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八ヶ岳は遠い眼差しで

2013-02-08 10:34:00 | ホームページ関係
長野県の南東一帯に広がる八ヶ岳という山々は、東京からでも八王子あたりから遠くに望めるぐらい、勇壮にそびえています。

この写真は以前茅野で静修したときに撮影したものです。あまりにも遠く、広く、冬山が矜持(きょうじ)を持って立っていました。圧倒されて、不思議な戦慄を感じるような気さえしました。畏敬を感じました。







かつて押田茂人という(たしか)ドミニコ会の司祭が、自給自足の生活を始めながら、研ぎ澄まされた霊的感性の中からいくつかの本を書かれました。その中に「遠いまなざし」という話がありました。





ずいぶん昔のことですが、修道会の研修で、押田神父が直々に指導してくださったことを覚えています。参加者全員を庭の真ん中に立たせて、庭の端っこに見える木や石を視界に入れながらも、そのあたり全体をこころの視野で捉えなさいという、体験学習的な時間さえありました。

個人的に上手く観られたかどうかはわかりませんが、とにかく「遠いまなざし」で神や物事を観ることがとても大切なんだというのは、若かったなりに、ぼんやりわかったような気がしました。



近くばかりを見ていては霊的近視になるということですね。遠くにある景色を全体的に捉え、同時に一つひとつ注意深く観る、そんな眼差しをいただきたいと、日々祈り求めたいものです。そんな理想的なものがほんとに与えられるかどうかは別として、祈り求めるという姿勢を続けることが大切なんでしょうね。



ところで押田神父には個人的に面白い思い出を持っています。

何泊かの研修会でしたから、当然ミサもあります。オルガニストをしていたわたしは、典礼の打ち合わせのために毎日一対一で話す機会がありました。

ある日何かの拍子に、修道院の建物の歴史に触れることがありました。旧日本陸軍の師団司令部の跡地を譲り受けた敷地です。特に聖堂のある建物は、当時の姿をかなり多く残していました。

建物の奥に隣接するかたちで(戦前の時代の)天皇専用のお手洗いの建物が残っていますと言うと、「なに、天皇の便所だと!?」と、そりゃぜひ見に行かなくてはということになったようです。物置になっていた小さな小屋まで覗きに行かれた押田神父、後で何度も講話の中でその話をされていました。

「真面目に典礼の話をしているのかと思っていたら、一体何をしゃべってるの!」と、みんなに言われてしまいました( ^o^)

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Yatsugatake Mountains in winter, Nagano