相対式ホーム2面2線を備える地平駅です。各停と準急が停車します。 乗降客は16855人(2017人)。
改札口は下り線側にあり、上りホームとの間は地下道で連絡しています。写真は下りホームからの降り口。
下り線側に引き込み線の跡があります。
上り線の先にホームを撤去した跡があります。現在、各停は6両で運行していますので、不要な分を撤去したのではないかと考えられます。下り線側のホームも一部は利用されていません。
〈この駅どこでしょう?〉
駅北の線路をくぐる通路には一車線分だけ煉瓦積みの橋梁があります。
〈画面をクリックするとイギリス式の煉瓦積みが見れます〉
明治31年(1898)1月31日南海高野線の前身、高野鉄道が大小路駅(現堺東駅) ~狭山駅間を最初に開業した時に、「西村」駅として開業しました。
この橋梁はその時の煉瓦積みのもので、貴重なものです。すでに121年の歳月が流れています。
改札を出て、すぐ大きな通りに出遭います。
ここは昔、富田林街道(府道35号)と呼ばれ、堺市から富田林市を経由して、水越峠を越え奈良県御所市を結ぶ重要な街道でした。わが富田林市のじないまちエリアを通ります。
駅からさらにまっすぐ行くと、500m程で、道の真ん中に小山のような、円墳のような...
これは現在の南海電気鉄道の前身、南海鉄道が昭和9年(1934)直営の住宅経営を企画し、4万2千坪の宅地開発をした時のロータリー式の道路区画です。
当時、大阪の7電鉄会社のうち直営で住宅開発をしていなかったのは南海だけでしたが、満を持して一戸建ての住宅地『初芝』を売り出しました。
この時期、多くの電鉄会社が豊かな自然環境に恵まれた都市開発として一戸建住宅の宅地開発に乗り出しています。
一区画70坪以上の宅地販売は昭和10年(1935)5月15日から一カ月の予定で始まりましたが、売れ行き好調で期間半ばで完売したそうです。
垣根や木立がさわやかな「田園都市」、初芝住宅地(堺市東区日置荘西町)
この新住宅地を大々的に売り出すためには、PRとイメージチェンジが必要であったことから、駅名を「西村」駅から新しい駅名を社内募集し、貨物の車掌さんが考えた「初芝」駅(昭和10年(1935)8月1日より)が選ばれました。
駅構内の地下道の横の自由通路
昭和10年(1935)8月1日に、 初芝駅に改称した時に、急行停車駅となりました。下りホームを島式2線にし、駅舎、改札をホームの難波側の端に移設、改札と両ホームを地下道で結び、地下道の一部を金網で仕切って自由通路にしたのがこれです。残念ながら戦後の昭和43年(1968) 急行停車駅から、各停・準急停車駅になりましたが、その時の駅前の噴水は今も小さなロータリーとして健在です。
撮影日:2019年5月23日&8月22日
事前に写真を撮って、館内学習で作りました。
2019年8月27日 ( 2019年度富田林百景+ 板谷 武史&林 保夫 )
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