アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

握力総裁、何を握り潰すか

2020年09月14日 | Weblog
  皇太子時代の現天皇陛下と、「昼食をともにした」という自慢話を書きました。そして、このたびは、「自由民主党総裁」と、親しく言葉を交わし、がっちり握手した経験があるという自慢話を書く機会に恵まれました。ホントホント、嘘を書いたところで、1円の得にも、ハナクソほどの名誉にもなりませんよってに。
 なぬ?「菅義偉(すがよしひで)さんと、どこで握手したか」って?2007年4月なんですがね。総務省が主催する「頑張る地方応援懇談会in***」という意見交換会がありましてね。当時総務大臣だった、菅義偉さんも出席しておられたのです。懇談会後、「やあやあ、アンティークマンさん、貴重なご意見をありがとう…」とは、言われませんでしたが、目でお互いを讃え合い(これは私の一方的な感じ方)、がっちり握手。
 そのときの握手の感触を今でも覚えているのです。私は、握手の場合、強めに握ります。で、菅義偉さんは、推定握力67kgで握り返してきたのです。大きな手でした。一瞬たじろいだ私は、さらに力を込め握り返しました。力比べとなり、しっかり目が合いました。大臣の手の骨を折っちゃいけないので、握力は69kgでやめときました。
 「この大臣、ただ者ではないな!」と、思いました。なぜか懐かしい、私と、同じ「におい」を感じました。とても他人とはおもえない…。なぬ?「最近、同じにおいの人がふえているんじゃないか」って?そ、そうかなあ?
 1948年の生まれ。昭和23年ですよ、同年代。終戦後の、それはそれは大変な時代でした。菅義偉さんは、「秋田県のイチゴ農家の長男」。高校卒業と同時に上京した。いわゆる、金のタマゴ。段ボール工場で入学資金をためて法政大に入学した。同じにおいの元は、ここですね。しかも、菅さん、法政大学の二部(夜間)なのです。これは、誰にでもできることではありません。空手部にも所属していた。大学1年生で2段を取得したという。これも、凄いワ!握力が強いはずです。
 なぬ?「同じにおいということはぁアンティークマンも、段ボール工場で働いて大学入学の資金をためたのか?大学は二部だったのか」って?そ、それはないのですが、私は、「自分の進路を自分で切り拓く人」を全面的に支持し、尊敬しますね。
 東洋大学第二部法学部卒業。…昼間働き、夕刻陸上部の練習に参加、夜間は講義に出席…このようにコツコツ努力し、箱根駅伝に出場した人もおります。現在は、社会人陸上の名門「スバル」で競技を続けています。「口町 亮 選手」。立派です。まだ、26歳、これからが楽しみです。
 「30mの箱根駅伝 ~27歳の給水係~」…私が制作した「人権啓発スライドショー」です。実話を物語風にしたもの。主人公の小盛玄佑さんは、世羅高校で都大路優勝のメンバー。順天堂大学で箱根駅伝出場を目指しましたが、故障があり選手になれなかった。4年生の箱根駅伝では、給水係として30mほど箱根を走った。これだけだと、自分の道を自分で切り拓いたようには見えません。小盛さんは、高校を卒業後5年間、日新製鋼で働き箱根駅伝出場の権利がある大学の学費を貯めた…。ただただ、頭が下がります。
 なぬ?「小盛さんは、現在何をしているか」って?自分の道を自分で切り拓く人ですから、自分の描いた青写真の通り、高校教師になっています。30歳です。勤務校は、大分県竹田市久住町の「久住高原農業高校」。もちろん、駅伝部顧問。目指すは、都大路。「久住高原農業高校」、応援してます。なお、小盛さん昨年暮れに結婚、姓を変更しています。
 さて、菅さん、377票という圧勝で、新総裁に。握力が強いので、まず新型コロナを握り潰して…と、思っていたら、「新型コロナ対策を最優先に」と就任の弁。握力では、新型コロナは怯まないでしょうけど、期待したいものです。