<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

寝るより楽はなかりけり

2018年11月11日 19時09分09秒 | Weblog

寝るより楽はなかりけり。寝る。

夕食も食べた。赤貝と大根の煮物を肴にして、芋焼酎のお湯割りを飲んだ。大根は我が家の畑の産物。これも我が家の畑で収穫した薩摩芋の、焼き芋が極上の味わいだった。薩摩芋というのはこんなにも旨いのか。それから甘酒麹で甘酒を拵えてもらった。一日がかりで、温度調節をして。それからすぐさま、湯に浸かってあたたまった。酒が効いているので、湯舟の中ではやとろりとろり眠たい。ベッドには布団が延べてある。潜り込むだけだ。

寝るより楽はなかりけり。寝る。

2時間おきに、トイレに通う。その度に1時間ほどの読書を強いられる。朝方までが長い。それでも寝る。目が潰れるから、兎も角寝るしかない。さぶろう老爺は怠け者。

朝も昼も、しかし、畑に出てコマネズミのようにチョロチョロ働いた。あれこれあれこれ一日働き詰めだった。日没で仕事を終えた。ても金になる仕事は何もしていない。だから、遊びだ。種を蒔いて発芽したスナップエンドウ豆、凡そ30株を畑に移植した。コツコツコツコツ耕した畑に。

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この見えない謎世界は神秘の世界

2018年11月11日 08時57分49秒 | Weblog

 死後の世界、この見えない謎世界は神秘の世界、不可思議界である。実証に乏しい。


 それはしかし翻って考えればプラスの材料なのだ。ほぼ100%の未知と無知。であればこそそこは豊かな新大陸に値するのではないか。

それだけ多くが隠蔽されていれば、人は万年でも億年でも、興味と期待と冒険心を投入できる。

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残された日々は少ない

2018年11月11日 08時49分19秒 | Weblog

秋の胡瓜が実った。這う胡瓜だ。一個もいできた。ふっくらとしている。曲がっていない。手の平の上に載せる。上出来上出来。にやりとする。竹製の皿に置いて仏檀に供え、感謝をする。苗は3株植えている。その株にもそれぞれ数個実が付いている。どれも小さいけれど。霜が下りるまでだ。残された日々は少ない。なおさら大事になる。

畑に日が射して来ている。四方が明るくなっている。

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わたしの随筆 「黄蝶」 ラスト

2018年11月11日 08時47分13秒 | Weblog

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 朝の風景が訪れた。夏の庭に黄蝶が舞った。胡瓜の畑に行くと葉裏に羽を休めていた黄蝶が耳打ちをした。
 「一週間あなたの姿をずっと心のスクリーンで見ていましたよ。わたしたちに思いがあれば、この世界のものは何でも思いのままに見ることができるのです」

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わたしの随筆 「黄蝶」 その11

2018年11月11日 08時45分45秒 | Weblog

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 ではそこが到着地点? いや、そうではあるまい。遍歴の旅は無限に続くだろう。

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わたしの随筆 「黄蝶」 その10

2018年11月11日 08時08分59秒 | Weblog

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 此処は変身が思いのまま。物質の重たさがない。いきなり無になる、空になる。そして満ちる。生前あれほど恐怖していたのに、移籍が完了したら、すべてが安らぎに変貌していることに驚く。内界が宇宙のように膨張する。形を嫉まなくなる。融通無碍となる。己の内側の進歩向上だけに集中専念できる。
 有形を死んで無形に生きるようになる。

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わたしの随筆 「黄蝶」 その9

2018年11月11日 08時05分50秒 | Weblog

 それにしてもいったいわれわれは何故死の国に趣くのか。そこが進むべきところだからだ。
 何故肉体を死ぬのか。形を失うのか。そうすることが正しいことだからだ。その選択肢がわれわれを向上させるからだ。われわれを完成に導く道だからだ。
 ここに光を見出す。闇ではなく明るい明るい光をここに見いだして行く。有形から無形に、形の死から無形の生に変容することで、それが悉く証されていくのだ。
 ・・・明るい結論をそこに設定する。そこから遡って現在を考えてみる。

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わたしの随筆 「黄蝶」 その8

2018年11月11日 08時03分12秒 | Weblog

 わたしたちもやがて無形となる。形を持たなくなる。死が訪れる。見えない世界へ移籍する。死んで無形となることに、生きているわれわれは恐怖する。怯える。見えていれば相手が認識できる。これで安心を得ていた。その習慣がいきなり一掃されて戸惑う。

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わたしの随筆 「黄蝶」 その7

2018年11月11日 08時00分40秒 | Weblog

 目の視力は限界を持つ。夕日の水平線までがぎりぎりいっぱいだ。しかし、想像の視力は翌朝に昇ってくるぎらぎらした太陽までも先取りして視界に入れる。まざまざと。目に見える世界の限界を補うこともできる。  

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わたしの随筆 「黄蝶」 その6

2018年11月11日 07時58分40秒 | Weblog

 目は形のあるものでなければ把握できないのか。そんなことはあるまい。だったら、物質世界から一歩も出られないことになる。
 物体が放つパワー、それも目には見えないが、われわれはそれを自然に受け取っている。そうすることでわれわれは生を豊かに保つ。パワーは利己をしない。常に利他を図る。

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