<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

老爺と雖も軽んずべからず 怠け者日没まで働く

2018年03月24日 19時02分51秒 | Weblog

帰宅してからこの方、夕暮れてしまうまで耕し耕し、草取りをして過ごした。家の東側の花壇の一角がきれいになった。三時間掛けた。熱心だった。休むことがなかった。といっても座椅子を動かしながらだから、高が知れているが。いやいや、それでも見違えるように見事になった。働いたという充足感が湧いている。老爺といえども、軽んずべからず、だ。怠け者といえども、時にはこうして勤勉になる。農作業用の手袋も嵌めていなかったので、両の手は真っ黒になっている。

春の草はすぐに生えて来る。すぐさま伸びてくる。勢いが盛んだ。夏が来るまでにはまた元の藪になってしまうだろうが。一段落は一段落だ。まあ追いかけっこというところだ。

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トコロテンが食べたくなった

2018年03月24日 15時33分07秒 | Weblog

トコロテンが食べたくなった。桜の花の咲く頃に公園の近くのトコロテン屋さんで、ゴマと酢をまぶして、つるつるつると啜った。トコロテンは心太と書く。何故だろう? スーパーに立ち寄って68円のを2パック買った。我が家で食べよう。

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我慢ができるところにいることは

2018年03月24日 14時23分09秒 | Weblog

気温は16℃。でも車の中は暑い。冷房をきかせた。窓を開けたらいいのだが、花粉症患者ではそうもいかない。

まあ、このくらいのことなら、我慢は出来る。我慢ができないことというのにも遭遇させられるのだら、我慢ができるというところにいることは嬉しいことである。

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新筍の木の芽和えがいかにも旬の料理だった

2018年03月24日 14時10分54秒 | Weblog

ランチが種々とりどりでおいしかった。新筍の、木の芽和えがいかにも旬の料理だった。珍しかった。最後はデザート。甘い小豆のゼンザイ。と、珈琲。☕ 14時を過ぎた。客の姿が見えなくなった。

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陽気に誘われてぶらり誘い出された

2018年03月24日 13時26分57秒 | Weblog

家の中にじっとしていられなくて、春の陽気にふらふら誘い出されてしまった。途中、サクラサクラサクラを見て過ぎた。神社や小学校、中学校の境内を華やかに飾っていた。13時30分、気の利いた食事屋さんを見つけた。予約制らしいが、席に空きがあって入れてくれた。静かなところだ。朝ご飯は9時を過ぎていたから、空腹ではない。さっそくサラダとお豆腐が運ばれて来た。では、いただきます。

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いろっぽさというのは歌にも歌えないものか

2018年03月24日 11時35分33秒 | Weblog

いろっぽいことは、この老翁にはもうできぬ。縁遠いことだ。でもそういういろっぽさはこの世から抹殺してもらいたくない。捨てがたいと思う。人類の共通遺産なのだから。

読者文芸の入賞入選作品を読んでみた。いろっぽさを匂わせてくるものはなかった。みな生真面目すぎて鋼鉄製の作品のようだった。いろっぽさというのは歌にも歌えないのか。

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色っぽさが鍵になりそう ふふふ 描けるかなあ

2018年03月24日 11時21分54秒 | Weblog

地元の短歌同人誌の、表紙絵を依頼された。さあて描けるかなあ。クレヨン水彩画で描く。春を歩いている人たちの華やかな色とりどりの靴を描くと面白そうだ。靴の一つにはリボンがある。もう一つには黄色い蝶々がとまっている。もちろん履いている人の嫋やかな白いおみ足も添えたい。ふっとそういう場面が浮かんできた。色っぽさが鍵になりそう。まだ準備に取り掛かっていない。暢気な父さん髭三本だ。(これはどこの部分の髭だろう?)

いつも描いている仏像画では宗教パンフレットになってしまうだろう。これは不似合いだ。

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老爺も花の下にて浮かれたくなった 絵にはなるまいが

2018年03月24日 11時09分12秒 | Weblog

いいお日和だ。家の中に閉じ籠もっているのは勿体ないほどだ。三分咲き四分咲き五分咲きを迎えて、じっとしていられない花見の客も、毛虫のように這い出しているだろう、日本各地の桜の名所は。当地にも日の隈公園がある。広い広い広場のある県立公園である。多布施川沿いがある。鍋島直正公所縁の神野公園がある。金立山いこいの広場がある。うんとある。昼過ぎにちょいと行ってみてもいいなあ。やっぱり茣蓙を広げて弁当を食べなくちゃならないかなあ。風がそよそよ吹いているから、寒いかも知れない。

老爺も花の下にて浮かれてみたくなった。絵にはなるまいが。

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一点に留まることはできない その要もない ラスト

2018年03月24日 11時01分03秒 | Weblog

人もまた古く死んで新しく生まれて行く。留まらせることは出来ない。留まらせる必要がなかったのである。

新しく新しく今日が生まれ出ている。新しい新しい世界が開けて行く。ここを呼吸すると清々しい。

いつまでもわたしを一点に繋ぎ止めておくことはない。流れに順応して行けば清々しいのである。

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一点に留まることはできない その要もない その5

2018年03月24日 10時56分06秒 | Weblog

大河の濁流はやがて大海に達する。そして日照りに遭って蒸発する。雨となって大地を潤す。そして新しく清らかな泉を湧かせ、川を辿って流れて行く。自然は循環をして止むときがない。

人もまた循環をして止むときがない。悲しみも苦しみも流れ下り、嫉みも恨みも流れ下る。楽しいことも嬉しいことも流れ下る。

存在もまたこの例に漏れない。人という存在自体もこの例に漏れない。

 

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