渋沢栄一のいとこで彼に強い影響力のあった尾高惇忠は富岡製糸場の建設に計画当初から関わったが、工女の応募者が無いので自分の長女、勇(ゆう)(当時14歳)を工女第1号とした。父の心中を察して決断した勇のあと、やっと同じ村の少女たちが応募し始め、その後全国から集まり、7月開業予定を10月から操業開始出来た、とパンフレットにある。工女たちはフランス人から機械製糸技術を学んだ。明治初期にあって官営期の工女たちの生活は医療費無料、日曜休日と労働条件が良く先進的だった。横田英(えい)は工女の日常を回想録に著している。富岡製糸場に就職した工女たちは技術の習得後故郷に戻り製糸場で指導者になり、日本の近代化に貢献した。官営工場はやがて民間に払い下げられたが115年間休まず操業、建物も創業当初のままだそうだ。
財布の紐緩む門前町 かりんとうとお饅頭がドッキングしたカリント饅頭は外がカリカリ、中は5種の餡、と甘党には堪らない美味しさ。こんにゃくで作ったお菓子もある。富岡製糸場は日本の近代化に貢献しただけでなく現在も故郷創生に大きく貢献している。余談だが、年配の読者には水戸黄門役初代で有名な東野英治郎(英心の父)を思い出していただこう。彼は現富岡市出身で名誉市民だ。富岡製糸場ご訪問の折には、こんにゃくパーク立ち寄りもお奨め。あらゆる種類、味付けのこんにゃくが食べ放題だ。身体の毒がこんにゃくに吸収、排泄され、健康増進間違いなし、だそうだ。帰路は足利フラワーパークで250万球のイルミネーション、光の花の庭を楽しんでください。アメリカのクリスマス前後の夜の公園に負けない規模です!(彩の渦輪)群馬ちゃんと
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