アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

情報から情が抜けるとモンスター

2009年08月08日 | Weblog
 私が皆勤を続けている市民温水プールでは、夏休みに入って、「水泳教室」が盛んに行われています。
 教室の名前も、初級、中級…ではありません。「グッピー」「メダカ」「チャイルド」「イルカ」「カモメ」…ハイカラなカタカナです。日本人の一人として、日本語が好きな理由の一つが、「カタカナがある」という点です。「平仮名、漢字、カタカナ」をもっている日本語!素晴らしい!いいぞ、日本語!

 で、「グッピー」「メダカ」「チャイルド」の3コースが行われる日は、およそ100人の子供達が集まる。プールが大小3面あるので、私には何の影響もない。私は、「水中歩行専用コース」ですから貸し切り状態。時に、我が領域へ入り込もうとする婆さまへは、「バフライ!」をかけます。すると、コソコソ出て行く婆さまが大半ですが、な~んも関係なく私の邪魔をする婆さまも。爺さまは来ないのかって?平日の昼下がりにプールの中を歩いている爺さまは、私しかおりません。「バフライ」は、距離スキーで、前の人を追い越す時にかけるかけ声。それをアクアウオーキングに取り入れたのは私が日本人で初めてでしょう。和訳すると、「どけコラ!のろのろしてんじゃないよ。とっとと道を空けろ!」。これを一言で言えるのが、「 バフライ!」便利な言葉です。

 100人の子供達が集まるということは、送迎の100人の母親がいるということ。彼女らは、ギャラリーに陣取って、我が子の一挙手一投足を凝視している。
 水中歩行者(私)は、ギャラリーを見上げたり、水泳教室の様子をみたり…。ギャラリーの親たちを見て思うのは、不景気とは無縁の人たちが結構いるなあということ。平日の昼間にプールへ子供を送迎できる…仕事をしなくても生活できる人たちだなーということ。日本は、まだ豊かなのです…?

 夏休みでなくても、「グッピー」「メダカ」の練習は行われている。もちろんギャラリーには親たちが。練習の後の事務所…親がクレームを持ち込んでいる。
 クレームは、そのほとんどが指導者へ対するもの。指導者は、初歩のグループなら、10人の子供に3~4人。100人の子供の練習日には、指導者だけで20人以上にもなる。(正職員は2名だけ、あとの指導者は、ボランティア)

 学校へ無理難題を持ちかけたり、自己中心的なクレームを持ち込むモンスターペアレント(ヘリコプターペアレントという呼び方もあるがこちらは、アメリカで使われている)がおられる。学校の場合、親が四六時中授業参観などしないが、水泳教室の場合、100%保護者が監視、私が環視…。100人の親ですから、1日100のクレームがあっても不思議はない。

 クレームの源泉は、「情」です。親たちは、「非情」を感じるからクレームをつけるのです。
 古い話ですが、五木寛之さんが対談の中で、「日本語には、『情報』という言葉がありますが、そこには『情』がこめられていないので困るのです」と、言っておられた。言い当ててます。「情」は、「感じて動く心」「思いやり」です。ですから、「情」は、人を動かす。ギャラリーの親たちは、水泳教室の指導者の「情」を見ているのです。
・ バタ足の補助、他の子には10回だったのに、うちの子には7回だった。(数えているのです。これが親というもの)
・ うちの子の頭を叩いた。(軽くポンと触っても、「叩いた」になる)
・ 他の子へは笑顔だったのに、うちの子の時は笑みが消えていた。

 このような指導者なら、親が腹を立てるのは当然です。バタ足の補助回数は、同じにしなければ…平等でなければなりません。頭をポンと軽く叩くなんてとんでもない。暴行ですよ。「軽いからいいべさ!」だって?重いか軽いかの判断って出来るの?出来るはずがない。一人の子にだけ、笑顔を向けなかった!?差別です。

 水泳の指導において、「情報」の「報」はよく分かる。では、「情」はどうやって示すの?ギャラリーへ向かって、「情はありますからー!」と、叫んだところで伝わるはずがない。

 「聴くこと」です。割り当てられた子が3人であれば、3人の親と教室のあとに話をしなければなりません。大急ぎで身体を拭き、ジャージーを羽織って親を捜すのです。
 「今度担当になりました、○○です」
 「先生!うちの子に対しては、バタ足7回でしたよ!他の子は10回だったのに」
 「あ~、リズムの関係で…拍子が抜けることがあるんです。次回きちんと10回やりますから」…これで親は満足して帰ります。帰りがけに、事務所へ寄ってコワイ顔をして訴える事はありません。
 「情」を伝えるということは、「会話し、聴く」こと。これで「情報」が成立です。

 学校も同じ。モンスターだ、ヘリコプターだと憤慨している学校があったとしたら、それは「聴く」ことをしていないと考えなければなりません。ただその前に…私は、クレームを持ち込まれる学校は、「ありがたい」と、思わなければならないと思っています。
 クレームをつけるということは、学校に対し多大な関心を持っているということです。そして、大変なエネルギーを使わなければ、苦情を持ち込むなんて出来ません。そういう意味では正しくモンスターかも知れませんが…。

パンダと少数民族、大切なのは…

2009年08月07日 | Weblog
 中国の景気、息を吹き返してきているようです。「マンションや車が、ぐんぐん売り上げを伸ばしているぞ!」広州のジャンボ氏からの情報です。ジャンボ氏は、バンコクじゃなかったのかって?広州へも行くのです。
 中国の景気の上向き、よかったです。中国へ進出していた日本の企業は、困っていたのです。「中国に踏みとどまるべきか」「ベトナムへ、移そうか」「半分中国。半分ベトナムにしようか」中国さえよくなれば、三択でどれをとった企業も、「よかった、よかった」です。

 中国といえばパンダ。北京へ行ったとき、北京動物園へ…。象だのキリンだのはサバンナへ行けば普通に見られる。…結局、ミーハーぶりを発揮して、「パンダの館」へ。北京動物園のパンダは、空調の効いた部屋に居住していました。VIP待遇もいいところ。五頭見つけられると幸福になれるのだそうですが、四頭しか見ることが出来ませんでした。四頭とも、かなりやる気のない態度、挨拶もしなけりゃ芸もしない。遠足に来ていた小学生も、パンダより、怪しげな外国人オヤジ(私)の手品のほうが遥かに興味深かった様子でした。パンダの館の前で、中国の宝である、「パンダ」を、しのぐ人気者となった私…引率の教員にはにらまれましたが。

 このパンダ、四川大地震でPTSDに陥っているという。
 話が逸れますが、PTSD( Post-traumatic Stress Disorder)の日本語訳は、「外傷後ストレス障害」。「心的外傷後ストレス障害」としなければ、滑って転んで外傷を負ったストレス障害になってしまう…。Tはトラウマで、心的外傷。日本では、「心的外傷を起こすような体験」の事をトラウマとしていますが…間違っていませんか?「虎馬(とらうま)」だと思い込んでいた人もいましたが…。

 閑話休題。四川省に生息していた野生のパンダは、PTSDもさることながら、生息地が分断され、群れも分断された。このことが大きな問題になっている。近親交配が進み、絶滅する危険性が高まっているというわけ…。
 四川省のパンダ園のおよそ90頭のパンダ。1頭が死に、1頭が行方不明。現在、生き残ったパンダが、PTSDに悩まされているという。その手厚い「ケア」の映像を見せていただいた。う~ん!大変手厚いです…。

 中国政府が最も自信をもっているのは、「各国との関係発展のために相手国にパンダを贈呈するパンダ外交」。ワシントン条約と、それに係わる法律の関係で、パンダは輸出入ができない。そのため、「レンタル!」。パンダは全て中国籍…日本で生まれたパンダも中国籍。「レンタル」ですからレンタル料がかかる。一説によると、ペア(つがい)で年間1億円以上になるのだそう。財政難からパンダを返還した国もあるぐらいです。「パンダ外交」ではなく「パンダビジネス」です。オチとしては、ちょっとアマイ…かな。

 パンダがいかに中国にとって大切なものであるか…レンタル料…J1のレンタル料の比ではないですねえ!
 長々とパンダで引っ張ってきたのですが…パンダには実に優しい中国政府…ウイグル人、チベット人にも優しくしてよ…。「大熊猫」と「人間」どっちが大切なの?と、言いたかったのです。言っても無駄だって?少数民族の扱いは、中国経済に重大な影響を及ぼす問題です。後進国とはいえ、中国経済の悪化は世界経済に影響を与えます。つまり、私ども日本人へも火の粉や土砂が降り注ぎます。ですから、無駄とは分かってもハチドリの一滴…。

ハニカミを忘れた国は文明国ではない

2009年08月06日 | Weblog
「ガンシュー」という言葉が聞こえてきた。正直、この言葉がまだ生きていたことに驚き、還暦過ぎの人ではなく、20歳前後の人が遣っていたのでさらに嬉しくなりました。
 「ガンシュー」…私自身のことです。漢字で書けと、いわれても下の方を正しく書けるかどうか自信がない。何十年間も手で書いたことがないから。上地雄輔が「さ」と読んだあの字。
 「ガンシュー」の若者たち、なにやら結構な列を作っていた。列の前では何が…ありゃ?…シュークリーム売り場…そのシュークリーム、ゴツゴツした感じで黒っぽい!「岩のようなシュークリーム」だから、「ガンシュー」人気商品なんだって!私が連想した、「含羞(がんしゅう)」とは全く違うものであった。(上地雄輔は、羞恥心を「さじしん」と読んだ。読み違えは、恥じることではありません)

 含羞は「はにかみ、はじらい、はばかり」。(「はじらい」と「恥」は違います…)
 
 含羞というと太宰治に登場していただかねばなりません。太宰の「含羞に係わる四つの考え」は…
1「ハニカミを忘れた国は文明国ではない」
今の日本は文明国ではなくなってしまいました。「含羞」なしですから。頼みの戦中派ですら、スーパーの買い物カゴを、蹴りながらレジを待つ…爺さまばかりか、婆さままで!せめて婆さまには、「はじらい」を棄てないでいただきたかったです。爺さまならいいのか?男女同権だぞだって?爺さまに恥じらわれても少々気味が悪いので…。高齢者の問題ではないですね。国のリーダーたち…ハニカミをわすれていませんか…ってことですね。

2「カルチベイトされた人は、照れることを知っている」
 このカルチベイトは、英語のcultivate。「品性、才能を磨いた人」ということです。「能ある鷹なら、爪を隠せよ」と、いうこと。

3「文化と書いて、それにハニカミとルビをふること大賛成」
 ルビまでふらなくてもいいけど、「文化はハニカミだ」というお考え、感服いたしました。日本人諸君、日本人を取り戻そうよ!

4「教養とは、まず、ハニカミを知る事也」
 ハニカミ…動詞なら、「ハニカム」ですが、 蜂の巣(ハニカム:honeycomb)とは、無関係です。石川遼選手が一時「ハニカミ王子」と呼ばれていたことがありました。これは…「ハンカチ王子(早稲田の斉藤祐樹)」との語呂合わせからのネーミングでした。(「ハ」しか共通してないだろうってが?)しかし、若いのに教養が感じられ、カルチベイトされている。「含羞のゴルファー」。遼君にピッタリのうまいネーミングだったと思います。太宰治も、喜んでくれていたことでしょう。
 ところで、太宰の孫が衆議院選に出馬するって?まさか、お孫さんって、羽柴秀吉さんじゃないですよね?羽柴さん、今回は衆議院選には出ないようで…国政から、地方公共団体へのチェンジ?「え?初めからそんなの関係なく出馬していた?」…そうですね、国とか地方とか関係ない。なんでもかんでも、選挙があれば立候補するのが秀吉さんの「生き様」。私は個人的におもしろがっているのですが。

 文体からは想像できないが、浅田次郎さんは、自ら「含羞の人」を名乗っている。浅田次郎さんの本を買って御本人にサインをいただいたとき、「ニヤリ」と笑ったんです。私は、「オラオラ、ジジイ!読めるのかオレの本を!老眼進んでるうだろう」と腹の中で思っての「ニヤリ」かなと思っておりました。浅田次郎なら、作品から慮り見るに(?)このくらいの口汚さは普通です。放送禁止用語が活字になって出てきますから。ところが、浅田が、エッセイで次のように書いていた。
 「(含羞のためサインするのが嫌だったのだが)サインを求めてくる人たちは、皆私の小説を読み、かつ購い、次回作を期待してくれているのだ。喝さいに胸を張れない男は卑怯者だ」つまり、浅田次郎の私への「ニヤリ」は、「ありがとう」だった…かな?太宰と、浅田の共通点は、「おもしろい」ところ。読者は、根底にユーモアがあるという安心感で読み進めることができるのです。

 浅田はともかく、太宰治ですが…太宰の含羞感は、あれですよね…あれ。
 またそれか!と、いわれるのは覚悟しています。「含羞」は武士道です。新渡戸稲造と太宰治に接点はあるのかって?稲造の武士道の訳本が出たのは、1938年です。太宰が30歳の時。間違いなく、太宰は、「武士道を読み影響を受けています。
中原中也も含羞の人でした。中也は、稲造の影響は受けていませんね。「武士道」が出る前に亡くなっていますから。
 冒頭に書いたように、私も含羞ですよ。オマエは、「顔醜(がんしゅう)だろう」って?オイオイ!自分の顔に胸を張れない男は卑怯者である事也。

空想の世界に遊ぶ これぞ発明の母

2009年08月05日 | Weblog
 毎日、何時間パソコンに向かうことか。今更ながら、「パソコンは、すごい発明だなあ」と、つくづく感じます。「こういうことが出来たらいいなあ」が、現実になっている。ファンタジーから出発し、日本の片田舎のオヤジが日常的に使うものになった。ファンタジー・・・これこそが、科学の発達を推進している!
 
 それにしても、欧米にはファンタジー作品が多い。映画になったもの等、有名なものを挙げるだけでも、次々と出てくる…
「ハリー・ポッター」「くまのプーさん 」「ロード・オブ・ザ・リング」「メリー・ポピンズ」「オズの魔法使い」「ホビットの冒険」「ドリトル先生」「モモ」「ゲド戦記」「楽しいムーミン一家」「ネバーエンディング・ストーリー」「ハウルの動く城」「ナルニア国物語」…どれも、多くの人々の心をとらえるものばかりです。作者が艱難辛苦の末に完成させた作品だと思います。素晴らしい!!

 それにくらべると、日本ではファンタジーが極端に少ない。と、いうか挙げなさいと言われても…困る。この違いは何か?日本は、ファンタジーより科学技術の進歩を尊いものと考えているのではないかと思います。欧米のように、ファンタジーから科学技術へではなく、ファンタジーは役に立たない、科学技術へ直結と。日本人は、すでにあるものを改良することには優れているが、新しい発明発見が出来ないと揶揄された時代もありました。原因は、ファンタジーが軽んじられてきたからです。
 
 群馬県館林市の竜巻で、自転車も、バドミントンラケットも飛ばされたが、奇跡的に助かった小学生の女の子は、「地面を掴んでいました」と、語っていました。ケガはしていましたが、命が助かってよかった。本当によかった。私は、「地面を掴んでいた」という、彼女の表現に驚きました。地面と言っても、アスファルトです。女の子の20kgにも満たない握力で、掴めるはずがない。しかし、掴んだのです。今年度上半期を代表する名言です。ファンタジーですよ!

 ファンタジーは、空想の世界、魔術も重要な役割を果たしている。相対するものは、SF…と、なりますか。SFは、自然科学の法則が重要な役割を果たす。もっとも、近年「SFファンタジー」という分野もあるようで…。折衷型ということでしょう。線引きが難しいと、折衷案が出てくる。

 ガリレオをファンタジーと言うと、「バカ!」と、言われるでしょうが…地球が自転している姿を空想したのですから、ファンタジーじゃないでしょうか。
 アインシュタインは…靴下が破れやすかったので、素足に靴を履いていた(石田某という、靴下を履かない俳優とは違います)。服装に気を遣えとの意見に、「肉の包装紙が肉より立派だったらわびしくない?」…変人なだけだろうって?ファンタジーですよ。慣習を慣習として守るだけでは、新しいことなど生まれてきません。
 発明王エジソンについては、そのまんま、「空想の世界から、次々と発明が生まれてきた」
 示した例は少ないが、ファンタジーが科学のヒントになっていることがはっきりします。発明家って、ファンタジーの世界に遊ぶ人ばかりではないかと思うのです。

 理科離れ、数学離れ…がいわれ、スーパーサイエンススクール、理科支援員などの対策が講じられております。それはそれで…いえいえ正直焼け石に水というか、「無駄」だと思います。理数離れ対策は、「ファンタジー」を教育課程に盛り込むことです。ファンタジーを読ませ、映画を見せると確実に効果があります。
 ファンタジーなら何でもいいか?違います。注意しなければならないのは、ファンタジーの作品には、「意味がないもの」「むしろ、有害なもの」があることです。

 「何もせずに大金持ちになる」「人心を意のままに操る」これらは、違いますよ。空想というよりも、妄想。確かにファンタジーの範囲に妄想も入っているかも知れませんが、そこはきっちり区別してかからなければなりません。
 「ファンタジーは、現実離れ」という御意見もあるでしょう。パソコンだって、夢のまた夢でしたよ。つい50年前までは。今は、現実中の現実。

 携帯電話向け天気情報サイト「ウェザーニュース」では、竜巻が発生すると、メールを送って知らせる「竜巻アラーム」というサービスをスタートした。そんなことが出来るの?月額315円を払っている人だけが、「竜巻アラーム」を受信できる…金持ちだけが生き延びようというコンタンだなきっと。情けない。とりあえず、地面を掴んで竜巻をやり過ごした少女に1台プレゼントして下さい。
 「竜巻アラーム」もファンタジーから生まれたものでしょう。

更衣室…本音トークの立ち聞きから

2009年08月04日 | Weblog
 日本には、「井戸端会議」という素晴らしいものがあります。早い話が、御近所のコミュニケーション。なくしたくない風景です。現代では、お互いを監視する、「隣組制度」の心配はないでしょうし。

 毎日のプール通い。「更衣室会議」というものがある。この会議、大人はしませんが、子供達は熱心に開催しています。

 更衣室で子供達の会話を聞く…盗み聞き!人聞きの悪い!聞こえてくるから無意識のうちに聞いているだけです。更衣室会議に巻きこまれそうになることもありますが…。

 空いているロッカーは、誰が使ってもいいはずなのに・・・
小1:おじさんそこボクの…
私:え?決まってないでしょう。どこへ入れてもいいんだよ。
小1:ボクは、そこへいつも入れているの。
(子供相手に意地を張ってもしょうがない。寛大な私です)
私:じゃあ、おじさんはこっちへ入れるからね。
小1:キャラメルとプリンどっちが好き?
(なんなんだこの子は?ロッカーを譲ってあげたのにいきなり嗜好クイズ!更衣室会議へ引きずり込もうという考え。還暦過ぎのオヤジを引きずり込むなよなあ!)
私:どちらも好きだけど、どうしてもどちらかを選ばなければならないの?
小1:1年生なのに、3年生に間違われるんだぁ!
(クイズはどうした!クイズは!クイズとみせかけて、いきなり私的なことを開陳して、興味を自分に向けさせる。最近の1年生は高度なテクニックを使うものだと感心)
 オジサンは、しばし、小1の子の現況やら、悩みやらを聞かなければならないハメに陥ったのでありました。子供電話相談室…。

 ヤセた子が騒いでいた。
ヤセ:ボクのズボン、ない。
私:なくなったの?
ヤセ:44番に入れておいたのに…
 私は、そこら中のロッカーをあけて探したが、彼のズボンは見つからなかった。彼は、ブリーフ一枚で更衣室を出て行った…。まだ一人残っていた。上半身はすでにTシャツ姿だが、下半身は、なにもつけていない。
残っていた子:ボクの場合、パンツもズボンもないんですけど!
(ふざけているのかと思ったが、彼はフリチンで途方に暮れていた。私は目敏くプラスティックバッグを見つけた)
私:あそこに置いてあるの、違うの?
残っていた子:あ!あった。どうも有り難うございます。ボクねえ、宿題の自由研究なんだけど、ホタル…
 とっととパンツはけ!と言いたいところだったが、なぜか見込まれた。子供電話相談室の無着成恭先生よろしく(古っ!)、相談に乗る私だった。

 中学生になると、オジサンに相談は持ちかけない。しかし、更衣室という閉塞感が外部に漏れる心配がないという安心感を与えるのか、本音トーク。
 中体連の柔道で、都道府県大会へ出場した、猪俣君(仮名)について語られていた。
 「猪俣は、昨日もオマエン家に来ていたの?」
 「うん。9時までね」
 「猪俣、大変なんだべ?」
 「うん。今のオヤジは、殴るから。柔道部は、天候に関係なく活動があるし、遅くまで練習するから入ったんだ。放課後学校を出ると街をブラブラして、オレン家の夕食が終わった頃、部屋に来る。ほぼ毎日。うちの母さんが、9時になったら『帰りなさい』と言うから帰る。その後は、外から自分の家の様子を見て、オヤジが寝ているようなら静かに家に入る。見つかると殴られるから…。猪俣が、真っ先に登校するのは、オヤジが起きないうちに家を出るから。夏休みは、朝早くに家を出ても行くところがないから…」
 
 猪俣君は、母親の連れ子。母は、彼を連れて再婚か再々婚かは知らないが、今のオヤジの所へ来た。そして、新しいオヤジによる妻の連れ子への暴力が始まった。そのオヤジは、母親より、20歳ほど年上(還暦過ぎと思われる)。自分は暴力団に顔がきく(どうせ、使い走りでしょう。嘘八百並べて自分を大きくみせる)と吹聴するため、柔道が強い猪俣君にも反抗する気を起こさせない迫力があるらしい。猪俣君の夢は、「中学を出たら家を出る」。なお、猪俣君に関する更衣室での友達の話は、実際より矮小させて書きました。もっと酷い話でした。

 立ち聞きだけの情報ですが、猪俣君頑張っていますよ。実際には、「ホームレス中学生」より大変な状況でしょう。14歳の子の安全な居場所が、「学校と友達の家と街」。この14歳、生まれてからの14年間の酷い経験の連続は、61年間生きている私が経験した酷いことの、何倍、何十倍、何百倍も…。平和に還暦過ぎの暮らしをしている自分が申し訳ないような…。
 彼が、早く家を出られたらいいなあと祈るしかありません。その前に、事件が起こらなければいいのですが。近所の人も、学校もこのようなことがあるなんて思いもしないでしょう。人間関係が希薄ですから。このような中学生、稀な例ではないのかも知れません。人間関係が濃いのは、更衣室でしょうか。

 帰りがけに、受付の元お嬢さん尋ねた。
私:ズボンがなくなった子、どうしました?
受付の元お嬢さん:さあ?あのまま帰りましたよ。お母さんも何も言っていなかったし。(この受付の元お嬢さん、現おばさん、「さあ?」は、ないですよね。いつも素っ気ないんです。いい人だとは思うのですが。もう一人、鬼瓦がメガネをかけた感じの元お嬢さんがおりますが、こちらの人の方が愛想がいい。彼女らは、意思表示などしそうもない年配のプール利用者が、このような評価をしているとは夢にも思わないでしょう。人間、どこで誰に評価されているか分からないものです)
 ブリーフ1枚で帰って行った子の姿を連想し、おかしかったのですが…子供のズボンがなくなったのに、何の反応もない母親、大丈夫だろうか?まさか、家を出るときからブリーフ一枚だった…?!母親のほうが心配。

 田舎でも、犯罪と紙一重のところで暮らす14歳がいることを知りました。更衣室情報は濃い!

読書の入り口をバリアフリーにした朝の読書

2009年08月03日 | Weblog
 老眼になってから、めっきり読書量が減ってしまった。読んでいるうちに朝になり、充血した目で勤務に出た頃が懐かしい。近眼で老眼…活字を読むのが億劫。「読みたいという自分」と「表紙をめくりたくない自分」の葛藤です。…本は、読みたい順番に積んであるのですが。

 世の中、読み聞かせブーム。親たちは、いかに読書が大切かを知っている。そして経験的に、「読書の入り口がバリアフリーではない」ことを知っている。小学生になって、「読書をしなさい」と、いったところで、うまくいかないだろうということも知っている。それなら、幼児のうちに、「読書の楽しさを刷り込んでおこう」というわけで、読み聞かせが大流行しているわけです。

 そして、今、「読書の入り口がバリアフリーになった」ことにより、子供達が読書するようになりました。

 20年前、始業前の10分間、児童・生徒、教職員全員が読書をする「朝の読書」を提唱し、実践した教員がいました。林 公 (ハヤシ ヒロシ)先生。林先生は、「朝の読書」運動提唱者として第44回菊池寛賞を受賞。2002年には、「全国朝の読書連絡会」を設立。全国4万を超えるすべての学校に「朝の読書」を広めようとしています。

「読書の入り口のバリアフリー」とは何か?
1 みんなで読む
2 毎日読む
3 好きな本でいい
4 読みっぱなし

 「みんなで読む」は、学校中みんなで、つまり校長先生も、養護の先生も…みんなで。「先生も読んでいる」これは効果があります。朝読書が挫折した学校は、「先生が一緒に読まない」ことに起因しています。単に、流行の半天を着るだけなら、挫折するための朝読書ですよ。
 「毎日読む」これも、教職員側の姿勢にかかっています。「今日は、これこれがあるから朝読書カット」これが、週に1回ペースで続くだけで、「朝読書丸」は座礁でしょう。
 「好きな本でいい」これについては、「マンガでもいいか」という、問題が出てきます。私は、「漫画本」という言葉もあるので、マンガも本だと解釈し、「マンガ可」でスタートさせていいと思います。「マンガも本だ」というのは冗談です。本当は、「マンガをよく読む子は読解力が高い」からです。はじめは、マンガを読んでいる子も、徐々にマンガを卒業していきます。心配いりません。
 私が一番高く評価しているのは、「読みっぱなし」です。一行の感想文も求めない。これまで、読書に入るバリヤーとして、「感想文」が立ちはだかってきておりました。大人なら、「感想文がいかに無意味なものか」は、知っているはず。私は、小学生の頃、一生懸命あらすじを書いて提出したら、「感想が書かれていない」とやり直しを命じられたことがありました。それではと、「おもしろかったです」とだけ書いて提出し、先生を怒らせてしまった…。感想って、「おもしろかった」「悲しかった」「怖かった」「たいしたことなかった」…じゃないですか?文章になどなりませんよ。簡単すぎて。
 簡単な感想文にダメを出されたら、「本など読みたくない」と考える子がいても何の不思議もありません。「若者の活字離れ」をいわれた時期がありました。「活字離れ」なのではなく「感想文を求めるが上での、活字離し」だったのではないかとも思います。
 どうしても何か書かせなければ気が済まないのであれば、読書感想文ではなく、「書評」を書かせ、子供の間で交流させるとるとよいと思います。ただ、これすらも提唱者の意図とは違ってしまいますが。

 と、いうわけで、「朝の10分間読書」は、大成功。現在、全国の学校(小中高)のうち、2万校以上が取り組んでいます。

「読書の入り口のバリアー」…感想文のほかに、老眼も付加しなければなりません…トホホです。

自治体に取り組んでほしいこと サマーキャンプ

2009年08月02日 | Weblog
 欧米の子供達の夏休みは、「サマーキャンプ」です。
 「キャンプ」の日本語の意味は、屋外でテントを張って泊まり、飯盒(はんごう)で、御飯を炊く…が、主流ですが、欧米のキャンプの意味は、「一定期間集中して特定のことを学ぶ」です。

 欧米のキャンプ…「ヴァイオリンキャンプ」では、1か月間ウイーンの山荘で、ヴァイオリン漬けの日々を過ごす。「野球キャンプ」は、カナダのプリンスエドワード島で3週間。「演劇キャンプ」は、デンマークのクロンボーン城で2週間。「サバイバルキャンプ」は、無人島へ行き、食料も、水も自給自足で一定期間過ごす…などなど、種目も、期間も、多種多様。
 幼児向けには、宿泊を伴わない「デイキャンプ」もある。人気キャンプは1年前の予約でも、ウエイティングリスト入り。秋に新学期が始まると、親たちの関心事は、「来夏、どこのキャンプへ入れるか」です。決して大げさな言い方ではありません。

 自分の話で申し訳ないが(得意の自慢話ではないですから)、子供の頃は、おもちゃもゲームもなかった。いきおい、「自然と遊ぶ」ことになる。夏休みは、山へ行って秘密基地を作り、川へ行って遊びほうけ、畑へ行ってスイカを盗み…「盗む」は、刺激的な表現ですが、実際は、地元の子供達が、地元の畑から作物を持っていっても咎められない不文律がありました。子供は地域が育てているという風潮でしたから。朝出かけたら、暗くなるまで帰らない。昼飯?畑のジャガイモを焚き火の「熾き」に突っ込んで、焼き芋にして食べる。

 この、少年期から青年期前期へかけての、「夏の体験」が、これまでの「生きる力」にどれだけ役だったか知れません。スイカを盗って…ではなくて、採ってくるにしても、受粉後40日以上経ったものを採らなければ熟していない。どうやって見分ける?ジャガイモだって、大きな物でなければ腹痛を起こします。小さいイモは、ソラニンが多いからです。当時、ソラニンなど知りませんでしたが、「大きい物なら大丈夫」という本能にも似た生きる智慧が働きました。
 スイカとジャガイモだけではありません。青大将も、追い詰めると攻撃してくることを学び、草むらに同化していなければキリギリスを捕まえられないことも学んだ。都会から遊びに来た子供達とのコミュニケーションの仕方も。考えるに、夏に育ちました。

 「木は夏に育ちます。だから年輪が出来る。子供も夏に育つのです」どうですか?私にしては上出来の名文句でしょう。決してワーズワースのパクリではありません。少し変えていますから…。
 
 欧米の親たちは、「子供は夏に育つ」を知っています。貯金を下ろしてまで、いわゆる「いいキャンプ」へ入れることに躍起になります。
 その点、日本は意識が低い。…サマーキャンプもこの10年ずいぶん増えましたが、知名度自体がまだまだ。お金持ちの日本人が、我が子を欧米のキャンプへ入れるケースは増えてきていますけどね。「教育はお金で買える」の側面でしょうか。

 日本のサマーキャンプの場合、地方自治体主催が皆無に近いです。アメリカでは…人口23,796 人の町のサマーキャンプの数は…多すぎて数えたくないです。サマーキャンプ以外のイベントも載せていますが、1cmほどの厚さの冊子になっています。

 日本の自治体は、サマーキャンプを積極的に行うべきです。大々的に、看板を掲げていただきたい。
 多感な時期に仲間と出会ったり、新しいものへ挑戦をするのは、かけがえのない貴重な体験です。新たな価値との出会いは、生涯の力になることでしょう。
 「子供は夏に育てよう。○○町では、二十キャンプ!」このようなポスターが溢れるようになるといいなあ。

内部から学校を非聖域化する人たち

2009年08月01日 | Weblog
学校は聖域だと思ってきました。特に、義務教育の諸学校は、聖域でなければならないはずでした。
 どうして、過去形にしたか?私が考える「聖域」は、その名の通り、内部が「聖」でなければなりません。ところが、ニュース提供というサービス精神に燃えているのか、倫理が分からない変質教員が次々と事件を起こしてくださる。そんなところに丁寧な表現は不要だって?あきれはてて…。倫理は教職員の生命線でしょうが!

 なお、私の聖域の定義は、「安全で安心な場所」です。「聖人の境地」「神聖な地域」「犯してはならない区域」「手を触れてはならない分野」「聖闘士星矢の特別区域」…より温かいところ。

 内部の人間つまり教職員が、非聖域化にしているのです。教職員には、「校長、教頭(副校長)、教員、養護教諭、事務職員、公務補、給食の人たち…」などが入ります。変質事件のみならず…「マジッスカ!?」という事件も起こしてくださる。

 篤姫で人気が沸騰した鹿児島県。篤姫がやっつけられてしまいました。小学校の女性校長先生(53歳)が、52歳の男性事務職員に手をへし折られました。男性事務職員が、校長の指導への不満などを書いた文書を職員に配ろうとした(この行為を、勤務時間にやるあたりもう聖域になっていない。不満を書いたビラをつくるあたり、男の腐ったような奴です。その紙…まさか学校の紙を使ったわけではないでしょうねえ。便宜供与?聖域ではなく犯罪の巣窟)。
 阻止しようとした女性校長ともみ合いになり、校長が骨折した。50歳を過ぎた男女が学校内で乱闘ですよ。そこへいたるまでに聖域とは似ても似つかぬ…口論やら罵り合いの数々があったでしょう。女性校長がやっつけられる前に、ほかの職員が止めに入ることが出来なかったの?ビラ配りの最中なら誰かいたでしょう?

 これは特異な事件でしょうが、ハインリッヒの法則で考えますと、全国では大変な数の「学校内職員間乱闘」が行われていることになります…。変質者と、ヒステリーと、ビラ作りが上手で骨を折ってしまう怪力男…その他もろもろが住むところ…聖域ではないです。
 立派に聖域を築いている教職員の皆さんのほうが多いのですが、一握りのバカが全体を象徴するかのように伝えられるのが世の中。大迷惑ですよ。

 1990年代後半、中学校を中心に、「校内暴力の嵐」が吹き荒れました。10数年を経て、徐々に沈静化したように思っていましたが・・・。 
 文科省の調査によると、2007年度の中学生の校内暴力は、前年度より25%も伸びて、全国でおよそ2万件だという。この数字は、小学校の6倍、高校の3倍。校内暴力の低年齢化も進み、2007年度の小学校では、前年度より45%も増えている…。とっくに聖域ではなくなっていました!そうしたのは誰?ってことですが。
 
 「校内で爆竹を鳴らし、注意した教師に暴力を振るう」
 「校長室で鉄パイプを振り回しながら湯飲みやロッカーを壊した」
 「ビニール袋の水を廊下にまき散らし、教師らに暴言」
 「校内喫煙を注意した教師の胸ぐらをつかみ暴言」

 1990年代後半の校内暴力より単純構造ですね。どれも、赤ん坊が興味あることを止められた反応ですよ。「規範意識」が全く育っていない。ジコチューに加えてのカルシュウム不足。「悩む力(姜尚中:カン・サンジュン…自分が読めないので読み仮名をつけた次第)」で、漱石の「自己中心」と「ジコチュー」のことも書かれています。私は、高校時代から漱石ファンですが、未だに「漱石の自己中心主義」を理解できていない。姜先生にジコチューと対比されると、違いは分かるのですが、マサカリカボチャのような頭なので理解にまでは至らない。マサカリカボチャを知らない?皮が固く、庖丁では切れない。マサカリで割るので、「マサカリカボチャ」と、呼ばれているカボチャ…。石に匹敵する固さ。

 閑話休題。解決策?当然ありますが、長くなるので割愛…一点だけ述べておきますと、「世間体(せけんてい)の復活」です。世間体を死語に追いやった結果として、社会と個人の壁が取り払われた。学校で暴れる?聖域ではないから暴れるのです。

 今、燃えさかっている炎は、消さなければなりません。「サスマタ」で対処する?そんな、痛そうな名前のものを使わないでくださいよ。
 燃えさかる火を消すのは、サスマタではなく、腕力が弱くても、「毅然とした冷静な態度」これしかないです。逃げ腰では、向かってこられる。犬もそうです。逃げると追ってきます。熊もそうです。逃げたら間違いなくやられる。「モウダメダ」と思ったら、「毅然とした冷静な態度」で、「ブッ殺すど、コラ!」と、反撃すると活路が見いだせるかもしれません。「身を棄ててこそ浮かぶ瀬もあり」です。

 「規範意識」を育てなければならないのに、満足に育てられなかった(一部の)学校。「学校(社会)と個人の区別がなくなって暴れている」つまり、学校の責任は、一端どころかほとんどです。もっとも、学校非聖域化の旗手が、火を消せるとも思えませんが。

 学校を聖域にするには…武田信玄の言葉を借りると、「教職員は防火扉。教職員は学校」。学校の危機において何より大切なのは、教職員です。
…メディアへ下品なネタを提供しないでよー。聖域を内部から破壊しないでよー…