どうも好きになれない昼メロだが、唯一例外がある。大学1回生の夏休み頃のこと、配役もドラマの筋も全て忘却の彼方だが、マヒナスターズの甘い歌声と共に、夢中になった46年ほど前のことを懐かしく思い出す。
何分大昔のこと故、辛うじて憶えていた歌詞の出だしをヒントにヤフると、梶山季之原作のテレビドラマ「女の斜塔」で、主題歌はマヒナの「
愛してはいけない」であると判明した。親の目を盗んでは、テレビの前で15分間、胸が高鳴るのを覚えたものだ。
ところで、昼メロの「メロ」とは、「メロメロになる」 から 「メロ」かと思っていた(笑)というのはジョークで、「お昼のメロドラマ」の短縮形であると容易に想像がつく。
ちなみに辞書を引くと、"melodrama" はれっきとした英語で、「感傷的な通俗劇」とある。語源はフランス語で、「音楽劇」という意味だそうだ。
さらに「昼メロ」 は "soap opera" という。1920年代の米国のラジオの昼メロで、せっけん会社がスポンサーになるケースが多かったので、こう呼ばれるようになったとか。
話を元に戻そう。『女の斜塔』のあとがきで、ベストセラー作家の梶山氏は次のように述べている。興味深い話なので、少し長くなるがご紹介する。
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女の斜塔
『女の斜塔』は、女性雑誌の創刊号から、とにかくヒットするものを……と云うことで、執筆した連載小説です。私は、全国の貸本屋に、人を派遣して、どう云うメロドラマが一番うけているか、と云うことを調査しました。そのうち、ベスト・テンを撰んで、ストーリーを検討し、その結果、下した私の結論は次のようなものでした。
一、相変らず、勧善懲悪ものが、栄えていること。
二、近親相姦に近いものが、読者の興味を呼んでいること。
三、虐げられた主人公が、復讐すると云うテーマが喜ばれていること。
以上の三つです。
私は、それで若い女性読者に集って頂き、マーケッティング・リサーチを試みました。すると、主人公の職業は、ジャンパーを着たインテリ、平凡なサラリーマンではなくて創作的な仕事に従事する男性……と云う回答が出たのです。
私は、躊躇することなく、主人公の職業を建築デザイナーに決めました。これが決定すると、あとは一瀉千里です。この小説は、大いにヒットし、テレビの連続ドラマとして、視聴率をあげました。それは、私の筆の力ではなく、読者がなにを望んでいるかを事前に調査し、それにあて嵌めて書いたからに他ありません。
いままで、日本の作家は、こうした読者の趣旨を調査せず、――俺の書くものは芸術だ。それが判らないのは、お前たちの頭が悪いんだ……。と云った、一方的、かつ高飛車な態度で、執筆して来たように思われます。しかし、私に云わせれば、明治時代ならイザ知らず、今日に於いては、文学は芸術ではありません。文学の世界で、芸術として残るものがあるとすれば、詩と、随筆ぐらいなものでしょう。
何人をも感動させるものが、芸術なのです。売文業者(原稿を売って、生活している人たちの意味です)が、なにを今更、芸術家ぶるのでしょうか。他人のために書くか、自己のために書くかと云う違いがあるだけで、通俗小説も、純文学も、へったくれもありません。あるのは、良い小説と悪い小説、面白い小説と、そうでない小説との区別だけです。少なくとも、私は、そう思っています。
キリストは、九十九匹の小羊よりも、一匹の迷える羊を救え……と云ったそうですが、私は大局的に見たら、小の虫を殺しても、大の虫を生かす方が、人類の方向としては正しいと思うのです。かなり抵抗のある言葉と思いますが、生きていく上には、決して無意味なことではありません。どうか、心に留め置いて頂きたいと思います。
一九七二年九月十日 伊豆・遊虻庵にて