楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

冷え込む今宵、忘れたくない人々

2014-01-11 21:08:00 | Sisterのねごと


冬になっても実を付けたままの柿の木を、昨年暮れに見かけました。小鳥が飛んできては、楽しそうに実をつついていきました。神さまは冬になっても小鳥たちが困らないように、こんな配慮をなさっているのですね。

その無償の愛を世に伝えるために招かれているはずのわたしたち、今日食べるものがない人、今晩暖をとる場所がない人、このひととき傍らにいてくれる人がいない人に、アリとキリギリスの物語のように「あなたはするべき時にちゃんとしていなかったでしょう」と言えますか。わたしはとても言えません… 



振り返れば自分も、意味は違ってもこころが飢え、渇き、寒さを忍んでいたときに、神さまが愛で包んでくださったからです。

今この時も食物と愛に飢え、寒さに震える人々のことを、せめて忘れないでいたいです。



本来なら、外で震えている人のことを考えれば、今すぐにでも炊き出しをしている場所に行って手伝ったり、どこかの施設で温かい食事と寝場所が与えられないか調べたりということも可能です。

でも住んでる場所や、年齢や健康状態や、家庭の事情や、その人のしていることとの関係などで、皆が皆そのようには出来ないものです。だからこそ、せめて、尊厳ある人間の一人として認め、「忘れない」という一番大事なことを、しないといけないように思います。

毎度ながら偉そうなことを書いていますが、わたしもこうして皆さまと思いを分かち合うことによって、自らを励まし、怠慢になりそうなこころ、易きへと流れそうになるこころを、本来あるべき位置に、つまり神さまの愛と光の中に、引きずり戻しているのです。

そんな願いのうちに。

人生の舵輪

2014-01-08 13:07:00 | Sisterのねごと


東京・お台場の船の科学館に宗谷(そうや)という船があります。

ご存じの方もあるかと思いますが、日本が南極観測を始めた当初から極地観測船として活躍した船です。

もともと探検や調査のために建造された船ではなく、貨物や軍関連の仕事を長年した後、平和な国として復興した日本の新しい挑戦に参加したのは、船の歳としてはかなり高齢になってからのようでした。

砕氷能力ももとからあったわけでなく、新しいミッションのために改造されたと聞きました。

タローとジローという二頭のソリ引き犬が、観測隊の留守を果敢に耐えて奇跡的に生き残っていたという感動物語は、当時多くの人の涙を誘い、映画化もされました。

その時の感動をすべて静かに見ていた船の舵輪が、今でもそのままの姿を残しています。



あるとき、現役の南極観測船「しらせ」の中を見学する機会がありました。下の写真はその時撮影できたブリッジです。時代は大きく変わり、IT化されたハイテク砕氷船の中は、もう舵輪などないのです。




船体も機能も比較にならないほど。

あらためて宗谷を見て、こんな小さな船でよくもまあ南極海まで繰り返し航海したものです。日本の極地観測の初期、観測隊員の勇気にあらためて敬意を表します。

人の生き方だけは、今もいつもボタン一つのIT化は無理なようです( ^^)

「来て、見なさい」

2014-01-04 17:07:00 | Sisterのねごと


今日の福音で「来て、見なさい」と招かれるイエス。

「来なさい」と誘われても絶対に行っちゃいけませんという親の教育が最近は行き届いていて、幼い子どもたちも、そのあたりの危険は本能的に察知できるようになっているのかも知れません。犯罪から子どもたちを守るためにはとても有効です。

「来なさい」と誘われたら、イエス様の招きは魂に心地よいので、聖霊の招きに任せてついていきたいものです。

犯罪だと「来なさい、でも目隠ししますよ」でしょうが、福音の招きは「来なさい」のあとに「見なさい」が続きます。一緒に来たら、見えるでしょう。

キリスト者と名乗るわたしたちも、初めてイエス様に出会ったとき、こうして声をかけられたはずですね。その時についていって「見た」ことを、今では時々忘れてしまっている気がしますけれど。新しい年の初め、かつて「見た」ことを心に留めておけるように祈ります!!

元日の夜、平和を願って

2014-01-01 19:19:00 | Sisterのねごと
神の母聖マリアを祝う1月1日の夜、世界の平和を願い、特にこの祈りを唱えたいと思います。
アシジの製フランシスコの平和を求める祈りです。

新しい一年が、皆さまにとって、ご家族にとって、そしてわたしたちが生きる世界にとっても平和を希求する年となりますように!



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいあるところに、赦しを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように、
助け、導いてください。
神よ、わたしに
慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを 望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見出し
赦してこそゆるされ
死ぬことによってのみ永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。