわたしになっては、初めての体験だろうから、やっぱり不安そうにしているのかなあ。ふっと今し方それが気になった。ともかくいつか必ず行くんだもんなあ。

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今夜の同級生会は日延べになった

2018年03月07日 19時16分24秒 | Weblog

東京から、親類の人の葬儀出席のため一時帰郷した友人は、今夜は親類の人たちと過ごすことになって、今夜の同級生会は日延べになった。明日になりそうだ。そうだろう、それがいいよ。親類の方を優先すべきだよ。

それでこちらは暇になった。何時でも閑だからいいけど。

で、早めに我が家での夕食をすませた。晩酌をした。日本酒の熱燗を1・5合ほど。我が家の畑で収穫した子持ち甘藍を酒の肴にして。お風呂を沸かしているところ、いま。

一日、結局何にもしなかった。午前中掛かって詩を5篇書いたほかは。でもいい。それでいい。詩が次々に浮かんできただけで嬉しい。いままであまり書かなかった恋の詩歌なども書けた。僕には似合わないけど。

 

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猫にも1日24時間 同じ時間を与えられている その2

2018年03月07日 16時11分36秒 | Weblog

ぶらりぶらりして日中を過ごすことが多い。こんなふうにしていていいのかなと時々思う。時間との上手な付き合い方にマッチしている自信がない。

時間の氷山は刻一刻解けていく。削られて行く。どうにかしなければ。焦る。

猫も、僕を見て不安を感じているかも知れない。なあんだ、人間を生きているっていっても、このくらいのことか。時間をちっとも大事にしていないじゃないか、などと捨て台詞を吐いているかも知れない。

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猫にも等しく1日は24時間 同じ時間を与えられている その1

2018年03月07日 15時54分15秒 | Weblog

猫にも等しく、1日は24時間である。まったく同じ時間を与えられている。

猫には失礼だけど、彼らは怠け者だ。僕以上だ。一日濡れ縁に来て日を浴びてごろんと寝ている。

24時間者時間を過ごすのはタイヘンだろうなと思ったりする。寝て起きて欠伸して時々そこら辺りを散歩しているゆっくり。もう随分とお年寄り猫だから、鼠も捕らない。土竜も捕らない。小鳥を見つけても追いかけない。

1日が24時間。そういうが僕も24時間の扱い方が下手だ。北極海を流れていく時間の氷山を茫然と眺めている方が多い。生かし切っていないなあと思う。つくづく思う。

 

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我が家の庭の梅の花も綺麗だ 綺麗だと褒めてなかったまだ

2018年03月07日 15時40分56秒 | Weblog

我が家の庭の梅も花も綺麗だ。綺麗だよと言ってやっていなかった、まだ。遠く伊万里まで行って、そこの梅林の梅の花たちにばかり、「綺麗だ綺麗だあなたは綺麗だ」と褒めそやしてきた。うううん、片手落ち。嫉んでないといいけど。

嫉んでなんかいないよね。そんなゲス根性はないだろう。あの清廉な純白には。

山から可愛い小鳥たちが来ているから、可愛い彼らから賞賛の言葉をたくさん浴びたはず。それで機嫌がいいはず。家主は鈍感にして、目もくれなかったけど、でも、にんまりのはず。その判断はたぶん正しいだろう。

拠って、我が引け目はこの場で却下することにした。

 

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猫は花粉症にはならないのかなあ?

2018年03月07日 15時20分13秒 | Weblog

はて、猫は花粉症にかからないのかな? 悠々と庭を散歩している。

まてよ、クシャミをしている猫は見たことがあるぞ。だらだらだら~り、鼻水を垂らしている猫も見たことがあるぞ。

すると? もしかして? 辛いだろうなあ、だったら。

マスクをしている猫、ゴーグルをつけた猫は見たことないものなあ。

我が家の裏に樹齢70年(?)ほどの杉の木が4本聳えています。他所さまの家の敷地ですが、あまりにも繁茂しているので、もろに花粉は飛散してきます。

切るにも切れないそうですね、杉の木。伐採料金がとても高いらしい。日本の林業はどうなっているのだろう?

 

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仏智見を衆生に開かせるために ラスト

2018年03月07日 15時09分13秒 | Weblog

すっかりその準備、わたしたちが仏智見を開く段取りは整っている。仏さま方がこれだけのご苦労をなさったのである。整えられているのである。

後はわれらが人間を終えてからのお楽しみである。そこへ必ず行き着く。そしてわれわれは仏と同等の仏智見を開いて仏になるのである。

死後でいいのか? 死ぬ前でもいい。いやそうするべきなのだ。

臨済宗の教えからすれば、死ぬ前に仏智見を悟るべきなのだ。死ぬ前に我等は仏になるべきなのだ。この世に命を受けたことを無駄にしないためには。

ここでこのシリーズを閉じます。これは我見です。仏智見を遠く遠くに眺め渡して溜息をついている一人の老爺の、些少瑣末な我見に過ぎません。申し訳ないことです。

読者のみなさんはみなさんで扉を開いて下さい。

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仏智見を衆生に開かせるために その7

2018年03月07日 15時07分01秒 | Weblog

仏智見の扉を開けたらそこに、では、何か見えて来るか。

仏智見の航海図を示されたら、では、我々は何処へ向かって行くか。

仏智見の悟りを垣間見たらわれわれはどう行動するか。

仏智見の道を歩いて行くようになれば、では、我等にどんな安心が届けられてくるか。

 

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仏智見を衆生に開かせるために仏が此処に来られている その6

2018年03月07日 15時01分32秒 | Weblog

仏陀は、人間が到達し得た地点を超えた遙かな地点に仏の見た絶対値があると説く。そしてその説法を続ける。懇切丁寧に経典を編む。

仏陀の黄金の教えはしかし、衆生の耳には聞けない。仏陀の黄金の説法は空を切る。吾等衆生はこの世の杓子定規を肯定するのみで、仏陀を否定して無視するからだ。

 

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仏智見を開かせるために仏は衆生界に来られた その5

2018年03月07日 14時56分49秒 | Weblog

ではどうするか? われらを仏にするしかない。これしかないのだ。だから菩薩如来はこぞってわれらを仏にするように奔走するのである。

彼らが奔走しても努力しても馬耳東風なのだ、われらは。その値打ちが分からないのである。むしろ反目してしまうだけである。

それでも、これが衆生救済の唯一無二の方法である。そうでないと我等は遂に「かりそめの悦楽快楽」で死を迎えてしまうのだ。薄っぺらな当座凌ぎの快楽を本当の安楽だと思い込んで、この世を過ごしてしまうのだ。

(喩えれば、井戸の中を海と見た蛙のようなものだ)

 

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