てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

老いと向き合う歌『手紙』

2010-01-06 16:42:00 | ビジネスと社会
 手紙 ~親愛なる子供たちへ~
 原作詞:不詳/訳詞:角 智織/補足詞:樋口了一/作曲:樋口了一/ストリングス・アレンジ:本田優一郎

 年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
 どうかそのままの私のことを理解して欲しい
 私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
 あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
 あなたと話をする時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
 その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
 あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は
 いつも同じでも 私の心を平和にしてくれた
 悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える 私の心へと
 励ましのまなざしを向けて欲しい
 楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
 お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
 あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
 いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
 悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
 祝福の祈りを捧げて欲しい
 いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
 足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったら
 あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
 よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
 私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
 あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど
 私を理解して支えてくれる心だけ持って欲しい
 きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
 あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように
 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
 あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
 あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
 私のこどもたちへ
 愛するこどもたちへ

 
 年の瀬も押し詰まったある昼下がり、ウオーキング中にラジオから流れる一編の詩が耳に留まり聴き入ってしまった。
 母がアルツハイマー症と診断されてから見送るまでの19年間の出来事が走馬灯のように駈け巡り、一言一句を身につまされる思いで全身全霊を傾けて聴いた。それが冒頭の、シンガー・ソングライター、樋口了一さんが歌う『手紙 ~親愛なる子供たちへ~』である。

 老いていく親が子供への思いを綴った歌で、2008年10月の発売以来、異例のロングセラーとなっているという。
 元の歌詞はポルトガル語で書かれており、読み人知らず。2年ほど前、差出人不明の一通のチェーンメールが、樋口さんの友人である角智織さんの元に届いた。それは、ポルトガル語で書かれた散文のような詩。角さんはその詩に感銘を受け、訳し、樋口さんに見せた。そして樋口さんは言葉に導かれるままに曲をつけ歌にした。それがこの歌である。
 
 母の場合は病状が緩やかな進行で、発症してから19年間生き長らえることができた。介護は家内独りに任せっきりだったが、辛うじて晩年の5年間だけは小生が早期リタイアしたことにより、家内と二人三脚で付き添いが叶い、その点では十分に看取ることができたので後悔はない。

 《そのリアリティ溢れる歌詞に「親のことを考えて涙が止まらなくなった」「何度も同じ話を繰り返す親の話を遮ってしまったことを後悔した」というメッセージが数多く寄せられる反面、「聞くのが辛い」というメッセージも寄せられ、あるラジオ局のDJは「聞くのが辛い人もいるかもしれません。そんな人はどうぞボリュームを下げてくださいね」と言ってOAされたこともある曲》だそうだが、気分は若くともぼつぼつ老境が迫りくる小生としては、「老いと向き合う歌」として大いに共感を覚えた。
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目は口ほどに…

2010-01-05 15:20:00 | ビジネスと社会
 この所ちょっと風邪気味なことと、新型インフルから身を守る意味もあり、人込みに出る時は必ずマスクを着用している。

 今朝の病院通いは年始とあって、混雑を見越して診察開始の25分前から並んで順番待ちをしていた。小生よりやや遅れて来院された同じくマスク姿の御婦人から(何方か存じ上げないまま)目線だけは痛いほど感じていた。

 小生が何番目かに呼ばれて診察室に入り、診察を終えて出てきた所へ、くだんの御婦人が駆け寄り「omotannさんでは?」と呼びかけられた。先程小生の名前が呼ばれて確信を得られたようだ。マスクをはずして「M田です。いつもブログを拝見しております。」と続けられ、初めてあのM田さんと結びついた。

 M田さんの御主人とはかつて高島公民館のギタークラブでご一緒したことがあり、同クラブの会計を引き継いだお方である。その後の御主人や娘さんのご活躍ぶりなどしばしお話が弾んだ。

 M田夫人ご自身とはこれまでに2度ほどしかお目に掛かっていないし、こちらはメガネとマスクで完全武装していたので、まさか分かるはずはない。特に目甲斐性が無い小生からすればそう思い込んでいた。
 ところが僅かに露出していた目元から目敏く小生に気が付かれたようだ。「目は口ほどに物を言う」或いは「目は心の窓」ともいわれる所以はここにあるのかと思い知った。
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孝行

2010-01-04 15:55:00 | ファミリー
 4日、官公庁や多くの企業で仕事始めの式があった。長男の勤める会社では、この日が創刊記念日にあたり記念式と新年祝賀式があった。席上永年勤続(25年・15年)の表彰があり、早いもので倅は15年勤続表彰を受けた。

 賜った金一封は、嫁の両親、我々夫婦に三等分して届けてくれた。骨身を削って働いた褒美なので一度は辞退したが、どうしてもと勧められ折角の好意なので有難く押頂き、ひとまず仏前の両親に。

 自らのサラリーマン時代、両親4人に対してどれほどの孝行ができたかと顧みれば、忸怩たるものがある。3人の倅どもを育てるのに精一杯で、親のことまで気が回らなかったのかも知れない。
 初任給43,100円の中から、オルゴール付き靴べらセットを、大学時代の4年間お世話になった下宿のおばさんに贈ったことだけは覚えているが、永年勤続表彰金をどう有効活用したのかまでは思い出せない。せいぜいボーナス時や何かの節目には2組の両親に心ばかしの孝行をしてきたつもりだ。その後姿を何処かでみていてくれたのだろうか。

 『孝行のしたい時分に親はなし さればとて石にふとんも着せられず』などと後から悔やまれることがないよう、暇さえあれば義父の所へ顔を出し、今の内に出来る限りのことをして差し上げるようにしている。
 正月も元日・二日と連日のぞいたら、逆に小生の誕生日(1月7日)の前祝いと7人の曾孫にお年玉を頂いてしまった。何をしていることやら…。

※倅どもの初任給から我々夫婦へのプレゼント
長男…WOODREXフォトスタンドクロック
次男…WEDGWOODペアーコーヒーカップ
三男…某ホテルの食事券
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岡山の雑煮

2010-01-02 23:09:00 | グルメと料理

1月3日朝の雑煮
 
 ブログご近所で奈良にお住まいのつーみーさんから「岡山のお雑煮はどんな味付けですか?」とのお尋ねがありましたので、有り体にご紹介します。

 一口に岡山といっても各家庭で違うようですが、我が家ではシンプルに、
①かつお昆布でだしをとり、味付けは醤油ベース、さらにするめを出汁に使う。
②具はほうれん草・にんじん・かまぼこ。(ぶりやも貝を入れる家もある)
③お餅は丸餅を水から茹でる。

 餅は大好きですが、目下カロリー・コントロールをしている手前、4個(@40g)までと決めています。元旦、2日と連荘で雑煮でしたが、ついぞ写真は撮りそびれたので明日にでも改めてアップします。

 香川県出身の長男の嫁の実家も我が家と似たような雑煮ですが、同県では全国的にも珍しい「あんもち雑煮」を食べる家庭が多いと聞きます。小豆あんの丸餅に白みそ仕立て、いりこだしが特徴ですが、小生はまだ食べたことがありません。

 所変われば品変わるといいますが、さて皆さんの所のご自慢の雑煮はどんな風ですか?


※高松への里帰りから帰って来た孫に「あんもち雑煮」のことを尋ねたら、「あんなもん都市伝説で今や食べる人はおらん! 岡山の雑煮と一緒や」とかる~く一蹴されました。どうやら香川県でも一部地域だけのようです。
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屠蘇に願いを

2010-01-01 09:03:00 | ノンジャンル


 皆さまお健やかに輝かしい新年をお迎えのことと存じます。
 拙いブログではありますが、どうか今年もお付合いのほど宜しくお願いいたします。

 我が家では、近年珍しく夫婦二人だけの静かで穏やかな年明けとなりました。家内の里も父子二人暮らしなので、嫁の拵えてくれた御節料理、大晦日に造った屠蘇と屠蘇器に替え畝尾特製の盃を携えて年賀に訪れました。

 「一人これを呑めば一家病無く、一家これを呑めば一里病無し」に肖り、義弟→小生→家内→義父の順で、一年間の邪気を払い長寿を願って、三献ずつ盃を重ねました。

 昨年は混沌とした世相を反映し、目を覆いたくなるような事件や事故が相次ぎました。政権交代しても相も変らぬ遅速・愚策、さらに円高ドル安、デフレが不況に追い討ちをかけました。
 しかし、悲観ばかりしてはおれません。今は夜明け前の漆黒の闇なれども、必ずや長いトンネルを抜け出し、明るい希望の持てる世の中となるはずです。そのことを切に念じてやみません。
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