食った食った食った、朝からよく食った。バイキング形式朝ご飯を食った食った食った。腹一杯になった。欲張って食った。食い過ぎた。最後に珈琲をゆっくり飲んだ。うまかった。8時。秋晴れのいい天気。窓から眺める雲仙岳の山々には、赤い紅葉🍁が嬉しそうに続いている。嬉しいのだろう、秋の空気に包まれて抱かれているのが。よし、外に出よう。
わたしの体様にわたしは深々と頭を垂れていたい。あなたなしでは片時も生きてはいられなかった。多大な貢献をして戴いて此処まで生き延びられた。
なのにあなたは無欲だ。徳が高い。償いを求めない。恩に着せない。あなたはわたしのせいで生きられたのよという顔をしない。あくまでも謙虚なのだ。大口を叩かない。ともかく寝も遣らず働きに働く。
わたしが死なないように懸命な努力を続ける。ひたむきである。わたしを生かそう生かそうとする。ただただひたむきにわたしに仕えている。お陰をもって、わたしの呼吸が止まらないですんでいる。わたしはわたしの体様に深々と頭を垂れていたい。
体様にお仕えをさせてきたそのわたしという一人の人間はまことに大層な人間である。体様の渾身の努力精進によって、海底だったわたしの山に隆起を起こさせて、今やわたしは高い高い峰になっている。そのはずである。
富士の山ほどに高く聳え立って山頂に白い雪を耀かせているはずである。体様は富士のお山を仰いでおられるはずである。
それがそうではないとすれば、体様の一生涯の努力精進のお慈悲は水の泡となっているだろう。
それが、すまない。すまないすまない、体様お許し下さいをつぶやくしかない。わたしは高い峰の富士のお山になって輝いてはいない。
わたしという赤ん坊は我が儘を通した。一生涯、泣き喚いた。エンエンエンエン、その泣き声のでかいこと! 泣き止まぬこと! 乳母車を押して、飴をしゃぶらせて、人様に聞かれまいとどれだけ気を遣って来たことか!
この数日は赤ん坊を温泉に連れて来た。この赤ん坊は温泉好きらしい。抱っこをして一日に何度も、温泉に浸かり、機嫌を取って来た。
赤ん坊はときどき、お母さんを欲しがる。女の人を欲しがる。乳を飲みたがる。人工粉乳ではなしに母乳を欲しがる。そんなものはない。女の人に抱かれたがる。シャットアウトするしかない。そんな人はいない。
わたしという赤ん坊は我が儘を通して来た。我が儘はちっともよくならない。治らない。もうすぐわたしは死んで行くのだが、わたしが死んだら赤ん坊の面倒は誰が見るのだろう。親子心中でもするのだろうか。
もうすぐ午前5時。此処は山の上なのに、それほど冷えこんではいない。暖房なしでいられた。6時になれば朝風呂が開く。それまでは本を読んで過ごすことにしよう。本は何冊もリュックに詰めて来た。
一生、わたしはわたしをお守りして過ごして来たようだ。わたしという赤ん坊をお守りして過ごして来たようだ。泣き出さないように。泣き止むように。ない乳を飲ませ、子守唄を歌い、揺すって撫でて眠らせて。寝物語を聞かせてあげて。それでも駄々を捏ねられたけれど。
赤ん坊は一生掛かって何処まで大きく育ったのであろうか。案外、赤ん坊のままなのかも知れない。まだ、ぐずる。手を取る。癇癪を起こすな、騒ぎ立てるな、いい子でいろと言い聞かす。毎朝毎夜言い聞かす。本を読んであやす。ブログを書いて慰める。