冬になっても実を付けたままの柿の木を、昨年暮れに見かけました。小鳥が飛んできては、楽しそうに実をつついていきました。神さまは冬になっても小鳥たちが困らないように、こんな配慮をなさっているのですね。
その無償の愛を世に伝えるために招かれているはずのわたしたち、今日食べるものがない人、今晩暖をとる場所がない人、このひととき傍らにいてくれる人がいない人に、アリとキリギリスの物語のように「あなたはするべき時にちゃんとしていなかったでしょう」と言えますか。わたしはとても言えません…
振り返れば自分も、意味は違ってもこころが飢え、渇き、寒さを忍んでいたときに、神さまが愛で包んでくださったからです。
今この時も食物と愛に飢え、寒さに震える人々のことを、せめて忘れないでいたいです。
本来なら、外で震えている人のことを考えれば、今すぐにでも炊き出しをしている場所に行って手伝ったり、どこかの施設で温かい食事と寝場所が与えられないか調べたりということも可能です。
でも住んでる場所や、年齢や健康状態や、家庭の事情や、その人のしていることとの関係などで、皆が皆そのようには出来ないものです。だからこそ、せめて、尊厳ある人間の一人として認め、「忘れない」という一番大事なことを、しないといけないように思います。
毎度ながら偉そうなことを書いていますが、わたしもこうして皆さまと思いを分かち合うことによって、自らを励まし、怠慢になりそうなこころ、易きへと流れそうになるこころを、本来あるべき位置に、つまり神さまの愛と光の中に、引きずり戻しているのです。
そんな願いのうちに。