アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

児童生徒はパシリに?教育の場に政治を?

2013年08月12日 | Weblog
 「勉強などで競い合っても、いざという時に助け合えるのが人間の素晴らしさ。政党ごとに手法は異なっても、国を良くしていくとの思いで一致できるはずだ」
 素晴らしい!これは日本の現役の政治家の主張。どなたの言葉だと思いますか?

 安倍さん?…安倍さんがこのような超理想的な言葉を発するはずがない。
 海江田さん?…確かに言いそうですが、違います。涙で言葉が詰まるし。
 共産党の人?…あ、あのね!助け合ったら万年野党ではなくなってしまうでしょう!

 このセリフの主の思い出話がなかなか感動的…
1958年に神奈川県青野原小学校で教壇に立った。
 担任したクラスに、足の不自由な子がいた。遠足は近所の山登り。「迷惑がかかるので行かせられない」という親を説得したのは級友たちだった。交代でおぶって登り切った…。 ね、いいお話しでしょ。

 このセリフの主は、その後山梨県の教員になりました。子どもは神奈川県も山梨県も同じ。純粋で、助け合いができます。
 そんな子ども達に、教組が支援する候補者の後援会入会カードを配る…これは良くないと思うが?担任は、入会カード5~10部ほど(い、1部じゃないのか?)を、児童の連絡帳に挟み、児童が保護者に渡す。部数が多いのは、親戚や知人用。親が、頼み込んで名前や住所、連絡先を記入してもらい担任に提出していた。これって、児童をパシリとして利用したわけで…。
 ノルマが達成できない親には、教員が電話をかけて催促。子どもへの評価に影響があると脅迫する教員もいたんだと。まさに子どもを人質にして、保護者に投票と集票を命じる…。
 この話は、セリフの主がまさに活躍していた頃の話です。

 子どもを選挙のためというか政治活動の道具として使う人に、「…いざという時に助け合えるのが人間の素晴らしさ…国を良くしていくとの思いで一致できるはずだ」このセリフは言っていただきたくなかった。

 「国を良くしていく」と、言うのだからいいんじゃないかって?国を良くするのではなく、「自分たちだけを良くする」という意味でしょ!そんなことは許されません。
 助け合い?助け合いの意味が分かっていない。助け合いは、「親が、カードを親戚、近所に配って後援会に入会してもらう」ことではありません。

 セリフの主ですか?もうお解りの通りです。このたび某院副議長に就任された方。この方、「教育の政治的中立など、そんなものはありえない」とも発言されています。道理で、一部ですが学校内で政治活動が行われているはずだぁ!