春の苑 紅匂う桃の花 下照る道に出で立つ乙女 万葉集巻19 大伴家持
☆
万葉集の頃の桃の花は、紅の色をしていたのだろうか。匂いが紅だったのだろうか。春が二人に格好の苑を造っている。ここをランデブーの場所に選ぶ。匂い立つような若いあなたが、桃の花の色に照る苑の小道を歩いてやって来る。もうすぐあなたに逢えるのだ。
春の苑 紅匂う桃の花 下照る道に出で立つ乙女 万葉集巻19 大伴家持
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万葉集の頃の桃の花は、紅の色をしていたのだろうか。匂いが紅だったのだろうか。春が二人に格好の苑を造っている。ここをランデブーの場所に選ぶ。匂い立つような若いあなたが、桃の花の色に照る苑の小道を歩いてやって来る。もうすぐあなたに逢えるのだ。
寂しさの静まる山の湖のひとところより水の流るる 薬王華蔵
この水は何処へ流れて行くのか。谷川を長く細くさらさら流れて行く水音は、ブログの声のようだ。
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想像を膨らませてしまった。
想像でさえこんなに膨らませることが出来るのだから、実体だってそれに順応できるはずだ。
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さっきここに書いた人間の進化の先の、膨張自在と伸縮自在は、実は宇宙から人類が学んだことだったのだ。
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ふふふ、もちろん時間だってこの通りになれるのである。どれだけでも膨張が可能だし、どれだけでも伸縮が自在である。今日の中に201800年も20180000年も圧縮されて収まっている
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想像とは愉快な玩具だ。この玩具を手にしていたらいつまででも遊んでいられる、愉快にしていられる。
いや、そんな日が或る日、ひょっこり来ていたりしていて。その日もお天気は良さそうで。桜が咲いていて。公園に行くと花見客が花筵に座って見上げて歓声を上げている。200万年があっさり経過している。それでも地球は、何の変わらずに、しつこく、くるくる回り続けている。
人間達は、しかし、ずいぶんと進化を遂げていて、例えば恐竜がトンボになったほどに、小さくなっている。米粒大になっている。
というよりも伸縮自在になっているので、必要に応じてどれだけでも巨大化できるし、どれだけでも縮小できる。でも、普段はエネルギーを浪費させないでいられるように、米粒大に収まっている。食べ物も芥子の種くらいでいい。
もちろん大空へ飛ぶことも出来る、それもジェット機大になって。海底に潜ることも出来る、潜水艦になって。
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2018年、3月25日、日曜、今日は。一日、お天気が良さそうだ。予報では当地は最高気温が19℃まで上がる。あちらでもこちらでもサクラが一挙に開花をしてしまうだろうな。我が家の庭のハクモクレンは早々ともう散ってしまった。
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でも、でもでもでもでも、2018年は何かの間違いじゃない、とふっとそう思うことがある。
20180年の書き間違いなんじゃない? と。あるいは今日はもしかして、ほんとうは201800年なんじゃないかな、と。いやいや、その認識も間違いで、実は今日は2018000年の3月25日だったりしているんじゃないか、と。
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認識というのは、間違っているのに、それをそうと気付かないで居ることがある。平気で嘘していることがある。嘘の気持ちよさに悪乗りしていることもある。
おはよう/おっはよう/ようおはは/ようようおっは/おおははうようよ/うよはお/
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音重ね遊び。意味がないのに、ありえている。すました顔をしてそこにならんでいる。変わり種の変人たちのよう。並べ替えだけでこんなに変わってしまう。
変わった姿に中身の実体がついてくる、としたら? いろいろな変化が楽しめそうだ。
珍しく遅くまで起きていました。NHK教育テレビの「宗教の時間」を録画した番組を見ていました。仏教関連のものばかり幾本も。疲れました。もう寝ます。おやすみなさい。
園芸店にはやくも胡瓜、茄子、トマトの苗が売ってありました。一株58円で。立派に育っていました。で、ついふらふらと買ってしまいました。それぞれ3株ずつ。それから里芋の種芋を1袋、生姜の種を1袋。
明日はこれを畑に植え付けねばなりません。やや早過ぎるかもしれません。霜の被害に遭わないといいのですが。まあ、慌てないで、ボツボツでもいいのですが。