「はだしのゲン」…きちんと最後まで読んで自分の考えを確立してから、「子どもに自由に閲覧させろ、あるいは、させるな」と、議論していただきたいもの。戦争反対なのか、「はだしのゲン」を利用しての左翼思想の浸透なのか…とにかく付和雷同はいけません。
松江市が「はだしのゲン」を、閉架式図書にしたのは評価できます(結局は、自由閲覧に戻ったのですがね)。(閉架式は)熟慮の末に踏み切ったわけで、第三者がどうのこうのという話ではない。全国から、「けしからん」と攻撃するのはお門違い。…靖国問題を批判する国々とダブります…。
「はだしのゲン」を読んで、原爆の恐ろしさに震え上がり、平和のありがたさを胸に刻んだ・・・原爆は恐ろしい、平和で良かった…このことには何ら問題ない。このあとの部分に問題があるから騒ぎになったわけです。
原爆投下直後の広島の惨状を描いた部分は、被爆の実相を伝える貴重な資料・・・この意見も悪くはない。ただ、マンガを、「貴重な資料」ってどういうことなのか?「資料」扱いは否定しないが、「貴重な」は、言い過ぎ。マンガを軽視するなって?軽視も蔑視もしておりません。「マンガに貴重な資料の責務を負わせる」…このことのおかしさに気づいてほしいのです。
全国の学校図書館に置かれ、平和教育の貴重な教材となってきた・・・また「貴重」…。平和教育を「はだしのゲン」で行っているとは!ほかには教材は無いのか?マインドコントロールされているとしか思えないが。
日本軍の加害行為や昭和天皇の戦争責任など、国民の間で論議の分かれるテーマについても、より大胆に踏み込んでいる。素晴らしいマンガだ・・・だんだん核心に近づいてきました。日本軍は、アジアの人々の首を切ったのか?「そんなことは断じて無かった」と証言している人たちは嘘つきなのか?悲惨な戦争を起したのは昭和天皇なのか?「(それらに触れている部分の)はだしのゲン」を信じていいのか?何が正しいか証明されていないことを、一方に与した意見を正しいかのように扱ってはいけません。まして、それを教材にしてきた…偏向教育でしょう。
(閉架式は)原爆や戦争を教育現場で学び、その悲惨さを知る機会を子供たちから奪うことになるのではないか・・・松江市は、児童生徒が自由に閲覧することには規制をくわえようとしました。しかし、教員が資料として活用することに何の妨害もしていません。どうぞ、授業で思う存分、原爆の悲惨さを知ってください。
子供の知る権利の侵害だ・・・出ました、知る権利!この手の問題になると必ず出てくるのが、「知る権利」「言論の自由」「表現の自由」…。なんでもかんでも、知らせればいいというもんじゃない。「残虐シーン」「性的描写」は、大人になってから見てもらえばいいんじゃないか。
「はだしのゲン」は、少年漫画雑誌(早い話がジャンプ)に連載されていました。ところが、一旦終了したあと、大人向けの雑誌への連載に変わったのです。
それは、「子ども向けにしては内容がまずいぞ」と、少年ジャンプが判断したからなのかって?そうだとしたら、子どもに自由に見せるのはけしからんということになるのですがね。少年ジャンプ連載を終了した「はだしのゲン」は、共産党関連の論壇誌(文化評論)で、さらにその後、日教組の機関誌(教育評論)で連載が継続されたのです。左派系市民誌「市民」にも。
「はだしのゲン」で、問題が多い後半部分は、左翼勢力と言おうか革新系と言おうか…が、寄り添いながら作り上げた。「寄り添う」という言葉が大好きな人たちがです。 アジアでの、「事実ではない日本軍の残虐行為」などは、「はだしのゲン」の作者(中沢啓治さん)本人の経験ではありえないわけです。連載に力を貸した勢力の言うことを信じて描いた…?中国各地にある抗日の虐殺記念館にある捏造のまる写しなんですけどね。捏造と断言できるのは、南京大紀念館(南京大虐殺記念館)で「日本軍に虐殺された幼児たち」と紹介された写真は、十数年前に展示をやめています。事実ではなかったからです(産経新聞が指摘してから写真を撤去)。
このように、話を突き詰めていくと怪物が洗い出されて来るのです。ですから、「はだしのゲン問題」は、大人がきちんと読んで、自分の意見を確立させておく。これが大切。
で、私としての最終結論は、「開架式でも大きな問題にならない」です。なぜかって?「はだしのゲン」を読了する子どもは極めて少ない。チョット読んで、すぐに飽きます。残虐シーンや性的描写まで読み進めませんから。少年ジャンプ連載分までなら、中道の人たちもとやかく言う理由がないしね。
松江市が「はだしのゲン」を、閉架式図書にしたのは評価できます(結局は、自由閲覧に戻ったのですがね)。(閉架式は)熟慮の末に踏み切ったわけで、第三者がどうのこうのという話ではない。全国から、「けしからん」と攻撃するのはお門違い。…靖国問題を批判する国々とダブります…。
「はだしのゲン」を読んで、原爆の恐ろしさに震え上がり、平和のありがたさを胸に刻んだ・・・原爆は恐ろしい、平和で良かった…このことには何ら問題ない。このあとの部分に問題があるから騒ぎになったわけです。
原爆投下直後の広島の惨状を描いた部分は、被爆の実相を伝える貴重な資料・・・この意見も悪くはない。ただ、マンガを、「貴重な資料」ってどういうことなのか?「資料」扱いは否定しないが、「貴重な」は、言い過ぎ。マンガを軽視するなって?軽視も蔑視もしておりません。「マンガに貴重な資料の責務を負わせる」…このことのおかしさに気づいてほしいのです。
全国の学校図書館に置かれ、平和教育の貴重な教材となってきた・・・また「貴重」…。平和教育を「はだしのゲン」で行っているとは!ほかには教材は無いのか?マインドコントロールされているとしか思えないが。
日本軍の加害行為や昭和天皇の戦争責任など、国民の間で論議の分かれるテーマについても、より大胆に踏み込んでいる。素晴らしいマンガだ・・・だんだん核心に近づいてきました。日本軍は、アジアの人々の首を切ったのか?「そんなことは断じて無かった」と証言している人たちは嘘つきなのか?悲惨な戦争を起したのは昭和天皇なのか?「(それらに触れている部分の)はだしのゲン」を信じていいのか?何が正しいか証明されていないことを、一方に与した意見を正しいかのように扱ってはいけません。まして、それを教材にしてきた…偏向教育でしょう。
(閉架式は)原爆や戦争を教育現場で学び、その悲惨さを知る機会を子供たちから奪うことになるのではないか・・・松江市は、児童生徒が自由に閲覧することには規制をくわえようとしました。しかし、教員が資料として活用することに何の妨害もしていません。どうぞ、授業で思う存分、原爆の悲惨さを知ってください。
子供の知る権利の侵害だ・・・出ました、知る権利!この手の問題になると必ず出てくるのが、「知る権利」「言論の自由」「表現の自由」…。なんでもかんでも、知らせればいいというもんじゃない。「残虐シーン」「性的描写」は、大人になってから見てもらえばいいんじゃないか。
「はだしのゲン」は、少年漫画雑誌(早い話がジャンプ)に連載されていました。ところが、一旦終了したあと、大人向けの雑誌への連載に変わったのです。
それは、「子ども向けにしては内容がまずいぞ」と、少年ジャンプが判断したからなのかって?そうだとしたら、子どもに自由に見せるのはけしからんということになるのですがね。少年ジャンプ連載を終了した「はだしのゲン」は、共産党関連の論壇誌(文化評論)で、さらにその後、日教組の機関誌(教育評論)で連載が継続されたのです。左派系市民誌「市民」にも。
「はだしのゲン」で、問題が多い後半部分は、左翼勢力と言おうか革新系と言おうか…が、寄り添いながら作り上げた。「寄り添う」という言葉が大好きな人たちがです。 アジアでの、「事実ではない日本軍の残虐行為」などは、「はだしのゲン」の作者(中沢啓治さん)本人の経験ではありえないわけです。連載に力を貸した勢力の言うことを信じて描いた…?中国各地にある抗日の虐殺記念館にある捏造のまる写しなんですけどね。捏造と断言できるのは、南京大紀念館(南京大虐殺記念館)で「日本軍に虐殺された幼児たち」と紹介された写真は、十数年前に展示をやめています。事実ではなかったからです(産経新聞が指摘してから写真を撤去)。
このように、話を突き詰めていくと怪物が洗い出されて来るのです。ですから、「はだしのゲン問題」は、大人がきちんと読んで、自分の意見を確立させておく。これが大切。
で、私としての最終結論は、「開架式でも大きな問題にならない」です。なぜかって?「はだしのゲン」を読了する子どもは極めて少ない。チョット読んで、すぐに飽きます。残虐シーンや性的描写まで読み進めませんから。少年ジャンプ連載分までなら、中道の人たちもとやかく言う理由がないしね。