楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

原点に戻って…

2013-02-16 20:13:00 | Sisterのねごと


映画『麒麟の翼』で全ての謎を解く鍵となった日本橋の麒麟象。実際、ここから日本中のあらゆる道路は始まっています。この話は(映画についてではなくて日本橋の起点のこと)昨年のブログ、10月24日の「わたしの起点、見えてます?」に書きました。気に入っている場所の一つです。

灰の水曜日を終えて教会の典礼は四旬節に入ります。明日は四旬節第一主日。何気なく生きている毎日の中で、神さまがどのような回心へと導いてくださるのか、日々祈りのうちに心の耳を開いていたいですね。

回心…それは“わたし”の原点、起点に立ち戻って再出発をするチャンスです。神さまの招きに答えて立ち戻れるように、お互い、祈りのうちに助け合っていきましょう。

ヌヴェールを流れるロワール河

2013-02-14 20:55:00 | Sisterのねごと


この写真は、ヌヴェール(フランス)を流れるロワール河です。

ホームページに書いているように、2月はベルナデッタの“出来事”が始まった月として知られています。2月11日「病者の日」「ルルドの聖母の記念日」、そして18日は「ベルナデッタの記念日」として、カトリック教会では、毎年祝われています。

ヌヴェールで生涯の後半部分を過ごしたベルナデッタですが、ゆったりと流れるこの河を眺めに外に出られたかどうか…わかりません。

大陸性気候なので、内陸部にあるヌヴェールは、冬場はとても寒いです。寒冷地での生活体験がなかったわたしは、ヌヴェールで初めてマイナス十何度という数字を聞いたとき、(あまりの寒さで)耳や鼻がなくなってしまったような感覚でした。

八ヶ岳は遠い眼差しで

2013-02-08 10:34:00 | ホームページ関係
長野県の南東一帯に広がる八ヶ岳という山々は、東京からでも八王子あたりから遠くに望めるぐらい、勇壮にそびえています。

この写真は以前茅野で静修したときに撮影したものです。あまりにも遠く、広く、冬山が矜持(きょうじ)を持って立っていました。圧倒されて、不思議な戦慄を感じるような気さえしました。畏敬を感じました。







かつて押田茂人という(たしか)ドミニコ会の司祭が、自給自足の生活を始めながら、研ぎ澄まされた霊的感性の中からいくつかの本を書かれました。その中に「遠いまなざし」という話がありました。





ずいぶん昔のことですが、修道会の研修で、押田神父が直々に指導してくださったことを覚えています。参加者全員を庭の真ん中に立たせて、庭の端っこに見える木や石を視界に入れながらも、そのあたり全体をこころの視野で捉えなさいという、体験学習的な時間さえありました。

個人的に上手く観られたかどうかはわかりませんが、とにかく「遠いまなざし」で神や物事を観ることがとても大切なんだというのは、若かったなりに、ぼんやりわかったような気がしました。



近くばかりを見ていては霊的近視になるということですね。遠くにある景色を全体的に捉え、同時に一つひとつ注意深く観る、そんな眼差しをいただきたいと、日々祈り求めたいものです。そんな理想的なものがほんとに与えられるかどうかは別として、祈り求めるという姿勢を続けることが大切なんでしょうね。



ところで押田神父には個人的に面白い思い出を持っています。

何泊かの研修会でしたから、当然ミサもあります。オルガニストをしていたわたしは、典礼の打ち合わせのために毎日一対一で話す機会がありました。

ある日何かの拍子に、修道院の建物の歴史に触れることがありました。旧日本陸軍の師団司令部の跡地を譲り受けた敷地です。特に聖堂のある建物は、当時の姿をかなり多く残していました。

建物の奥に隣接するかたちで(戦前の時代の)天皇専用のお手洗いの建物が残っていますと言うと、「なに、天皇の便所だと!?」と、そりゃぜひ見に行かなくてはということになったようです。物置になっていた小さな小屋まで覗きに行かれた押田神父、後で何度も講話の中でその話をされていました。

「真面目に典礼の話をしているのかと思っていたら、一体何をしゃべってるの!」と、みんなに言われてしまいました( ^o^)

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Yatsugatake Mountains in winter, Nagano

感情移入と映画

2013-02-05 09:19:00 | Sisterのねごと


フクロウは古代から森の賢者などと称され、「智恵」の象徴として知られている鳥です。ちなみにフクロウとミミズクの違いは何かというと、フクロウの中で頭の両端の羽根がちょうどそこに耳があるようになっている鳥のことを、大雑把にそう呼んでいるのだそうです。

で、昨日の夕方ニュ-スから聞こえてきたのをたまたま耳で拾ったのですが、昨年暮れからでしたか上映中の「レ・ミゼラブル」が、国内で、ミュ-ジカルとしては歴代最高の興行収入を上げているというのです。

観客の声では、この作品は登場人物、特に主人公のこころの動きについていける、感情移入しやすいからだそうです。その理由はといって、キャスタ-は作品の制作方法の特徴を紹介しました。従来のミュ-ジカル作品は、歌(音楽)を先に収録しておくのだが、この作品では、役者たちは舞台でのようにカメラの前で実際に歌って演じているとのこと。だからその分、演じる側も豊かな役作りができるのでしょう。

フランスの同名の文学作品のミュ-ジカル化(の映画化)ですが、これを観ると、フランス革命のスピリットをよく知っていないと、本当にユ-ゴ-が描きたかったことはきっとわからないのかもと感じたりもします。外国文学の味わい方の限界というものかも知れません。

「知る」というのは、知識として知っているというのではなく、それこそその歴史の中に感情移入できるぐらい、その重さが体の中で振動するぐらい、です。それは北米の南北戦争(最近の作品では『リンカ-ン』)も中国やロシアの革命も同じでしょうし、その他にも世界のあちこちで現代に至るまで起こったあらゆる歴史的出来事について、同じことが言えます。

最終的には自国の歴史的出来事においても、本当に「知って」いると言えるまでその中に身を置くために、まずは知識として出来事を知り、その背後にあ、る人の思いや悲哀の紐を少しずつ解いていくと、文学や映画がよくわかるというだけでなく、自分自身を震撼させるほど変えてくれる大きな何かに出会えるかも知れません。

そんな知識こそフクロウならぬ神さまにお願いしたいものです。

こころの操舵室の中は

2013-02-02 12:25:00 | Sisterのねごと
南極観測船「しらせ」の艦橋、ブリッジの中です。一般公開の日に乗船させてもらったので、中で計器に見入っているのはほぼ全員見学者です。ハイテクそのものです。



かつては操舵室というのか、船の舵取りをするための比較的小さなスペースでした。映画『タイタニック』で、お髭の艦長が、激しく浸水している操舵室に最後に入っていく場面がありましたね。
宇宙戦艦ヤマトの艦橋の光景を思い出す人もあるかも知れません。



こちらは「知らせ」のずっと前の「宗谷」という南極観測船の舵輪です。ずいぶんシンプルです。昭和11年に進水した当時最新の砕氷船で、軍艦、巡視船、そして南極観測船と、日本の近現代史に関わる三つの使命を果たしてきた艦船です。今は引退していますけれど。



自分の中にあるブリッジはどんな装備なのか、時々想像してみます。かなりハイテクになっていて、かえって機械の目を通してしか進路が見えてないということがあるかも知れません。聖霊の導きがよく見えるように、手元で操作するものはできるだけ少ない方がいいのでしょうね。計器を凝視しなくてもいいように…人智を越えるところで導いてくださる聖霊に信頼をおきながら。