1
わたしが住んでいる古里の歴史を一つ紹介します。勢福寺城の歴史です。これはわたしの家からすぐ裏手の山の、山城です。山はそれほど高くはありません。標高196mあります。少年時代ここでよく遊びました。山頂に館(やかた)跡があって、井戸が掘られています。
2
1353年に、肥前守護をまかせられた一色直氏が築城しています。彼は後にお父さんの跡を継いで太宰府の九州探題の守護職に任じられています。ときは戦国時代です。成福寺城とも清福寺城とも書きます。ずっと戦いが繰り広げられていて、城主が7回くるくる替わっています。1589年に廃城になっています。236年の長きに亘って此処を本拠地としていた武将達がいたということです。だから、わたしたちの住む古里は城下町の名残を止めています。城主が日常住んでいた平地の館跡も山麓にあります。雲上城(うんじょうのき)という地名になっています。
3
現在の市長さんはこの山城にスポットライトを当てると言っています。紅葉の名所「九年庵」とともに、全国からお客さんを招く観光地にしようとしています。ときおり市の呼びかけて探訪会が開催されています。沢山の人が集まってきます。春と秋の九年庵開園のときには全国の旅行業者の貸し切りバスが押しかけて交通麻痺が起こるくらいです。市の観光にもう少し膨らみを持たせようとしているようです。
4
南山麓に種福寺という禅宗の寺があります。ここが登り口になります。ここの裏にはこの山城の城主たちのお墓が列んでいます。ここに跋扈していた強力な武士集団の祈念碑も建っています。城下町の名残を留めているところには説明板も立っています。馬を走らせたサッカー場の広さがある「馬場」もあります。同じ集落には真正寺があって、ここには第3代城主太宰冬尚の墓と八千代姫が植えた八千代桜があります。この桜はいまは枯れてしまってありません。言い伝えだけです。