フクロウは古代から森の賢者などと称され、「智恵」の象徴として知られている鳥です。ちなみにフクロウとミミズクの違いは何かというと、フクロウの中で頭の両端の羽根がちょうどそこに耳があるようになっている鳥のことを、大雑把にそう呼んでいるのだそうです。
で、昨日の夕方ニュ-スから聞こえてきたのをたまたま耳で拾ったのですが、昨年暮れからでしたか上映中の「レ・ミゼラブル」が、国内で、ミュ-ジカルとしては歴代最高の興行収入を上げているというのです。
観客の声では、この作品は登場人物、特に主人公のこころの動きについていける、感情移入しやすいからだそうです。その理由はといって、キャスタ-は作品の制作方法の特徴を紹介しました。従来のミュ-ジカル作品は、歌(音楽)を先に収録しておくのだが、この作品では、役者たちは舞台でのようにカメラの前で実際に歌って演じているとのこと。だからその分、演じる側も豊かな役作りができるのでしょう。
フランスの同名の文学作品のミュ-ジカル化(の映画化)ですが、これを観ると、フランス革命のスピリットをよく知っていないと、本当にユ-ゴ-が描きたかったことはきっとわからないのかもと感じたりもします。外国文学の味わい方の限界というものかも知れません。
「知る」というのは、知識として知っているというのではなく、それこそその歴史の中に感情移入できるぐらい、その重さが体の中で振動するぐらい、です。それは北米の南北戦争(最近の作品では『リンカ-ン』)も中国やロシアの革命も同じでしょうし、その他にも世界のあちこちで現代に至るまで起こったあらゆる歴史的出来事について、同じことが言えます。
最終的には自国の歴史的出来事においても、本当に「知って」いると言えるまでその中に身を置くために、まずは知識として出来事を知り、その背後にあ、る人の思いや悲哀の紐を少しずつ解いていくと、文学や映画がよくわかるというだけでなく、自分自身を震撼させるほど変えてくれる大きな何かに出会えるかも知れません。
そんな知識こそフクロウならぬ神さまにお願いしたいものです。