アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ジョン万次郎が人権教室に登場!

2013年08月10日 | Weblog
 絵には自信があったのですが、「人物の動き」を描くことの難しさを味わっております。何を描いているか?実は、「いじめ対策の授業の教材」を自作しているのです。テーマは、「ジョン万次郎」。

 ジョン万次郎のお話しを、「絵に描く」→「デジカメで撮る」→「パワーポイントで教材に仕上げる」。絵は、30枚程度…下手です。あまりにも下手。漫画家の皆さんは「天才」だとつくづく思います。

 ジョン万次郎と「いじめ」をどう関連させるのかって?
 鳥島に漂着した万次郎達を、アメリカの捕鯨船、「ジョンハウランド号」が救出したのですが、乗組員の一人が、万次郎をいじめた…。人種の違い、文化・習慣の違い…全てがいじめの口実というか理由になった。ここで、「違いを知り認めよう」と、児童生徒に呼び掛けるわけです。「違いを知り認める」…いじめをする理由がなくなります。

 アメリカ東海岸のフェアヘーブンで、万次郎は学校へ通うのですが、そこでもいじめに遭いました。また、「男女が対等に会話する様子」に万次郎は腰が抜けるほど驚きました。万次郎が生まれた江戸時代初期は、男女が人前で話をすることなどありえなかったわけで、このあたりは、「男女差別」にかかわる教材になります。
 まだ奴隷解放前でしたから、万次郎は「奴隷」を見ているわけで、これも教材になる。万次郎は親代わりの、ホイットフィールド船長夫妻と、教会へも通いました。ところが人々の中には、「東洋の野蛮な国から来た黄色い猿」が、白人と同じ席でお祈りするのを嫌いました。黒人奴隷の席でお祈りするようにと言ったのです。これも、いじめにかかわる教材です。
 このように、ジョン万次郎には、「いじめを減らす授業」で使えることが満載なのです。

 あまりにも、絵を描くのが難しいので、万次郎の生涯を描かず、日本へ帰国したところで、めでたしめでたしにしようかなと思い始めております。

 帰国後の万次郎は、「日米和親条約」のときには、米国のスパイではないかと疑われ活躍できませんでした。そのあとは、咸臨丸で米国へ行ったりなどの活躍をしました。日米和親条約の通訳を万次郎が務めていたら…ペリーも、「どうして日本に、英語が堪能な人物がいるのか!?」と、ぶったまげたことでしょう。条約内容も間違いなく変わっていましたね。

 ペリーの逸話に、「日米和親条約の交渉にあたった幕府の役人一人一人の印象を米国人になぞらえた」というものがあります。

 日本側全権の林大学頭・・・くっくっく(←含み笑い)、こ、こやつは、ジョンソン上院議員に似てる。日本側全権は、ジョンソン。
 井戸対馬守・・・こやつは、ブキャナン(後に大統領になった)にソックリ!
 鵜殿長鋭・・・こやつ、郵政長官に似てる。

 その日の会議が終わったあとの米国側の話し合いが目に見えるようです。
 「郵政長官は石頭だね。だけどブキャナンは歩み寄りの姿勢を見せていた」
 「ジョンソンは我々の言いなりだから、郵政長官やブキャナンは気にしなくてもいいんじゃないか」

 ジョンソン、ブキャナン…頭がいいですよ、ペリーは。「はやしだいがくのかみ」「いどつしまのかみ」「うどのながとし」…どこまでが姓でどこが名前か?現代の日本人でも解らない。

 教材の絵の参考資料として集めたものに、万次郎が自ら描いた自画像がありました。なんと、写真で見る万次郎とは程遠い…ぶ厚い唇を持った大きな口。バカボンに出てくるすぐに発砲するおまわりさんのような目…とても日本人には見えません。長年米国で暮らすと、自分というものを分解して再構成するのでしょうか?その時パーツを取り違える…?

 ペルーは、松崎満太郎については、よく知る人物になぞらえなかった。なぜか?「美男子からほど遠かったため」というのが通説。も、もしかして、万次郎が松崎満太郎にすり替わって日米和親条約の交渉に参加していた?それはないかぁ。

 人権教室資料、「ジョン万次郎」。素晴らしいものができあがりますよ!た、たぶんですがね…。