さざえ堂 設計者はダ・ヴィンチ
巻き貝の中へ入ったことってありますかねえ。らせん(螺旋)状に入っていくだろうって?まあそうなんですが、人が入ることが出来る巻き貝はないですが、巻き貝のような建築物ってあるんです。
形が、貝のさざえに似ているところから、建物の名前が「さざえ堂」。場所は、福島県の飯盛山。そうです。白虎隊士中二番隊自刃の地があるところです。観光客の多くは、「白虎隊」が目当て。山からの帰り道にある「さざえ堂」は、ともすれば看過されがち。しかし、白虎隊ではなく、さざえ堂目当てで飯盛山へ来る観光客もいるそうで…私も大変興味がありました。
さざえ堂は、江戸時代に建てられた仏堂。最大のポイントは、「昇降ともにらせん状の回廊で、同じ所を通らずに降りてくることができる構造」…入り口→らせん階段を登る→16mの高さ(3階)まで昇る→(一方通行で)昇りとは別のらせん階段で降りる→出口…。いわゆる、「二重らせん構造」を持つ建物。珍しいですよ、このような建物。
さざえ堂は、1796年に建立されたといわれる仏堂。会津の人々がはるばる「西国三十三箇所巡礼」に詣でなくても御利益が受けられるようにと建てられた。回廊に沿って西国三十三観音がまつってあった(廃仏毀釈で、取り払われた。今は、なにやら額がかざってあった。興味は、建物そのものなもので、額が何であったか記憶なし…)。
西国三十三箇所は、日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在でも多くの参拝者が訪れる。近畿2府4県と岐阜県にまたがる33か所の観音霊場の総称。「三十三」は、観音菩薩が衆生を救うとき、33の姿に変化するという信仰に由来する…「3」で「ウワオー!と叫ぶ芸人がいるが、観音菩薩の末裔と思われる。そんなはずないか?ナベアツが、観音菩薩の33変化を知っているとは思えない…?
「西国三十三箇所巡礼」踏破したいが…大変なんです。第一番から第三十三番までの巡礼道は約1,000km。四国八十八箇所の遍路道約1,400kmと比較すれば短いのですが、京都市内をのぞくと札所間の距離が長い!歩き巡礼は、無理ですねえ…そんなわけで逡巡しています。
さざえの殻の中へ侵入。築後210年を越えている。老朽化は当然だが、改修が行われているので、まだまだ大丈夫。上を歩いている人がいるらしく、「ギシギシ」と、きしむ音が聞こえる。床は階段ではなく、バリアフリーの板張り。すべり止めの細い板が20cm間隔で打ち付けられていた。楽々3階まで到着。最上階の天井を鑑賞して下り始める。確かに、人とすれ違うことがない。出口は、入り口の反対側だった。何とも、「不思議ではないのですが不思議」な体験をさせていただきました。
「さざえ堂」、知名度は低いです。国の重要文化財に指定されたのも、平成8年でしたから。しかし、建築関係者の間では、知らない人はもぐり。
一昨年、マガジンハウスの雑誌、「カーサ・ブルータス(主に建築やデザインの記事を載せている)」で、「建築家が選ぶ日本建築人気番付」という企画がありました。その中で、さざえ堂は、「東の横綱」に輝きました。
また、「世界の名建築100選」に選ばれました(今年の1月)。そのことで、NHKがテレビ放送。男の二人組なのに、「アンガールズ」という…わけの分からない名前のお笑い芸人ペアが、その放送に出演しました。「an girls ?」英文法も間違ってるし?(実際はungirls とのこと。「女にあらず」ということでしょうか。さざえ堂とぜんぜん関係ないですよね)
「さざえ堂」と同じような建物・・・
現存するのは、茨城県取手市の長禅寺、群馬県太田市の曹源寺、埼玉県児玉町の成身院、青森県弘前市の蘭庭院。過去にあったとされているのは、新潟県新潟市、栃木県茂木町、茨城県結城市、埼玉県小鹿野町、東京都台東区など。こう見ると、10のさざえ堂があったらしい。ただ、二重らせん構造になっていて、上りと下りの2つの通路が表裏一体に合わさっている…これは、飯盛山のさざえ堂だけ。
なんのために?については、飯盛山のさざえ堂と同じ。時間とお金がなく、西国三十三箇所などへ巡礼に行けない皆様のため…「お参りすれば札所を拝んだのと同じ功徳がある」として建立。
さざえ堂、メビウスの輪を連想します。(紙テープ等の切れ端を)180度ひねって接着するとメビウスの輪ができる。この輪、中央をチョキチキとハサミで切っていくと、大きな1つの輪が出来る。タネのない手品!三分の一のところをチョキチョキとハサミでずーと切っていくと、1つの大きな輪(この輪は捻られすぎなので、メビウスの輪ではない)と、1つの小さな輪(これは、メビウスの輪)ができる。この2つの輪はつながっている。不思議です~!メビウスの輪は、わけが分からないなりに、すぐに作れるので、なんとなく身近。プリンターのインクリボンやカセットテープのエンドレステープに利用されているし…。全然無理なのが、二つのメビウスの輪を、そのふちに沿って貼り合わせるとできる、「クラインの壺」。こうなると、私の硬化した脳では、まったく解らない。
一時は日本に10もあった、さざえ堂。一体どこから来たのか。北は青森から南は東京までの10人の大工さんが、相談せずに思いついた?これは、考えづらい。設計図があったはずだ。
フランスに、さざえ堂と酷似したものがある。ロワール地方、シャンボール城の二重らせん構造階段。設計は、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
ダ・ヴィンチの二重らせん構造階段の設計図がオランダの書物に掲載された事実がある。間違いなくこれでしょう。
日本へ伝わって来たレオナルド・ダ・ヴィンチの設計図。それを見て、さざえ堂を造った人たちがいた。こういうのを、「夢とロマンがある」と、いうのですよね。「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでいたので、すぐに、「さざえ堂=レオナルド・ダ・ヴィンチ」と考えました。
なぜ、そう繋がるんだって?「さざえ→巻き貝→黄金分割(黄金比、Golden-ratio)→ダ・ヴィンチ・コード→レオナルド・ダ・ヴィンチ」という簡単な連想です。
時間を整理してみると…
1452年 レオナルド・ダ・ヴィンチ誕生
1796年 飯盛山に、さざえ堂建立
1868年 白虎隊士中二番隊、飯盛山で自刃
白虎隊士たちも、さざえ堂を「不思議な形だなあ」と眺め、拝観して、「どうなってるんだろう?」と、鳩首を寄せ合い、周囲を走り回って遊んだことでしょう。
巻き貝の中へ入ったことってありますかねえ。らせん(螺旋)状に入っていくだろうって?まあそうなんですが、人が入ることが出来る巻き貝はないですが、巻き貝のような建築物ってあるんです。
形が、貝のさざえに似ているところから、建物の名前が「さざえ堂」。場所は、福島県の飯盛山。そうです。白虎隊士中二番隊自刃の地があるところです。観光客の多くは、「白虎隊」が目当て。山からの帰り道にある「さざえ堂」は、ともすれば看過されがち。しかし、白虎隊ではなく、さざえ堂目当てで飯盛山へ来る観光客もいるそうで…私も大変興味がありました。
さざえ堂は、江戸時代に建てられた仏堂。最大のポイントは、「昇降ともにらせん状の回廊で、同じ所を通らずに降りてくることができる構造」…入り口→らせん階段を登る→16mの高さ(3階)まで昇る→(一方通行で)昇りとは別のらせん階段で降りる→出口…。いわゆる、「二重らせん構造」を持つ建物。珍しいですよ、このような建物。
さざえ堂は、1796年に建立されたといわれる仏堂。会津の人々がはるばる「西国三十三箇所巡礼」に詣でなくても御利益が受けられるようにと建てられた。回廊に沿って西国三十三観音がまつってあった(廃仏毀釈で、取り払われた。今は、なにやら額がかざってあった。興味は、建物そのものなもので、額が何であったか記憶なし…)。
西国三十三箇所は、日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在でも多くの参拝者が訪れる。近畿2府4県と岐阜県にまたがる33か所の観音霊場の総称。「三十三」は、観音菩薩が衆生を救うとき、33の姿に変化するという信仰に由来する…「3」で「ウワオー!と叫ぶ芸人がいるが、観音菩薩の末裔と思われる。そんなはずないか?ナベアツが、観音菩薩の33変化を知っているとは思えない…?
「西国三十三箇所巡礼」踏破したいが…大変なんです。第一番から第三十三番までの巡礼道は約1,000km。四国八十八箇所の遍路道約1,400kmと比較すれば短いのですが、京都市内をのぞくと札所間の距離が長い!歩き巡礼は、無理ですねえ…そんなわけで逡巡しています。
さざえの殻の中へ侵入。築後210年を越えている。老朽化は当然だが、改修が行われているので、まだまだ大丈夫。上を歩いている人がいるらしく、「ギシギシ」と、きしむ音が聞こえる。床は階段ではなく、バリアフリーの板張り。すべり止めの細い板が20cm間隔で打ち付けられていた。楽々3階まで到着。最上階の天井を鑑賞して下り始める。確かに、人とすれ違うことがない。出口は、入り口の反対側だった。何とも、「不思議ではないのですが不思議」な体験をさせていただきました。
「さざえ堂」、知名度は低いです。国の重要文化財に指定されたのも、平成8年でしたから。しかし、建築関係者の間では、知らない人はもぐり。
一昨年、マガジンハウスの雑誌、「カーサ・ブルータス(主に建築やデザインの記事を載せている)」で、「建築家が選ぶ日本建築人気番付」という企画がありました。その中で、さざえ堂は、「東の横綱」に輝きました。
また、「世界の名建築100選」に選ばれました(今年の1月)。そのことで、NHKがテレビ放送。男の二人組なのに、「アンガールズ」という…わけの分からない名前のお笑い芸人ペアが、その放送に出演しました。「an girls ?」英文法も間違ってるし?(実際はungirls とのこと。「女にあらず」ということでしょうか。さざえ堂とぜんぜん関係ないですよね)
「さざえ堂」と同じような建物・・・
現存するのは、茨城県取手市の長禅寺、群馬県太田市の曹源寺、埼玉県児玉町の成身院、青森県弘前市の蘭庭院。過去にあったとされているのは、新潟県新潟市、栃木県茂木町、茨城県結城市、埼玉県小鹿野町、東京都台東区など。こう見ると、10のさざえ堂があったらしい。ただ、二重らせん構造になっていて、上りと下りの2つの通路が表裏一体に合わさっている…これは、飯盛山のさざえ堂だけ。
なんのために?については、飯盛山のさざえ堂と同じ。時間とお金がなく、西国三十三箇所などへ巡礼に行けない皆様のため…「お参りすれば札所を拝んだのと同じ功徳がある」として建立。
さざえ堂、メビウスの輪を連想します。(紙テープ等の切れ端を)180度ひねって接着するとメビウスの輪ができる。この輪、中央をチョキチキとハサミで切っていくと、大きな1つの輪が出来る。タネのない手品!三分の一のところをチョキチョキとハサミでずーと切っていくと、1つの大きな輪(この輪は捻られすぎなので、メビウスの輪ではない)と、1つの小さな輪(これは、メビウスの輪)ができる。この2つの輪はつながっている。不思議です~!メビウスの輪は、わけが分からないなりに、すぐに作れるので、なんとなく身近。プリンターのインクリボンやカセットテープのエンドレステープに利用されているし…。全然無理なのが、二つのメビウスの輪を、そのふちに沿って貼り合わせるとできる、「クラインの壺」。こうなると、私の硬化した脳では、まったく解らない。
一時は日本に10もあった、さざえ堂。一体どこから来たのか。北は青森から南は東京までの10人の大工さんが、相談せずに思いついた?これは、考えづらい。設計図があったはずだ。
フランスに、さざえ堂と酷似したものがある。ロワール地方、シャンボール城の二重らせん構造階段。設計は、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
ダ・ヴィンチの二重らせん構造階段の設計図がオランダの書物に掲載された事実がある。間違いなくこれでしょう。
日本へ伝わって来たレオナルド・ダ・ヴィンチの設計図。それを見て、さざえ堂を造った人たちがいた。こういうのを、「夢とロマンがある」と、いうのですよね。「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでいたので、すぐに、「さざえ堂=レオナルド・ダ・ヴィンチ」と考えました。
なぜ、そう繋がるんだって?「さざえ→巻き貝→黄金分割(黄金比、Golden-ratio)→ダ・ヴィンチ・コード→レオナルド・ダ・ヴィンチ」という簡単な連想です。
時間を整理してみると…
1452年 レオナルド・ダ・ヴィンチ誕生
1796年 飯盛山に、さざえ堂建立
1868年 白虎隊士中二番隊、飯盛山で自刃
白虎隊士たちも、さざえ堂を「不思議な形だなあ」と眺め、拝観して、「どうなってるんだろう?」と、鳩首を寄せ合い、周囲を走り回って遊んだことでしょう。