「親思ふ こころにまさる親ごころ けふの音づれ 何ときくらん」。これこそが幕末の志士、吉田松陰の辞世の句とばかり思っていた。かつて、ブログご近所さんで山口にお里があるsuzieさんから教わったもの。
ところが先日、テレビで松陰が弟子にあてた辞世の句として有名な「身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」を紹介していた。自分が死んでもその思想を継ぐ者達が必ずより良き日本を創造してくれるとの思いが溢れている。先述の句は家族にあてた遺書だそう。
ものの序に松陰辞世の句についてネット検索してみると、実は更にもう一句あった。今年になって京都の美術館が発見したもので、「此程に思定めし出立は けふきくこそ嬉しかりける」。死への覚悟はできており、きょう死ぬことを聞いてもうれしく感じるという意。いずれの句も松陰は、志半ばで非業の死を遂げるであろうことを予測してこれらの句を残したのだろうが、凡人の私など死を前にしたとしたら、ただ恐れ戦くばかりで一句さえ詠む心の余裕もない。(お断り:facebookに同文掲載)
ところが先日、テレビで松陰が弟子にあてた辞世の句として有名な「身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」を紹介していた。自分が死んでもその思想を継ぐ者達が必ずより良き日本を創造してくれるとの思いが溢れている。先述の句は家族にあてた遺書だそう。
ものの序に松陰辞世の句についてネット検索してみると、実は更にもう一句あった。今年になって京都の美術館が発見したもので、「此程に思定めし出立は けふきくこそ嬉しかりける」。死への覚悟はできており、きょう死ぬことを聞いてもうれしく感じるという意。いずれの句も松陰は、志半ばで非業の死を遂げるであろうことを予測してこれらの句を残したのだろうが、凡人の私など死を前にしたとしたら、ただ恐れ戦くばかりで一句さえ詠む心の余裕もない。(お断り:facebookに同文掲載)