てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

みんなちがって みんないい

2011-04-17 21:13:00 | 舞台、ライブ
 夭折詩人金子みすゞ(1903年-1930年)に「私と小鳥と鈴と」という詩があり、『みんなちがって、みんないい。』という有名なフレーズで締め括られている。
 人夫々に顔が違うように人格も違うが、そのことに優劣は無く素晴らしいことである。金太郎飴ではなく、みんなちがってみんないい。個性の発露を妨げてはならないことを、これほど言い得て妙なる言葉は他にないと思う。

 私どもには3人の倅がおり、同じ様に育てたつもりだが、当然のことながら長じて夫々が別の分野に進み、幸いなことに家庭を築いている。そしてその倅にも夫々子供に恵まれ、てんでに己の目指す道を歩んでいる。

 今日は三男のところの孫E一郎のソフトボール大会地区予選があり、5チームが出場し午前中の試合を観戦してきた。
 孫の選手宣誓でプレーボール。孫は投打にわたる活躍をみせ、緒戦をさよならゲームで勝利した。このところかなり気合を入れて投げ込みながら、直前になってフォームを指摘され、戸惑いを抱えたまま臨んだ試合だった。運動オンチを自認する爺さんの孫にしては上出来である。
 2戦目に駒を進め、ピッチャーを5年生にバトンタッチ、2回裏までは拮抗した試合運びだったが、同バッターボックスのN宮君が左顔面に死球を受け救急車で運ばれるというハプニングが起きた。一同動揺したのか3回表に5点という大量を失い、これをきっかけに惨敗を喫した。
 5チーム総当たり戦なので全試合を見届けたかったのだが、昼からは長男のところの孫I樹のバレエ発表会があるため、N宮君のケガのことを気にしながら後ろ髪引かれる思いでグラウンドを後にした。(後で聞けばN宮君のケガは大事に至らず、残る2試合は孫が完投勝利し焼肉で祝勝会をしたそう)


主催者挨拶

E一郎の選手宣誓

プレーボール

E一郎の第一投

E一郎の初球打ち

ナイススロー

好試合展開

円陣で気勢

緒戦勝利

 以下、バレエに関する記事については、都合により削除いたしました。悪しからずご了承下さい。
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写真で綴る西国三十三所巡り

2011-04-15 21:14:00 | レジャー
[第一番札所 那智山 青岸渡寺]

青岸渡寺へ続く四百数十段の石段

三重塔と那智の大滝

那智の大滝をバックに“同行十二人”

青岸渡寺本堂

同本堂にて般若心経を唱える一行


紀伊半島最南端の海岸に広がる奇岩群・橋杭岩

[第二番札所 紀三井山 金剛宝寺(紀三井寺)]

男厄除坂(42段) 還暦厄坂(60段)

桜に埋もれる金剛宝寺(紀三井寺)

金剛宝寺境内

平成20年に開眼された大千手十一面観世音菩薩

風光明媚な和歌浦を望む

[第三番札所 風猛山 粉河寺]


重厚な屋根の造りが威容を誇る粉河寺

同寺前にある桃山時代作の豪壮な枯山水庭園
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西国三十三所巡り元年

2011-04-12 13:00:00 | ビジネスと社会
 いよいよ明日13日~14日にかけて、旦那寺安養寺の総代研修の一環として西国第一番青岸渡寺、同第二番金剛宝寺、同第三番粉河寺の三カ寺を参拝する。
 小欄「2010/8/20 西国三十三所巡り」で書いたように、総代会研修にあっては今年が記念すべき“西国三十三所巡り元年”となる。

 今回の霊場巡りに備えて納経帳を求めた。隔年開催の総代研修では「三十三所を打つ」のはちょっと気の長い話でましょくにあわないので、並行して満願成就に向け、個人的にも挑戦しようと思っている。東日本大震災から1カ月を経て、いまなお強い余震が頻発する事態の一刻も早い収束と、人心に安寧の訪れることを祈りつつ・・・。
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「善悪」と「好き嫌い」

2011-04-11 11:13:00 | ビジネスと社会


 冒頭の写真は、先の花まつりに参拝した際、余興のクジ引きで当選した賞品である柳川和尚の色紙に認められた一言であるが、私の悪癖を見事に見透かされており、示唆に富んだお言葉としっかり受け止めた。

 私は若い頃から「好き嫌い」がはっきりしており、そのこと自体は一概に悪いことでもないのだが、こと対人関係においては災いすることが多い。
 ひとたび嫌な面を見つけるとトコトン嫌いになってしまう。テレビを見ていても不快なシーンや嫌いなタレントが出ると、消音したりチャンネルを頻繁に切り替えるので、さぞや周りの者は落ち着かないことだろう。

 家内からは「人間誰しも善悪両面を持ち合わせている。お父さんのように悪い面ばかりにとらわれると友達が居なくなる(孤立していく)よ」と注意を受けている。

 「善悪」と「好き嫌い」は別問題ではあるが、私にこのままの状態が続けば、狭くて閉鎖的な人間関係しか築けなくなってしまうことは確かだ。ひとまず善悪、好き嫌いの判断を脇に置き、人の多様性を楽しむゆとりが生まれれば、人間関係を楽にすることができるのだが。
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わが父が二人

2011-04-10 19:54:00 | ファミリー
 統一地方選前半戦となる県議選と岡山市議選の投票日である10日、社会勉強の一助になればとの思いから、小学4年生に進級した孫娘を同行させ、道々選挙の意義など話して聞かせた。
 私たちの夢と希望を実現してくれそうな意中の候補者(政党ではなく個人)に1票を投じた。投票所の外ではNHKによる出口調査が待ち受けていた。

 その足で墓参りに。奇しくも今日は親父の祥月命日にあたるのだが、24日の母の3回忌に先駆けてお彼岸に墓掃除を済ませてあるので、今日は清掃の手間もなくお参りだけ。

 週刊誌の鬼と名を馳せた扇谷正造氏の祥月命日が、親父と同じにあたり1年前後しているだけ。さらに生年月日まで似通っており、扇谷氏は1913年3月28日、父は1918年3月30日である。
 同時代を生きられた扇谷氏を、“わが父・わが師”と仰ぎ、私淑していた。思いつくだけでも手元に「この後に続く者へ」(1972.1.31)、「自分の顔に責任を持て」(1973.1.25)、「一冊の本」(1976.4.20)、「一通の手紙」(1978.4.25)、「人生、わが師わが出会い」(1984.4.25)などの著書がある。
 宮城県出身だった泉下の扇谷氏、今どんな思いで眠っておられるか心中察するに余りある。

 予定にはなかったのだが、絶好のお花見日和なので、途中で弁当を求め、桃太郎伝説のモデルなどで知られる、かの吉備津神社へ花見に足を延ばした。境内ではあちこちの満開の桜の下で、弁当を広げる家族連れやグループで賑わっていた。
 吉備津神社の本殿と南の本宮社や御釜殿をつなぐ長い回廊はつとに有名だが、こうしてじっくり散策するのは初めて。
 界隈には鬼退治の神話に所縁ある遺跡や神社が、今でも数多く残されており、大いにロマンと冒険心を掻き立てられた。


境内の神池と宇賀神社

吉備津神社の回廊

吉備津神社の回廊から境内を望む

吉備津神社の回廊

吉備津神社の回廊

本殿
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