てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

わが父が二人

2011-04-10 19:54:00 | ファミリー
 統一地方選前半戦となる県議選と岡山市議選の投票日である10日、社会勉強の一助になればとの思いから、小学4年生に進級した孫娘を同行させ、道々選挙の意義など話して聞かせた。
 私たちの夢と希望を実現してくれそうな意中の候補者(政党ではなく個人)に1票を投じた。投票所の外ではNHKによる出口調査が待ち受けていた。

 その足で墓参りに。奇しくも今日は親父の祥月命日にあたるのだが、24日の母の3回忌に先駆けてお彼岸に墓掃除を済ませてあるので、今日は清掃の手間もなくお参りだけ。

 週刊誌の鬼と名を馳せた扇谷正造氏の祥月命日が、親父と同じにあたり1年前後しているだけ。さらに生年月日まで似通っており、扇谷氏は1913年3月28日、父は1918年3月30日である。
 同時代を生きられた扇谷氏を、“わが父・わが師”と仰ぎ、私淑していた。思いつくだけでも手元に「この後に続く者へ」(1972.1.31)、「自分の顔に責任を持て」(1973.1.25)、「一冊の本」(1976.4.20)、「一通の手紙」(1978.4.25)、「人生、わが師わが出会い」(1984.4.25)などの著書がある。
 宮城県出身だった泉下の扇谷氏、今どんな思いで眠っておられるか心中察するに余りある。

 予定にはなかったのだが、絶好のお花見日和なので、途中で弁当を求め、桃太郎伝説のモデルなどで知られる、かの吉備津神社へ花見に足を延ばした。境内ではあちこちの満開の桜の下で、弁当を広げる家族連れやグループで賑わっていた。
 吉備津神社の本殿と南の本宮社や御釜殿をつなぐ長い回廊はつとに有名だが、こうしてじっくり散策するのは初めて。
 界隈には鬼退治の神話に所縁ある遺跡や神社が、今でも数多く残されており、大いにロマンと冒険心を掻き立てられた。


境内の神池と宇賀神社

吉備津神社の回廊

吉備津神社の回廊から境内を望む

吉備津神社の回廊

吉備津神社の回廊

本殿
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする