アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ダージリンで茶摘みをしませんか?

2011年10月21日 | Weblog
 ダージリンを再訪するのは…きつい。多分、もう行かないでしょう。なぜなら、道中が半端じゃないから。凸凹道で、かつ、落ちたら間違いなく御陀仏のカーブが何百カ所あることか。
 しかし、ダージリンでは心残りが。ヒマラヤの展望台タイガーヒルが濃い霧に覆われ、ヒマラヤを展望できなかったのです。

 朝、4時に起きだして、ジープでタガーヒルへ。なぜジープか?ダージリンは、ジープでなければ通れないような道がいたるところに。特に、ターガーヒルは、標高2,590m。例の凸凹道を登らなければならない。よって、ジープでなければなりません。
 早朝でまだ暗いというのに、タイガーヒルへ向かう車が数珠繋ぎ。街の中心から、13kmしかないのに50分を要しました。
 ヒッチハイクをしようとしている女性たちが、沿道に並んでおりました。彼女らは、タイガーヒルへ来る観光客に、土産物やコーヒー・紅茶を売る人達。いわば、客の車に便乗して、商売をしようという見上げた心構え。

 晴れた日なら、朝日に輝くヒマラヤの山々が展望できるという。カンチェンジュンガ(8,586m)はもとより、エヴェレスト(8,848m)が見える日もあるという。
 し、しかし、この朝のタイガーヒルは、濃い霧の中。数百人の観光客が来ていましたが、みなさん三々五々解散…。
 なぜ早朝なのか?「日の出」へのこだわりがあるようです。日本人が、初日の出を拝むように、インドの皆さんも日の出のヒマラヤを拝む。太陽が昇るにつれて、ヒマラヤが金色に染まっていくのだそうで、その様子は日の出でなければ見られないのだと。

 ダージリン市内を一歩出ると、茶畑が続く。茶畑は、殆どが山の斜面。平地の茶畑は少ない。
 一つの紅茶園あたり、500~600人の茶摘みの人がいる。グループ単位で茶摘みをするのですが、1グループ10人程度の中に必ず男性が一人入る。なぜ男が必要か?それは、トラ、ピューマなどの猛獣や、コブラなどの毒蛇を追い払う役目。
 女性は、1日に10~12kgの茶葉を摘む。賃金は摘み取った葉の重さで支払われる。1kg当たり8~10円。1日働くと、80~100円いただけることとなる。(現地で紅茶を買うと、100gで300~400円)
紅茶産業の最大の問題は、この「茶摘み女性の確保」。少しでも条件(賃金はもとより、賃金以外のサービス等)を良くしなければ、人材を他の紅茶園へ持って行かれてしまう。
 どんな厚遇が行なわれているか…1週間働くと支給されるモノは…「米-2kg、麦-2kg、砂糖-500g。他に、米を安く買える特典」…大変魅力的な、サービスだと思いました。
 さらに驚かされたのは、紅茶園で働く人やその家族のために、「紅茶園に、病院や学校が備えられている」ということ。厚遇ですよ。学校の大きさにもびっくり。1,000人からの子供達が通うのですから、大きいのは当然なのですが。

 ダージリンの紅茶、世界最高との評価を受けているのも頷ける美味しさ。霧が出やすく、朝、昼、晩の気温差が大きい気候が紅茶に最適だという。いくら気候が最適でも、茶摘みの人がいなければなりません。茶摘みの人の頑張りは、1日100円前後の賃金、米・麦・砂糖の支給・病院・学校があるから…。

蒸気機関車のトイ・トレインで、世界最高の駅へ

2011年10月20日 | Weblog
「ダージリン」…この名の響きは、還暦を過ぎた人には心地よいはず。少なくても、私には心地よい。「紅茶」の最高峰に輝く、ダージリン!。味が分からない私の場合は、名の響きだけで、「美味い」と、つぶやいてしまう。産地偽装のダージリンでも関係ない。ダージリンは、その響きだけで美味いのです。
 よって、「ダージリンへ行かずして、なんのインドぞ」。行きましたよ、ダージリンへ。標高は、2,134m。

 たどり着くまでが…ダージリン行きを後悔させられましたけどね。
 デリーから飛行機でバグドグラ空港へ(都市名は、シリグリ)。およそ、1時間45分のフライト。これは、エア・インディアだと思えば我慢もできる。さてそれからが問題。バグドグラ(シリグリ)~ダージリンまでは、陸路しかなく、距離は110km。110kmは、北海道の高速道路なら、1時間の距離…。当地では…ご、ご、5時間!
 トランクをバス(20人乗り)の屋根に縛りつけて出発。冷房なし、椅子が勝手にリクライニングになるバス…壊れているんです。いつ、エンジンが爆発するか?そういう、日本ではありえないバスに乗って…!もう、褌(ふんどし)を締め直してかからなければなりません。おっと、褌は着用していませんでした。
 シリグリ(厳密には、ニュージャイルパイグリというシリグリの隣町)~ダージリンは、バスの他に、「ヒマラヤダージリン鉄道」という手段があるが、6時間半~7時間半かかるという。「ヒマラヤダージリン鉄道」というとカッコイイが、早い話が、世界遺産の「トイ・トレイン」。トイ・トレインで7時間前後はきつい。なにしろ、標高差2,000mを、軌道の幅が610mmのおもちゃのような機関車で登るわけで…。トイ・トレインでダージリンまで行く観光客は、まず、いないでしょう。

 トイ・トレインには3種類の運行パターンがある。
 その1 シリグリ(ニュージャイルパイグリ)~ダージリン。一日上り下り1本の運行。乗車賃は、500円。安っ!
 その2 ダージリンから30kmの区間を運行。地元住民の通勤通学用。乗車賃は、120~240円。
 その3 観光客用の「ダージリン~グーム間の蒸気機関車」。書き間違えではありません。正真正銘、本物の蒸気機関車。往復の所要時間は、2時間ほど。私は、この蒸気機関車に乗りました。「乗ったぞ」と自慢するために乗ったんですけどね。乗車賃は…ガイドさんが払ったので、不明。

 なお、「グーム駅」は、現在機関車が走っている駅のうちで、「世界で最も標高が高い駅」です。印象?標高世界一という感じは全くしませんで…。

 「ダージリン→グーム間」の様子を詳しく書きますと…
  汽笛を鳴らして発車。石炭を焚いているので車内が煙い。SLは150年前に造られたという。いかにものろいので、沿線の風景や人々の暮らしをのんびり眺めることができる。
 10分ほど走ると水の補給のために停車(およそ10分間)。蒸気機関車ですから、蒸気を作るためには水が必要なのです。
 さらに15分ほど走ると、バタシア・ループというところに着いて、ここで10分間停車する。何のための停車か?水の補給でも、石炭の補給でもなく、機関車を点検しておりました。乗客は下車し、ループ内の花一杯の公園を散歩できる。戦没グルカ兵の慰霊碑が立っており、写真を撮る人も。バタシア・ループを発って10分ほどでグーム駅に到着。ここでSLの向きを変える。往路は、「後ろ向き」で客車を引いてきたが、復路は、「前向き」に引く。なぜかって?たぶん、後ろ向きで進むほうが力が出るのではないかなあ。登り坂は大きな力が必要なので、後ろ向き…。

新しいカースト制度

2011年10月19日 | Weblog
 インドの公用語の数、知ってましたか?私も、せいぜい4~5語ぐらいかなと思っていましたら、なんと、「15の公用語」。紙幣の裏に公用語の言語名が書かれております。紙幣は、もちろん「公用」ですから、公用語が書かれていて当然。
 15もの公用語がある…どうやって会話するの?という疑問は当然出てくる。どうやって会話するか…ほぼ普通に会話します。インド人は、「語学の天才」といわれております。凄い能力です。
 「日本人だって、東北弁、関西弁、鹿児島弁…とあって、お互い会話が通じているだろう!」だって?確かに!インドの公用語で、似ているものもある。ただ…英語も、インドの公用語です。英語と、ヒンディー語は、少なくても似ているとは言い難い。インド人は語学の天才…ですね。

 「学校の授業は何語で行われるか?」…基本的に英語です。学校の授業を15の言語で行うわけにはいかない。
 学校帰りの14歳の男子生徒(中学3年生とのこと)3人にインタビューしました。そのとき、英語の教科書を見せてもらいました。さすが、授業自体が英語で行われているため、日本の英語教科書の比ではない。日本の高校の英語の教科書は、「中学校程度の、かなり易しい」ものから、「かなり難しい」ものまで様々。その最も難しい日本の高校英語教科書より難しいものでした。
 教科書に問題が出ていたので、「日本のオヤジだって英語ができるところを見せてやろう」と、問題文を読み…よ、読み…そのまま閉じて、にこやかに返却しました。「難しすぎるっ!(穴埋めの問題でしたが、正解を即座に出せなかった)」大恥をかくところでした。

 インドの学校は、山の中の学校でも、「制服」がある。学校の数もやたら多い。学校といえば、「グラウンドがあり体育館がある」のが日本では普通。しかし、インド(少なくても山岳部)の学校には、グラウンドも体育館も標準装備ではない。ともすれば、学校とは気づかない場合が多いかも。
 ブータン同様、「学校までの距離が遠い子は、学校へ通えない」ということでした。あと、貧しいと学校へは行けない…。
 「カースト制度」は、とっくになくなっているはずですが、形を変えて存在しているとガイドは言う。現代のカースト制度は、「金持ち」と「貧乏」の二層。「貧乏」は、どれだけ頑張っても、貧乏のままだと…。

子供の物乞いが芸を売りはじめた

2011年10月18日 | Weblog
 途上国につきものは、ゴミと子供の物乞い(但しブータンは別です。子供は学校へ行きますから、物乞いしている時間がない)。ベトナムも、カンボジアでも、ペルーでもしつこかった。インドの場合もは、「カネをくれ!」と、手を出してまとわりついてくる。ここまではどこの国でも大同小異。ところが、外国人観光客のポケットに手を突っ込んで、中のものを盗る。これはダメですよね!
 今回同じツアーの客で、物乞いの子にポケットに手を入れられた婦人がおりました。大阪のオバチャンだけあって、そのあとのセリフがおもしろかった。
 「私のポケットは、手を入れても中のものを取り出せないようになっているのよ!」
 一体どんなポケットじゃーーーっ!…ともあれ、被害が無くて良かった。

 単に「カネをくれ」という乞食を正統派の乞食とすると、技巧派の乞食もおりました。技巧派の場合、乞食というよりは「大道芸人」といった方がいいかも。
 どんな芸を見せるか…

 交通信号のところで待機している。メンバーは、「太鼓を叩く係」「男の子の踊り手」「女の子の踊り手」。通常、以上の3名が1チーム。年齢層は、太鼓が14~15歳。踊り手は、5~10歳。
 さて、外国人観光客が乗ったバスが赤信号で停まる。太鼓が始まり、踊りが始まる。踊りは、アクロバティックなもので、「上海雑技団」の踊りを連想していただけばよい。
 ひとしきり、踊ると、「(ヒンディー語で)カネよこせー!」と、必死の形相で叫び出す。バスの窓が開き、20~100円が投げられる。大急ぎでお金を拾って、さらに、「(日本語で)マダ、マダ」と叫ぶ。
 そして、信号が青に変わり、バスは動き出す…と、まあ、こんな感じです。

 大人の乞食はいないのかって?子供の乞食よりずっと多いと思います。大人の乞食で笑えた例を一つ…。

 インド門(第一次大戦の戦死者の名が刻まれている巨大な門。世界中からの観光客がおとずれておりました)での出来事。
 観光客の中に、アフリカから来たと思われる(服装から判断。多分、マサイ族)身長が2m以上ある大男が。なかなかの人気で、観光客がマサイ族と写真を撮りたがっていた。ミーハー選手権日本代表の私は、マサイ族と家人を並べて写真を撮らせてもらった。そのあとのこと、一人のインド人の男が、「写真を撮っただろう。カネを払え!」私は、ぶん殴ってやろうかと思いましたが、仲間がそこら中にいるので、「No!」と強く言って追い払いました。とんでもない野郎です。なお、マサイ族の青年は、一人でインド門へ来ており、カネを請求してきたインド人とは一切関係がありませんでした。念のため。

ノラ牛、ノラ羊が闊歩する首都! ノラ人間も?

2011年10月17日 | Weblog
 この度の旅行は、関空を出発して、香港に立ち寄り、インディラガンジー国際空港に降りる。こういう飛行経路。インディラガンジー国際空港から、デリー市内へ入る、わずか30~40分の間に…見ました見ました!

 街の中を我が物顔で走るネズミ。インドの首都ですよ!東京にだってネズミぐらい走り回っているよって?それは盛り場でのエサあさりでしょう。デリーの場合は、歩道を走ってますから!

 立ち小便の男たちの多いこと。トイレがないから、どこででも用をたす。女性の場合、しゃがみこむでしょうから…目撃できませんでした。東京で立ち小便は、普通でしょうか?デリーの場合、恥ずかしいなどの意識がないところが、東京とは違うところ。

 ゴミ…これは、途上国につきもの。エジプトには及ばないかも知れませんが、ひどいもの。エジプトにしろ、インドにしろ、文明発祥の地が現代はゴミに埋もれている。同じ途上国でも、ブータンは、街中にはゴミがなかったです。

 デリー(ニューデリーもオールドデリーも合わせて)の場合、「ノラ牛」「ノラ羊」という他の追随を許さない「ノラ」が闊歩しています。もちろん、「ノラ犬」も多い。「ノラ人間」…人間に「ノラ」がいるかどうか?これが問題ですが、「ノラ人間」の括りに入るべき人がこれまた多い。「公園で寝る」「トラックの荷台で寝る」「バスの屋根で寝る」…昼寝ならともかく、「ノラ」ですから家がない。外で寝るしかないのです。
 オールドデリーの、「麻薬の巣窟」というところを車窓から見学しました。いつ身につけたか本人でも分からないであろう服。長年の歳月で、服は土の色と同化しておりました。皮膚も土の色に同化しておりまして…トータルコーデネィトされておりました。インド人は、コーデネィト(こうでないと)なんちゃんて。
 上野のホームレスの皆さんの服装など、インドの貧民街の人たちに言わせると、「あれは、タキシードだべ!」というところでしょう。
 家がないインド人の対極にいるインド人も沢山おられるわけで…ゲートがあって、警備員がいるアパートも沢山ありました。トータルコーデネィトのインド人を入れないための警備体制。個人の豪邸は、高い塀が巡らされていました。

 外国人にとってインドは、「好きか嫌いかの両極端に分かれる国」。言い古されたフレーズですが、私は、インドが好きですね。道徳を振りかざしても全く通用しそうもない。生きるためには、生き馬の目を抜く。そのくせ、牛や、山羊や、犬の目は抜かず、大切にします。日本人の常識は・・・ま、ハナクソ扱いです。

過去に宿泊したホテルで、おそらく最下位…

2011年10月16日 | Weblog
 ブータンで十分心を洗われて、再びインドへ…。ブータン側の国境プンツォリンから、「ブータン門」をくぐれば、そこはインド…「混沌の世界」です。プンツォリンは、落ち着いた静かな美しい町…で、門をくぐれば…奇をてらった修飾語を並べたてても形容しがたいインド。この差は、非常ーにおもしろい。

 ブータンへの往路で、インド側の国境の町、「ジャイガオン」に一泊しました…ジャイガオン屈指(ホントか?)のホテルに泊まったのですが…ホテルの名前は、「アナコンダ(仮名)」。仮名にしなければ名誉毀損になりそうなので…「コ」を取ると本名になります。
 1 シャワーの湯が出ない。もちろん、バスタブなどない。(あのー…、バスタブがないホテルってのは、普通ですので…念のため)
 2 シーツは…一か月以上変えていない。(しっとりと濡れていて、妙なる香りが…。寝る気になりませんよ、ホント!)
 3 室内にアリの行列、ハエ、蚊。私どもは、蚊取り線香を持参したので、ハエ、蚊に悩まされずに仮眠できましたけど)
 4 部屋に電話はあるが、通じない。もちろん、モーニングコールは、なし。ここでおもしろかったのは、電話でのモーニングコールの代わりに、部屋のチャイムを、「ピーン、ポーン」と鳴らす、原始的なモーニングコールがあった部屋が!しかし、原始的モーニングコールは、調査の結果一室だけだったことが判明…。ツアー客の全室を、ピーン、ポーンと鳴らすのは面倒だったらしい。
 5 このホテルに唯一のアメニティは、「バスタオル」。他は、なし。ウオッシュタオルも足ふきも。おっと、一つ忘れるところでした。アメニティがもう一つ、「ローソク」。何のため買って?もちろん停電の時に使います。ちなみに、ローソクは、このホテルのみならず、今回の旅行の殆どのホテルに完備(?)してありました。
 6 冷房?そんなもんあるわけないでしょう!(この度のインド・ブータン旅行で、9泊したのですが、冷房があるホテルに泊まったのは、2泊だけ…)

 ベッドが汚いのが一番参りました。仕方ないので、着の身着のままで寝ました。ジドッと、湿ったベッドでは…育ちがいいもんで(←ウソでーす)、寝たくなかったですよ。お金を出して、いいホテルに泊まれば良かったんじゃないかって?ジャイガオンでは、最高級の部類なんですけどね…。

 インド・ブータン旅行の参加者は、29人。海千山千の海外旅行のプロのような皆さん。私どもも国数にして、30カ国以上は旅行しているのですが、今回のメンバー中、最低の海外旅行経験者でした。
 2年半にわたって世界を旅した人、今回で97カ国旅行を記録した人、毎月海外旅行をしている人(この方は、現在はキューバ旅行中です)…こういう方々ばかり。「大阪のしゃべくりオバチャンのコンビ」が、「70カ国や!」…。これらのメンバーの、「ホテル アナコンダ」の評価は、…「インドにしてはええほうやんか!」。

 「汚い、臭い、湿っている…」と、愚痴を言うのではなく、「まだ、いいほう」と考えた方がいいわけで…インドやブータンへ行く人ってレベルが高いです。勉強させていただきました。

 「世界一周の船旅、海側の個室予約したよ。手付け金の250万円はすでに払った」(ツアー同行者の66歳の男性。今月末に出発)「豪華客船の250万円のキャビン」と、「ホテル アナコンダ」…。これって、ブータン門の内と外を連想しました。世界は、おもしろいです。いや、おもしろ過ぎます。

「宗教の勧誘」は禁止

2011年10月15日 | Weblog
 ブータン国王の結婚式が、13日に行われました。私どもが3週間前に居た、あのプナカ・ゾンで。自慢かって?無関係であっても、数週間前に歴史の舞台に立っていたことがあるということだけで、何とも誇らしいような…。自慢にはなりませんがね。

 さて、「マニ車(まにぐるま)」…恥ずかしながら、ブータンへ行くまで知りませんでした。

 マニ車は、チベット仏教(ブータン仏教)で用いられる宗教用具。円筒形で、側面にはマントラ(仏教への讃歌、祭詞、呪文)が刻まれている。内部にはロール状の経文が納められている。「内部まで見たのか?」って?見ました。ちょうど、壊れていて中が見えるマニ車がありましたから、当然中をチェック。確かに、ロール状の経文がありました。「自主的に壊して中を見たんだろう!」って?私がそのような行為をしたことは…十回ぐらいしかありません!、

 マニ車を右回り(時計回り)に回転させると、回転させた数だけ経を唱えたのと同じ功徳があるとされている。とんでもないものぐさな人が考案したと思われます。口で唱えるべき経を、円筒状のものを回したら、お経を唱えたことになる…。ものぐさだぁ!で、私は、自分へのお土産として、「ソーラーマニ車」を買ってきました。手で回さなくても、太陽光で回ってくれる。一日中回っていますから、大変な功徳の量ですよ。えっ!私が一番ものぐさだって?そ、そうかなあ?
 「アンティークマンはクリスチャンのはずなのに、仏教のマニ車を回して功徳を積んでどーするんだ?」だって?本当は、無宗教なので…裏を返せば、「全ての宗教いらっしゃーい!」なのです。

 マニ車の大きさは…私が買ったソーラーマニ車のように、高さ5センチメートルものもあれば、数メートルにも及ぶものもあります。寺院に限らず、あちこちにあるので、「功徳積み放題」です。タクツァン僧院を臨む展望台にもありました。直径1.5m、高さ3mほどのマニ車が。

チベット仏教(ブータン仏教)の僧は、「ラマ」と呼ばれています。幼少時から修業に入るのですが、ラマになれずに落伍していく子もいるのだそう。寺院を脱走するのはごく普通なのだそうで、4~5回脱走したら辞めさせられるとのこと。懲戒免職ということ。但し、タダでは辞められない。罰金を支払わなければなりません。罰金額は、日本円にしておよそ1万円なのだそうで…安いのか高いのか?

 ブータンの場合、仏教徒が約80%で、約20%がヒンドゥー教徒。他の宗教もあるらしい。「宗教は、何でもOK」と、法律で認められている。「イワシの頭教」でもOK。但し、法律で規定されている部分もある。それは、「(どんな宗教を信仰するのも自由だが)勧誘をしてはいけない」。これは、素晴らしいですよ。日本では、宗教の「勧誘」で嫌な思いをした人が沢山いるし、勧誘されて人生を狂わせてしまった人も多い。「勧誘の禁止」これは、素晴らしい。

日本は別世界だった

2011年10月14日 | Weblog
ブータンは、「国民の幸せを一番に考えた政治」をしている。そして、国民幸福度(GNH:Gross National Happiness)で世界1位。
 「GNHの立脚点は、人間は物質的な富だけでは幸福にはなれない。経済発展と近代化は、人々の生活の質および伝統的価値を犠牲にするものであってはならない」
 この言葉に、全てが語られています。早い話が…
 お金があるから幸福ということではないよ。
 人の心を経済発展と引き替えに荒んだものにしてはいけませんよ。
 尾上菊五郎のように、歌舞伎にレディ・ガガやAKB48を採り入れるようなことをしては、伝統の価値を無にする。伝統を重んじなければ幸せにはなれない。 …と、いうことです。

 民族衣装着用の義務。これは、横暴のようですが、伝統を重んじる全く素晴らしいことだと思います。誤解を恐れずに私見を述べさせていただくと、「命令に従える国民の割合が多ければ多いほど幸福な国だ」と、思います。それなら北朝鮮は幸福な国なのかって?野外で飲んだお茶の残りを地面に捨てようかどうか迷う…お茶の残りを捨てて、アリが死んだらどうしようと悩む…つまり、アリ一匹の命までも大切にする人々の代表である政府の命令と、独裁者の命令とは、全くちがうモノです。北朝鮮の多くの国民は、不幸です。なぜそう言い切れるかって?言い切れます。「餓死」することは幸福ですか!

 命令と書いたので、「おいおい!」という人が出てくる。道徳とか、決まりとか、法律に置き換えてもいいです。「法律を守る国民の割合が多ければ多いほど幸福な国だ」…これなら異存はないでしょう。

 「国土に占める森林の割合を60%以上に保つ」この法律も、守れば幸福になります。現在は、60%にまでは余裕があるそうです。

 「医療も教育も無償」…これについて知り得た実情は、「学校へ通えない子がいる」ということです。これには、大きく二つの理由があります。一つは、「学校までの距離が遠すぎて通えない」。頑張って通っている子の例としてガイドさんのお話では、片道四時間、往復八時間の道程を徒歩で学校へ通っている子がいるということです。
 もう一つの理由は、「貧困」です。授業料は無料でも、制服(ゴ、キラ)、ノート、鉛筆は自分持ちなのです。
 病院については、貧困の部分は問題ないのですが、なにしろヒマラヤに位置し、山に挟まれ孤立した村も数多くある。四時間歩いて病院へ行ける人は…はじめから病院へ行く必要がない。道路も整備と輸送手段、これが緊要な課題です。

 貧困問題ですが、ブータン政府は、「貧困の削減」を進めています。2013年までに、「貧困線」以下の国民を15%以下にするそうです。(2007年の時点で、23%)。なお、貧困線は、手相にある線ではなく、「生活に必要な最低限の物を購入することができる最低限の収入水準にあるか否か」を表す統計上の指
標です。国民の幸せを目指した国づくり…「富では幸福になれない」と、言っても、お金は必要なのです。

 ブータンの収入って何だ?ですが、政府の歳入において自主財源からの収入は7割程度。インドへ水力発電の電気を売っている…これが、大きな収入でしょう。残りの3割は、他国からの援助。この、3割が、なんとも危うい。いつ打ち切られるかわかりゃしない。だったら、GNHなどと言わずに、GDPを上げることを考えなければならないだろうって?ブータンは、GNHとGDPを対立概念とはとらえていませんから、当然GDPを上げる努力もします。GDPは、GNHの一部という考え方。

 「一か月間、埼玉へ行ってきた」という、ブータン人の若者が、日本の感想を語ってくれました。
 「別世界でした…!」
 国民総幸福量がかなり低い国である日本へ来た、国民総幸福量世界一のブータンの若者が、「日本は、別世界…」と。「ユートピア」とか「幸福な国」とは言いませんでしたが…。「日本人は幸福だろう!」と、思っていることは確かかと。

ブータンは、2008年に立憲君主制に移行しました。
 そして2011年、つまり今年の6月末に、ブータン全国205地区の地区長および副地区長を選出する地方選挙が行われました。全国津々浦々まで民主化・地方分権化の波を行き渡らせたわけです。
 投票率は、56%。これは、国民が「自分は幸福だ」と感じている国民の割合である90%に比べるとぐっと低いですが…。

タクツァン僧院の展望台…堂々の踏破!?

2011年10月13日 | Weblog
 タクツァン僧院を眺める展望台までの標高差400m、徒歩ならおよそ1時間を馬で登ろうという目論見…。
 「雨のため馬が滑るので、本日はお客さんを乗せません」と…
 ガ、ガ、ガーン!目論見は木っ端みじんに吹き飛んだ。どうするアンティークマン?
 覚悟を決めました。行けるところまで行って、歩けなくなったところで登山中止。そう決めました。バスの中で待っているという選択肢も脳裏をよぎりましたが、「半歩でも前へ進む男」としては、トライするしかなかった。

 歩き始めました。傘をさして…!初めのうちは、けもの道のような道。そして、木立の中には、なんと売店が!もっとも売店といっても、地べたに広げた風呂敷大の布の上に、埃まみれのアクセサリーのようなものを並べただけ。
 売店を過ぎるといよいよ道は険しくなった。
 あるガイドブックに、「道は整備されている」と書いてあったが、まったく違う。整備という言葉の意味を知らない人が書いたと思われる。実際は、なんの整備もされていない、人が歩くことによって道の体裁が作られただけの道。斜度はきついし、雨でツルツル滑る。運動靴の人は、脱落し引き返していった。滑って登れないほどの急坂。四つ足の馬でも滑って危険というのですから、人間が四つんばいになって歩いても滑るのは当たり前。傘をさしていたのでは、四つんばいになれない。傘はリュックへ仕舞い込んだ。カッパを着ていたので、濡れなかったが、カッパの中は汗でぐしょ濡れ。しかし、歩き出したことへの後悔はなかったです。と、いうか「思考停止」状態…。こういうのを、「無我夢中」というのでしょう。

 3,000mという高度も手伝って、心臓は早鐘のよう。
 70歳を過ぎている男性が、夢遊病者のようになっていました。看護師である家人が、意識があることを確認し、エスコートに付いた。あとで分かったことですが、この男性は、「登りの記憶は全くない。気づいたら、展望台のカフェで紅茶を飲んでいた…」と。意識がないまま、ひたすら登っていたわけです。

 登りはじめて1時間。椎間板狭窄症の私が、展望台に到着。これは快挙です。なぜ、途中でギブアップせずに済んだか?それは、「思考停止の無我夢中」必死だったからです。雨の中の急傾斜のツルツル道。そちらに集中していたため、腰椎もヘルニアもヘチマも気にしていられなかった。「火事場のばか力」というやつですね。

 展望台からのタクツァン僧院の眺めは…言葉で表しますと…「なんで、そんな山の中腹の断崖にあるんだ?コラ、トラ!考えて着地しろ」です。おっと、間違えました。「なんと素晴らしい!」でした。
 展望台から観たところ、山には、タクツァン僧院の他に5~6の寺院が見えました。聖人たちが沢山来ていたということでしょう。それにしてもチベットから飛んできたトラ、どうしてこの山にだけ集中的に降りたのかねえ?

 あと、馬の件ですが…乗らなくて正解だったかも知れません。急峻な道を登るのですから、馬の首にしがみつく格好。その格好で1時間頑張るのは、無理だったでしょうから。

タクツァン僧院~展望台への登山~

2011年10月12日 | Weblog
 この度のブータン旅行で最も気がかりだったことは、「タクツァン僧院を展望台から拝めるか否か」でした。
 タクツァン僧院は、ブータンに仏教を伝えた聖人「パドマ・サンババ(プナカ・ゾンのところでもふれました)」が、チベットから空飛ぶトラの背中に乗ってブータンを訪れた際に瞑想をしたところ。切り立った山の中腹にある。寺院の標高は、3,150m。私が人気者になった、ドチュラ峠と同じ高さ。
 ブータン仏教最大の聖地とされています。ですから、ブータンへ行ったからには、タクツァン僧院を見なければなりません。えっ?チベットのトラは、空を飛ぶのかって?トラは空を飛ぶでしょう!赤ちゃん以外は誰でも知っていることです。聖人にまつわる話では、トラに空を飛ばせるぐらいは簡単なことなのです。

 どうして展望台へ行けるかどうか気がかりだったか?実は、「椎間板狭窄症」とやらに悩まされておりまして、30m歩くと臀部筋がだるーくなり、スネから足にかけてしびれる。我慢して歩くと、だるさは痛みに変わり歩行不能に…。整形外科の医師は、「レントゲンの結果は、それほど深刻な状況ではありません。お薬を2週間分出しておきます」ということで、「2週間もすれば治っちゃうよ」といった感じ。それから、4か月。タクツァン僧院を目の前にして、足はしびれていた。臀部筋は痛かった。サイに背後からドツカレタわけでもないのに。
 そんな状況では、タクツァン僧院どころか、旅行自体が無謀だろうだって?ほ、ほ、ほっといてくれっ…。

 パロの中心部からバスで20分の、標高2,600mの地点から登りはじめます。タクツァン僧院(3,150m)まで行ったのでは、タクツァン僧院が見られない。そのため、僧院のある山の向かいの山にある展望台(標高3,000m)から観ようという作戦。400mの標高差…早い話が、「登山」です。ガイドブックによりますと、片道1時間。(のちに、添乗員氏は、「この登山は、片道1時間半ですね。報告書に書きます」と)

 椎間板狭窄症ながら、私には作戦がありました。「馬」です。展望台までの登山、歩かずに馬に乗って行くという手段があることを、旅行ガイドブックで知っていました。
 添乗員と、現地ガイドに、「馬!馬を頼む!」と注文。添乗員氏は、馬という手段を知らなかったため、多少狼狽ぎみでしたが快く引き受けてくれた。それもそのはず、学生時代は馬をやっていたのだと。競馬ではなく馬術。
 展望台までの馬の料金は、800円。これは安いです。8,000円でも私は馬に乗りましたねぇ。ただ、労働者の日当が600円の国ですから、彼らにとって、800円を出して馬に乗る人がいることは信じられないかも知れません。

 この馬での登山、登りはOKなのですが、下りは危険すぎるので馬には乗せないという。つまり、下りの1時間は自分の足で歩かなければならない…。
 さらに…雨天の場合、馬が滑るので登山客を乗せない…。

 そして、登山口に到着…折りからの雨は止みそうもなく…。(続く)