〈リバイバル・アーカイブス〉2024.7.15~7.29
原本:2023年7月19日
2023年度 第3回(通14)「ええとこ富田林」まち巡り「夏越大祓(なごしのおおはらえ)とすだれ博物館」
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2 まち巡りご案内 - まち巡りのご案内 (jimdofree.com)
一番後ろに、ルート・行程表・解説があります。
2023年7月14日 8:51 喜志駅東ロータリー 9時集合を待つスタッフ。
早い方は30分前に来られています。
2班に別れて出発します。
参加者は17名、スタッフ5名、応援スタッフ(富田林百景より)3名、計25名でのまち巡りです。
こちらは早く来られた方の1班。
まず美具久留御魂神社(喜志の宮)に向かいます。晴天には恵まれましたが、すごく暑い日でした。
きょうはショートコースで、お昼ごろに解散します。
途中、巡礼街道に沿って宮町北の地蔵堂。
富田林の民話にも登場する「子連れ地蔵」として親しまれています。
程なく美具久留御魂神社へ。歴史は古く延喜式に記載された式内社で河内二ノ宮。中世は下水分社と呼ばれていました。
美具久留御魂神社では夏越大祓(なごしのおおはらえ)に執り行われる「茅の輪くぐり」があす7/15~17の間行なわれます。
ちょうどお正月から半年過ぎて、今年半年間の罪穢れを祓い、夏の疫病退散・無病息災を願う昔から伝わる神事です。
まだ枠しかできあがっていませんでした。きょうの午後から氏子さんらが作るそうです。残念!
宮司さん先頭にこのように執り行われます。(以前に撮影した写真)
枠だけでもいいから、とりあえず茅の輪くぐり。
この後、下拝殿右脇の富田林市の指定文化財「朝鮮通信使の絵馬」を見学。
元禄八年(1695)の絵馬で、天和2年(1682)に友好親善使節として、李氏朝鮮から日本へ派遣された第7回朝鮮通信使の船旅の様子をえがいたもののようです。
3隻ずつ並んだ淀川をさかのぼる川御座船が上下2段に描かれています。そして喜志櫻井村11名の名前が連記されています。当時の通信使の様子がわかる貴重な絵馬です。
「あっ!」と驚く道路標識。こんな標識あったっけ?
さらに南へ、富田林方面に向かいます。深溝(ふこうど)井路とともに巡礼街道を進みます。
まもなく、すだれ博物館に到着します。これは後発 2班のメンバー。
喜志の宮から30分ほどですだれ博物館に到着。午前中と言えども日差しがきつく、すごく暑い中でのまち歩きでした。
館内ではまず杉多製簾社長の杉多氏のお話とビデオを見せていただきました。
杉多製簾さんは現在羽曳野丘陵の所有する真竹の竹藪を使われているそうです。
そして解説はじないまちサポーターの森口氏が担当されました。森口氏は大阪府の伝統工芸品に造けいが深く、富田林市の文化財行政にも深く係わられた方です。
金剛簾(すだれ)と呼ばれる地元の真竹を原料にし、行程を竹を割る作業からすべて手作りで作られたすだれ。
節を合わせた部分が1本の竹で作られています。節の長さが1本1本の竹で違うため節目を揃えてあります。
簾ひとつで十数本の竹が使われているそうです。1本作るのにも大変な作業ですね。
「新堂籠(かご)」と総称される籠や簾などの竹細工。富田林市の伝統工芸品です。
江戸時代から造られ、新堂地区(現若松町)では江戸後期には80人も竹細工職人がいたことが村明細帳で解ります。
現在ではおもに作られているのが杉多製簾さんを含め2軒、家内工業を含め5軒程度だそうです。
さらに「とんだばやし寺内町」の東高野街道からの北の入口、一里山口に到着。
ここには江戸時代に一里塚や高札場がありました。
とんだばやし寺内町を散策。
じないまち交流館で水分補給。アンケートを書いていただきました。このあと富田林駅へ向かわれる方、じないまちを散策される方、直接帰路に着かれる方に別れて解散いたしました。
マップ〈画面をクリックすると拡大します〉
行程表〈画面をクリックすると拡大します〉
説明1〈画面をクリックすると拡大します〉
説明2〈画面をクリックすると拡大します〉
富田林百景からは3名の方が応援スタッフ(写真係・安全管理)を引き受けてくれました。
次回以降も富田林のまち巡りをしますので、よかったら申し込んでくださいね。
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写真撮影:2023年7月14日
2023年7月21日 HN:アブラコウモリH
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