小檜山 博(こひやま はく)という小説家がおられます。なぬ?「知らん?」って?人気作家ではないかもしれませんので、知らなくてもなんの問題もありません。私は、小檜山さんの講演会へ足を運んでおり、身近な作家の一人なんですがね。
北海道滝上町(たきのうえちょう)生まれ。83歳の現在もお元気。うらやましいです。「うらやましい」を英語で言えって?「I'm jealous!」。「back(裏)noisy(やましい)」ではありません。
「出刃(1976年)」が、第75回芥川賞候補となりました。
で、小檜山さん、私と同じ臭いがするのです。このたび目にした、小檜山さんのエッセイの一部…
北海道滝上町(たきのうえちょう)生まれ。83歳の現在もお元気。うらやましいです。「うらやましい」を英語で言えって?「I'm jealous!」。「back(裏)noisy(やましい)」ではありません。
「出刃(1976年)」が、第75回芥川賞候補となりました。
で、小檜山さん、私と同じ臭いがするのです。このたび目にした、小檜山さんのエッセイの一部…
マニラ市郊外…道路わきの椰子の木が並んでいる砂地に五十人ほどの路上生活者が暮らす横を通った。家族ごとに、木陰になる地面に段ボール紙や布を敷いて座ったり寝たりしていた。そばに煮炊きする焜炉(こんろ)や、鍋やバケツが置かれている。…新聞紙の上に座った三十代半ばの母親と七歳ぐらいの女の子が、地面に置いた一枚の皿から手づかみでご飯を食べていた。その母親がこっちを見、ぼくと目が合った。すると彼女はニコッと笑って手招きし、皿を指さして何か言った。…「クマインカナバー(こっちへきて一緒に食べよう」…ぼくは驚いた。一枚きりのさらにあるご飯は、そう多くはなかった…。ぼくは彼女に深く頭を下げて歩きだし、五歩ほど行ったとき、また七十歳くらいの男の路上生活者に「クマインカナバー?」と食事に誘われたのだ。老人の笑顔は明るかった…。
読みかえす度、涙がこみ上げてきます。この光景は、幼少時の私が体験したものと全く同じです。
食事時であるなしにかかわらず、友達のうちへ遊びに行くと、おばさん、おじさん、おじいさん、おばさんが、「ご飯食べたかぁ?」「マンマ食ったかぁ?」と声をかけてくれました。大人に対してもそうだったと思います。あの頃の日本、貧しかったですが、「国民が皆、お互いを思いやっていた素晴らしい時代だった」と、つくづく思います。
小檜山さんは、「一つの挨拶(マンマ食ったかぁ)で、相手の命を思いやる心」と。小檜山さん、私と同じ臭いがするのです。
なぬ?「それがどうした」って?
あ、あの頃の日本が懐かしいなあってこと。
食事時であるなしにかかわらず、友達のうちへ遊びに行くと、おばさん、おじさん、おじいさん、おばさんが、「ご飯食べたかぁ?」「マンマ食ったかぁ?」と声をかけてくれました。大人に対してもそうだったと思います。あの頃の日本、貧しかったですが、「国民が皆、お互いを思いやっていた素晴らしい時代だった」と、つくづく思います。
小檜山さんは、「一つの挨拶(マンマ食ったかぁ)で、相手の命を思いやる心」と。小檜山さん、私と同じ臭いがするのです。
なぬ?「それがどうした」って?
あ、あの頃の日本が懐かしいなあってこと。